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飢えた王国 IF ~五個のジャガイモから始める、誰も飢えない国づくり~  作者: レモンティー


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第二話 隣村にジャガイモを分けたら、死ぬはずだったエリクの母親が生き延びた

ベルナ村で初めてジャガイモが収穫されてから、十日が過ぎた。

「……思ったより増えたな」

高橋悠真は、村の共同倉庫に並べられた木箱を見つめていた。

中には、大小さまざまなジャガイモが入っている。

もちろん、村全体を何年も養えるほどの量ではない。

最初に植えたのは、たった五個の種芋だったのだ。

それでも、来年の栽培に使う種芋を確保し、村人たちに試食してもらえる程度には増えていた。

「悠真、これを全部食べてしまっては駄目なのか?」

村長のハインツが尋ねた。

「駄目です」

悠真は即答した。

「来年の種芋がなくなります」

「そうだったな」

「それに、今の量では村の百二十人を養うこともできません」

悠真は木箱の一つを指さした。

「だから、今年は増やすことを優先します」

「……なるほど」

ハインツは頷いた。

だが、その表情は暗かった。

「どうしたんですか?」

「隣のアルト村のことだ」

「アルト村?」

「ああ。ここから歩いて半日ほどの村だ。あそこは今年、麦がほとんど育たなかったらしい」

悠真の手が止まった。

「……食料は?」

「冬を越せるかどうか、分からんそうだ」

「そんなに悪いんですか?」

「うちも他人事ではないがな」

ハインツはため息をついた。

「昨日、アルト村の村長から使いが来た。麦を少し分けてほしいとな」

「分けたんですか?」

「分けたくても、余裕がない」

ハインツは倉庫の奥を見た。

「来年の種麦まで食べてしまえば、今度は我々が飢える」

悠真は黙った。

目の前にはジャガイモがある。

しかし、まだ十分な量ではない。

それでも、「……村長」

「なんだ?」

「アルト村にも、ジャガイモを育ててもらいませんか?」

ハインツは目を見開いた。

「何だと?」

「種芋を分けるんです」

「しかし、まだ少ないぞ」

「分かっています」

悠真は木箱を見つめた。

「でも、ベルナ村だけで増やしていても、隣の村は救えません」

ハインツはしばらく黙っていた。

やがて、ゆっくりと頷いた。

「……そうだな」

老人は木箱に手を置いた。

「食べ物を増やすための種を、独り占めしても仕方がない」

こうして、ベルナ村からアルト村へ、初めてジャガイモの種芋が運ばれることになった。


翌朝。

悠真はハインツとともに、アルト村へ向かった。

荷車にはジャガイモの種芋と、少量の乾燥トウモロコシの種子が積まれている。

もちろん、ベルナ村で確保した種をすべて持ってきたわけではない。

自分たちの来年の栽培分を残したうえで、分けられる量だけを運んだ。

「……本当に、これで人を救えるのか?」

ハインツが尋ねた。

「すぐに全員を救うのは難しいです」

悠真は答えた。

「でも、今から栽培を始めれば、次の収穫には間に合うかもしれません」

「冬までにか?」

「俺の成長促進を使えば、普通より早く収穫できます。ただし、水と肥料が必要です」

「なるほど」

「それに、俺がずっと手伝えるわけじゃありません。村の人たち自身が育てられるようにしないと」

ハインツは感心したように頷いた。

「お前、ずいぶん先のことまで考えているな」

「いや……」

悠真は苦笑した。

「最初は、ただ畑を作ればいいと思っていたんですけどね」

二人は荷車を押しながら、街道を進んだ。

やがて、アルト村が見えてきた。

その光景を見た悠真は、足を止めた。

「……これは」

畑が黄色く枯れていた。

麦の穂は小さく、ところどころ地面がむき出しになっている。

家々の屋根は傷み、村人たちの顔には疲労が浮かんでいた。

ベルナ村より、明らかに状況が悪い。

「……今年は、ひどいな」

ハインツが呟いた。

そのとき。

「おい、あんたたち!」

少年の声がした。

振り返ると、痩せた少年が立っていた。

年齢は十四歳ほど。

その後ろには、九歳くらいの少女がいる。

少年は荷車を警戒するように見つめていた。

「……何を運んでる?」

悠真は答えた。

「ジャガイモとトウモロコシだよ」

「……なんだ、それ」

「食べ物になる作物だ」

少年の目が鋭くなった。

「食べ物?」

「ああ」

「……売りに来たのか?」

「いや、育ててもらうために持ってきたんだ」

少年は信じられないという顔をした。

「……ただで?」

「そうだよ」

しばらく沈黙が続いた。

そして少年は、ぽつりと呟いた。

「……そんな商人、いるわけないだろ」

悠真は苦笑した。

「俺は商人じゃないよ」

「じゃあ、何者だ?」

「農業を教えに来た旅人かな」

少年はますます怪しそうな顔をした。

そのとき、後ろの少女が小さく声を上げた。

「お兄ちゃん……」

「どうした、クリス?」

「……お母さんが」

少年の表情が変わった。

「母さんがどうした!?」

「また、立てなくなっちゃった……」

少年は走り出した。

エリクは母親の寝息を確かめてから、悠真のところへ戻った。「助かったのは分かる。でも、隣の家にはまだ食べ物がない」悠真は頷く。ひとつの家族が救われたからといって、飢饉が終わるわけではない。母親が生きている今夜を喜びながら、二人は明日配れる分をもう一度数えた。

悠真も思わず、その後を追った。


村の外れに、小さな家があった。

中に入ると、痩せた女性が寝台に横たわっていた。

「母さん!」

少年が駆け寄った。

女性はゆっくりと目を開けた。

「……エリク」

「大丈夫か!?」

「……大丈夫よ」

だが、その声には力がなかった。

悠真は女性の顔を見た。

頬がこけている。

唇は乾いていた。

明らかに栄養が足りていない。

「……何日くらい、まともに食べていないんですか?」

少年――エリクは、悠真を睨んだ。

「……あんたには関係ない」

「エリク!」

母親が弱々しく声を上げた。

「お客様に、そんなことを言っては駄目よ」

「でも、母さん……」

悠真は静かに尋ねた。

「食べ物が足りないんですね?」

母親は小さく頷いた。

「……子供たちには、食べさせているんです」

エリクが俯いた。

クリスも黙った。

悠真は理解した。

この母親は、自分の食事を減らして子供たちに分けていたのだ。

「……少し待っていてください」

悠真は外へ出た。

荷車から、小さな袋を取り出す。

中には、ベルナ村から持参した食用のジャガイモが入っていた。

種芋とは別に、道中の食事用として持ってきたものだ。

「ハインツさん、鍋を借りられますか?」

「分かった」

悠真はジャガイモを選別した。

芽が出ていないこと。

緑色になっていないこと。

傷みがないこと。

それを確かめ、皮をむいて小さく切った。

「……何をするんだ?」

エリクが尋ねた。

「食事を作る」

「……それ、食べられるのか?」

「ああ」

悠真は水を張った鍋にジャガイモを入れた。

「ジャガイモっていう作物だ」

「……初めて聞いた」

「この世界では、まだ珍しいみたいだね」

火を起こし、十分に煮る。

やがて、柔らかくなったジャガイモを潰し、煮汁と混ぜた。

薄いスープのようなものができた。

「まずは、少しずつ食べてもらおう」

悠真は木椀を差し出した。

エリクは警戒していたが、母親が小さく頷いた。

「……いただきます」

母親は、一口飲んだ。

そして、目を見開いた。

「……温かい」

もう一口。

「……おいしい」

その目から、涙がこぼれた。

「こんなに……お腹に入るものを食べたのは……久しぶり……」

エリクは唇を噛んだ。

クリスは母親の手を握った。

「お母さん……」

「……大丈夫よ」

母親は微笑んだ。

「まだ、あなたたちと一緒にいられるわ」

悠真は、その言葉を聞いて胸が締めつけられた。

ただし、長く食事が不足していた人に急に大量の食べ物を与えるのは危険だ。

悠真は、少量ずつ様子を見ながら食べてもらうように伝え、村にいる薬師にも診てもらうことにした。

一杯のスープだけで、すべてが解決するわけではない。

それでも、今日、食べるものがある。

明日も、食べられるかもしれない。

その希望が、家族の表情を少しだけ変えていた。


翌日。

悠真はアルト村の広場に、村人たちを集めた。

「皆さんに、新しい作物を紹介します!」

荷車からジャガイモを取り出す。

「これはジャガイモです!」

村人たちはざわめいた。

「石じゃないのか?」

「食べられるのか?」

「本当に育つのか?」

悠真は笑った。

「育ちます。ただし、きちんと管理する必要があります」

そして、栽培方法を説明した。

土を柔らかくすること。

水を確保すること。

肥料を使うこと。

種芋を残すこと。

さらに、食べ方についても説明した。

「大切な注意があります。ジャガイモの芽とその周りには毒があります。芽が出たら、周囲まで深く取り除いてください」

村人たちは驚いた。

