第十二話 共同倉庫に火をつけられたので、エリクが初めて剣を握った
深夜。
アルト村。
共同倉庫の見張りをしていた若者が、異変に気づいた。
「……何だ?」
暗闇の中。
倉庫の裏手に、人影が見えた。
二人。
いや、三人。
「おい! 誰だ!」
その瞬間。
火のついた松明が、倉庫の壁へ投げつけられた。
「火事だ!」
見張りが叫んだ。
「倉庫が燃えるぞ!」
村中に鐘が鳴り響いた。
エリクは飛び起きた。
「……何だ!?」
外へ出る。
夜空が赤く染まっていた。
「……倉庫!」
エリクは走った。
共同倉庫の壁に、炎が上がっていた。
村人たちが水桶を運んでいる。
「水を持ってこい!」
「火を消せ!」
「中の食料を守れ!」
エリクも水桶を持った。
何度も走った。
何度も水をかけた。
だが、火はなかなか消えなかった。
そのとき。
倉庫の裏手から、男たちが逃げ出すのが見えた。
「……待て!」
エリクは叫んだ。
男たちは振り返らない。
その一人が、腰に剣を下げていた。
エリクは地面に落ちていた剣を拾った。
見張りが落としたものだった。
「……止まれ!」
男たちが足を止めた。
一人が振り返る。
「何だ、小僧」
エリクは剣を構えた。
手が震えていた。
剣など、まともに握ったことはなかった。
それでも、「……倉庫に火をつけたのか?」
男は笑った。
「だったらどうした?」
エリクの胸に、怒りが込み上げた。
あの倉庫には、村人たちが必死に育てた食料がある。
冬を越すための食料。
来年のための種芋。
母親と妹が、生きるための食料。
「……許さない」
エリクは一歩踏み出した。
男が剣を抜いた。
「やる気か?」
その瞬間。
「エリク!」
悠真の声が響いた。
振り返る。
悠真が走ってきた。
「剣を下ろして!」
「でも、こいつらが!」
「分かってる!」
悠真は叫んだ。
「でも、君が死んだら、お母さんとクリスはどうするんだ!」
エリクの手が止まった。
母親。
妹。
家族。
エリクは唇を噛んだ。
男は、その隙に逃げようとした。
しかし、「逃がすか!」
ハインツと村人たちが、道を塞いだ。
鍬。
棒。
農具。
男たちは立ち止まった。
「……ちっ」
一人が舌打ちした。
だが、村人たちの数は多かった。
男たちは武器を捨て、降伏した。
火の粉が屋根の隙間へ吸い込まれていく。
「種芋の棚が!」
誰かが叫んだ。
エリクは反射的に走り出そうとしたが、悠真に腕をつかまれた。
「中へ入るな。煙で倒れる!」
「でも、あれがなくなったら来年が……!」
「人が死んだら来年はもっと遠くなる!」
ハインツは屋根に近づく者を止め、火の手から離れた入口で荷を受け取る班と、水を運ぶ班を分けた。
誰も英雄にはなれなかった。
ただ、隣の者が倒れないよう声を掛け続けた。
夜明け。
共同倉庫の火は、ようやく消し止められた。
壁の一部は焼けた。
だが、食料の大半は無事だった。
村人たちは、ほっと息を吐いた。
「……助かった」
「種芋も無事だ!」
「よかった……!」
エリクは、煤だらけの顔で座り込んでいた。
悠真が隣に座った。
「……怖かった?」
エリクは頷いた。
「……うん」
「剣を握ったとき?」
「……それもある」
エリクは、焼けた倉庫を見つめた。
「でも、一番怖かったのは……」
言葉が詰まった。
「……また、母さんが飢えるかもしれないと思ったことだ」
悠真は黙った。
エリクは続けた。
「やっと食べられるようになったのに……」
拳を握った。
「どうして、こんなことをするんだ?」
悠真は答えられなかった。
そのとき。
ハインツが歩いてきた。
焦げた梁の下から、エリクは種芋の箱を一つ引きずり出した。
剣を握る手より、箱を抱える手のほうが震えていた。
「犯人を追うのは明日だ。今夜は火を消して、残った種を数える」悠真の言葉に、エリクは剣を鞘へ戻した。
夜明け、エリクは煤のついた剣を井戸水で洗った。
刃は一度も人を斬っていない。
それなのに手が震えた。
「怖かったのか」と鍛冶屋が尋ねた。
「怖かった。倉庫を燃やしたやつを見つけたら、何をするか分からなかった」
鍛冶屋は剣を受け取った。
「なら、まず火を消せる桶を増やそう。剣より先に要るものがある」
村人たちは焼け残った芋を数え、食べられる分と植える分を分けた。
失ったものを数える作業はつらかったが、誰も帳簿から目を背けなかった。
「捕まえた男たちが、口を割った」
悠真が顔を上げた。
「……誰に命じられたんですか?」
ハインツは、苦い顔をした。
「王都の商人から金を受け取ったそうだ」
エリクの目が見開かれた。
「……商人?」
「ああ」
ハインツは頷いた。
「名前までは分からん。だが、共同倉庫を燃やせば報酬を払うと言われたらしい」
悠真は静かに立ち上がった。
「……そうですか」
エリクも立ち上がった。
「悠真」
「ん?」
「俺、決めた」
悠真は少年を見た。
「何を?」
エリクは焼けた倉庫を見つめた。
「……もう、食料を奪われないようにする」
「……うん」
「母さんも、クリスも、村のみんなも」
エリクは拳を握った。
「俺が守る」
悠真は、しばらく黙っていた。
そして、頷いた。
「……一緒に守ろう」
二人は握手を交わした。
その日。
エリクは初めて、食料を守るために武器を握った。
だが、彼が本当に守ろうとしていたのは、ジャガイモでもトウモロコシでもなかった。
家族が、明日も生きていられるという当たり前の未来だった。
【第二部 食料を守る戦い】
三年前に異世界からやって来た高橋悠真。
彼が持ち込んだ五個のジャガイモと百粒のトウモロコシは、三つの村に広まり、飢えに苦しむ人々を救い始めていた。
本来なら飢饉で命を落とすはずだったエリクの母親も生き延びた。
しかし、食料が増えれば増えるほど、それを支配しようとする者たちが現れる。
共同倉庫への放火事件。
領主の圧力。
穀物商会の妨害。
そして、王国軍の介入。
これは、飢えによって戦争が起きるはずだった王国で、食料を増やしたことで別の戦いが始まる物語である。




