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飢えた王国 IF ~五個のジャガイモから始める、誰も飢えない国づくり~  作者: レモンティー


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第百十八話 母が作ってくれた最後のジャガイモ料理を、エリクは一生忘れない

アルト村。

夕暮れ。

「……エリク」

母親が、静かに呼んだ。

「……何だい、母さん?」

エリクは、台所へ顔を出した。

母親は、椅子に座っていた。

すっかり年を取り、足腰も弱くなっている。

「……今日は、ジャガイモを煮ようと思うの」

エリクは笑った。

「……いいね」

母親は続けた。

「昔、よく作ったでしょう?」

エリクは頷いた。

「……ああ」

三十年前。

食料が足りなかったころ。

母親は、わずかなジャガイモを家族で分け合っていた。

薄いスープ。

小さなジャガイモ。

それでも、母親は笑っていた。

『……ほら、食べなさい』

その声を、エリクは今も覚えていた。

「……母さん」

「……何?」

エリクは、静かに尋ねた。

「昔、怖くなかった?」

母親は首を傾げた。

「……何が?」

「食べ物がなくなったとき」

母親は、しばらく黙った。

そして、「……怖かったわよ」

静かに答えた。

「あなたとクリスが、明日も食べられるか分からなかったもの」

エリクは、黙った。

母親は続けた。

「でもね」

そして、少し笑った。

「あなたたちの前では、泣きたくなかったの」

エリクは、拳を握った。

「……母さん」

母親は続けた。

「あなたたちが笑ってくれれば、それだけで頑張れたのよ」

そのとき。

扉が開いた。

「……ただいま!」

クリスが入ってきた。

今では、立派な大人になっている。

「……お母さん!」

母親は笑った。

「……お帰り」

クリスは、鍋を覗き込んだ。

「……あっ!」

そして、「ジャガイモの煮込み!」

母親は頷いた。

「……ええ」

クリスは笑った。

「懐かしい!」

エリクも笑った。

「……そうだな」

三人は、一緒に食卓を囲んだ。

母親が、皿へジャガイモを盛りつけた。

「……さあ、食べなさい」

エリクは、一口食べた。

柔らかいジャガイモ。

薄い塩味。

特別な香辛料は使っていない。

だが、「……おいしい」

エリクが呟いた。

母親は笑った。

「……そう?」

エリクは頷いた。

「……うん」

クリスも笑った。

「やっぱり、お母さんの料理が一番!」

母親は、嬉しそうに目を細めた。

「……ありがとう」

その夜。

母親は、――その少し前。

鍋のふたを開けると、湯気が立った。

母親は、木の匙で芋を一つすくった。

「昔はね、これを三つに切って、みんなに一切れずつだった」

クリスが笑いかけて、目を伏せた。

「覚えてる。兄さんが、自分の分を私にくれたことも」

エリクは首を振った。

「母さんが、先に自分の分を減らしてたんだ」

母親は困ったように笑った。

「親って、そういうものよ」

三人はしばらく黙って食べた。

何十年もかけて守ってきた食卓は、特別な料理ではなく、いつもの芋の煮物だった。

昔の話をたくさんした。

飢饉のこと。

最初の収穫のこと。

エリクが村を守ろうとしたこと。

クリスが初めてジャガイモを植えたこと。

そして、悠真が村へやってきた日のこと。

「……あの子が来てくれて、本当によかった」

母親が呟いた。

エリクは頷いた。

「……そうだね」

母親は続けた。

「でもね、エリク」

「……何?」

「あなたも、たくさんの人を助けたのよ」

エリクは、首を振った。

「……俺は、そんな」

母親は笑った。

「知っているわ」

そして、「あなたが、人を殺すためではなく、守るために剣を持ったこと」

エリクは、言葉を失った。

母親は、静かに続けた。

「……誇りに思っているわ」

その言葉を聞いた瞬間。

エリクの目から、涙がこぼれた。

「……母さん」

母親は、優しく笑った。

「……泣き虫ね」

エリクは、涙を拭った。

「……うるさいな」

クリスが笑った。

「お兄ちゃん、昔から泣き虫だったもんね!」

三人は、笑い合った。

その夜。

母親は、穏やかに眠りについた。

そして、翌朝。

二度と目を覚ますことはなかった。

苦しんだ様子はなかった。

枕元には、家族の写真ではなく、三人で描いた古い絵が置かれていた。

ジャガイモ畑。

小さな家。

そして、笑っている家族。

エリクは、母親の手を握った。

「……母さん」

返事はなかった。

「……ありがとう」

声が震えた。

「……俺たちを、生かしてくれて」

クリスが、隣で泣いていた。

エリクは、静かに続けた。

「……最後まで、母さんの料理はおいしかったよ」

窓の外では、春の風が吹いていた。

畑には、ジャガイモの芽が出ていた。

母親が三十年前に守った命は、今も生き続けていた。

葬儀からひと月が過ぎた。

エリクは母が使っていた木の匙を取り出した。

柄の先は、何度も火に当たって黒ずんでいる。

訪ねてきた農業学校の生徒に、彼は言った。

「これで最後の芋を潰したんだ」

生徒は、そんな時代があったことを知らない。

「怖くなかったのですか」

「怖かったさ。でも母さんは、半分を俺にくれた」

エリクは匙を机に置いた。

「俺が覚えているのは、芋の味だけじゃない。自分も腹が減っているのに、分けてくれた手だ」

その話を聞いた子供は、食卓のパンを隣の子へ少し寄せた。

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