「毒!?」

「それから、緑色になったジャガイモは食べないでください。生でも食べず、必ず十分に加熱してください」

悠真は続けた。

「ただし、加熱しても毒が十分に消えるわけではありません。芽や緑色の部分を避けることが重要です」

村人たちは真剣に聞いていた。

次に、トウモロコシを取り出す。

「こちらはトウモロコシです」

「麦か?」

「違います」

悠真は笑った。

「育て方も違いますが、粒を乾燥させれば保存食にもなります」

村人たちの目が変わった。

保存できる食料。

それは、飢饉に苦しむ人々にとって、何より重要なものだった。

「……本当に、これを分けてくれるのか?」

村長が尋ねた。

「はい」

悠真は頷いた。

「ただし、全部食べないでください。最初は種として増やすことが大切です」

「分かった」

「それと、畑を貸してください」

「畑?」

「俺のスキルで、少しだけ土を改良できます」

村人たちは顔を見合わせた。

悠真は畑の端にしゃがみ込んだ。

「……土地改良」

淡い緑色の光が広がった。

硬かった土が、柔らかくなる。

「おおおっ!」

村人たちが歓声を上げた。

「魔法だ!」

「畑が変わった!」

悠真は苦笑した。

「いや、魔法というか……まあ、似たようなものです」

そして、種芋を植えた。

トウモロコシの種もまいた。

「……成長促進」

再び光が広がる。

土の中で、植物の成長が始まった。

数分後。

小さな芽が顔を出した。

「……出た!」

「本当に芽が出たぞ!」

村人たちは大騒ぎだった。

その光景を、エリクは黙って見つめていた。


数週間後。

アルト村で、最初のジャガイモが収穫された。

量はまだ少ない。

村全体の食料不足を解消するには、到底足りなかった。

それでも、「……増えてる」

エリクは土の中から掘り出されたジャガイモを見つめていた。

一つの種芋から、いくつもの芋が育っている。

「本当に……増えるんだな」

悠真は頷いた。

「うん。これを繰り返していけば、もっと増やせる」

「……来年も?」

「もちろん」

エリクはしばらく黙っていた。

そして、尋ねた。

「……母さんも、来年まで生きられるかな」

悠真はすぐには答えられなかった。

母親の体調は、少しずつ回復していた。

村の薬師も、食事を続けられれば回復の見込みがあると言っていた。

しかし、飢饉そのものが終わったわけではない。

悠真は、エリクの肩に手を置いた。

「……一緒に、そうできるように頑張ろう」

エリクは小さく頷いた。

「……分かった」

その日から。

エリクも、畑仕事を手伝うようになった。


一年後。

アルト村の景色は、大きく変わっていた。

村の外れには、ジャガイモ畑が広がっている。

その隣には、背の高いトウモロコシが並んでいた。

ベルナ村とアルト村は、種芋と種子を交換しながら、毎年栽培面積を増やしていた。

もちろん、問題がなかったわけではない。

水不足。

肥料不足。

害虫。

病気。

ジャガイモの腐敗。

乾燥トウモロコシのカビ。

失敗も多かった。

それでも、二つの村は栽培方法を少しずつ改善していった。

収穫したジャガイモは、種芋を確保したうえで食用に回した。

トウモロコシは、十分に乾燥させて保存した。

そして、アルト村では、前年より食料不足が大幅に緩和されていた。


ある日の夕方。

エリクは母の前で初めて、食べ物を分ける側に立った。「俺たちの分が減るぞ」とクリスが囁く。エリクはしばらく黙り、鍋を二つに分けた。「分かってる。でも、母さんが助かったのは誰かが分けてくれたからだ」母親は何も言わず、息子の手を握った。

エリクは畑仕事を終え、家へ戻った。

「ただいま!」

「お帰り、エリク」

台所から、母親の声がした。

エリクは足を止めた。

母親が、鍋をかき混ぜている。

頬には、以前より血色が戻っていた。

「……母さん」

「どうしたの?」

「……いや」

エリクは笑った。

「何でもない」

食卓には、ジャガイモのスープ。

そして、トウモロコシの粉を混ぜて焼いた小さなパンが並んでいた。

「お兄ちゃん!」

クリスが椅子から立ち上がった。

「今日はね、お母さんがパンを焼いたんだよ!」

「そうなのか?」

「うん!」

母親は微笑んだ。

「まだ麦は少ないけれど、トウモロコシのおかげで粉を増やせるようになったの」

エリクは椅子に座った。

目の前には、温かい食事がある。

そして、向かい側には、母親が座っている。

一年前。

母親は、もう立ち上がれないほど衰弱していた。

あのまま食料が届かなければ、どうなっていたか分からない。

だが、今は違う。

「……いただきます」

エリクはパンを手に取った。

一口かじる。

少し硬い。

麦のパンとは違う味がする。

それでも、「……うまい」

エリクは呟いた。

母親が笑った。

「本当?」

「ああ」

クリスも笑った。

「お兄ちゃん、泣いてる?」

「……泣いてない」

「泣いてるよ!」

「うるさいな」

三人の笑い声が、小さな家に響いた。

その夜。

エリクは久しぶりに、明日の食事を心配せずに眠った。


さらに二年後。

アルディナ王国では、深刻な飢饉が始まっていた。

麦の収穫量が減り、食料価格が急騰していた。

王都では、パン一切れを求めて人々が争い始めていた。

軍は農村から食料を徴発し、商人たちは穀物を買い集めていた。

しかし、ベルナ村とアルト村では、事情が少し違っていた。

ジャガイモとトウモロコシの栽培が定着していたのだ。

十分な食料があるわけではない。

それでも、麦だけに頼っていた頃よりは、はるかに状況が良かった。

そして、エリクの家では、今日も母親が夕食を作っていた。

「エリク、ジャガイモを取ってきてくれる?」

「ああ、分かった」

「クリスは水をお願いね」

「はーい!」

エリクは倉庫へ向かった。

木箱には、今年収穫したジャガイモが入っている。

芽が出ていないことを確かめる。

緑色になっていないことも確認する。

悠真から教わった通りだった。

「……よし」

エリクはジャガイモを持って家へ戻った。

台所では、母親が笑っていた。

「ありがとう、エリク」

「母さん、今日は何を作るんだ?」

「ジャガイモのスープよ」

「またか」

「嫌なの?」

「いや」

エリクは笑った。

「……好きだよ」

母親も笑った。

その光景を、クリスが嬉しそうに見つめていた。

もし、三年前に異世界人が現れていなかったら。

もし、ジャガイモとトウモロコシがこの村に伝わっていなかったら。

この家の食卓には、もう母親の姿がなかったかもしれない。

だが、この世界では、母親は生きていた。

エリクは、母親を失わなかった。

そして、まだ知らなかった。

王国全体では、食料をめぐる争いが激しさを増していることを。

やがて軍が、ベルナ村とアルト村の豊かな畑に目をつけることを。

さらに。

王都の穀物商アコギが、二つの村の収穫物をすべて買い取ろうとしていることを。

その夜。

エリクの家では、三人が温かいスープを囲んでいた。

一方、王都では。

穀物商アコギが、帳簿を開いていた。

「……ベルナ村とアルト村か」

帳簿には、二つの村の収穫量が記されていた。

ジャガイモ。

トウモロコシ。

そして、年々増加する生産量。

アコギは静かに笑った。

「……これほどの食料があるとは」

男は部下を呼んだ。

「明日、二つの村へ使いを出せ」

「買い取りの交渉でしょうか?」

「そうだ」

アコギは帳簿を閉じた。

「今年の収穫物を、すべて買い取る」

「すべて、ですか?」

「ああ」

アコギは窓の外を見た。

王都の通りでは、飢えた人々がパンを求めて並んでいた。

「食料が足りない時代だ」

男は微笑んだ。

「これから、ますます値が上がる」

そして、アルト村では、エリクが母親と妹の笑顔を見ながら眠りについた。

母親を救ったジャガイモとトウモロコシ。

その作物が今度は、村全体を戦争へ巻き込もうとしていた。


挿絵(By みてみん)

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