第百十七話 王国を救った英雄が引退すると言い出したので、国王が困り始めた
王都アルディア。
王宮。
「……引退?」
国王ユリウス一世が、目を見開いた。
悠真は頷いた。
「はい」
ユリウスは、しばらく黙った。
そして、「……もう一度、言ってくれ」
悠真は苦笑した。
「農業改革顧問を、退任させていただきたいんです」
ユリウスは、深いため息をついた。
「……困る」
「……ですよね」
「困るに決まっている!」
悠真は、頭を下げた。
「……すみません」
ユリウスは続けた。
「お前がいなくなったら、農業政策はどうする?」
悠真は、静かに答えた。
「もう、俺がいなくても大丈夫です」
ユリウスが顔を上げた。
悠真は続けた。
「王立農業学校があります」
「各地の農業組合があります」
「研究者も増えました」
「農業指導員も育っています」
「そして、災害時の備蓄制度も整いました」
ユリウスは、静かに聞いていた。
悠真は続けた。
「俺が全部決めるより、専門家たちが話し合って決めた方がいいんです」
ユリウスは、しばらく考えた。
そして、「……そうか」
静かに頷いた。
「お前は、最初からそれを目指していたんだな」
悠真は笑った。
「……はい」
ユリウスは、少し寂しそうに笑った。
「……三十年前、父上はお前を大臣にしようとした」
悠真は苦笑した。
「……ありましたね」
「お前は断った」
「……はい」
「そして、農業改革顧問になった」
「……そうですね」
ユリウスは続けた。
「それでも、お前は王国中を走り回った」
「畑を調べ」
「村人と話し」
「食料を運び」
「洪水の対策まで考えた」
悠真は、静かに聞いていた。
ユリウスは、笑った。
「……本当に、よく働いてくれた」
悠真は、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
ユリウスは立ち上がった。
そして、「……退任を認めよう」
悠真は、顔を上げた。
数日前のことを、ふと思い出した。
ユリウスは退任届を机に置いた。
「最後に一つ聞く。次の凶作が来たら、誰が決める?」
悠真は迷わず答えた。
「地方の備蓄担当者が数字を出し、農業学校が見通しを示し、王と議会が決めます。俺一人の勘より、ずっと確かです」
「意見が割れたら?」
「割れていいんです。記録を残して、間違えたら直せばいい」
ユリウスは長く黙った。
「……父が聞いたら、喜ぶだろうな」
悠真は小さく笑った。
「俺も、やっと畑に帰れます」
「……本当ですか?」
ユリウスは頷いた。
「ただし、条件がある」
悠真は固まった。
「……条件?」
ユリウスは笑った。
「王都へ来たときは、必ず顔を見せろ」
悠真は、思わず笑った。
「……もちろんです」
二人は、笑い合った。
その日の夕方。
悠真は、王宮を出た。
エリクが待っていた。
「……どうだった?」
悠真は笑った。
「……引退できたよ」
エリクは頷いた。
「……よかったな」
そして、「これから、どうする?」
悠真は、しばらく考えた。
「……ベルナ村へ帰る」
エリクは笑った。
「……やっぱりな」
悠真も笑った。
「最初の畑を、もう一度見たいんだ」
エリクは頷いた。
「……じゃあ、一緒に行こう」
二人は、王都を後にした。
かつて食料を求めて走り回った道を、今度はゆっくりと歩いて帰っていった。
国王は悠真に尋ねた。
「お前がいなくなったら、次の凶作はどうする」
悠真は農業学校の報告書を差し出した。
そこには、彼の知らない栽培法と、生徒たちが見つけた失敗の記録があった。
「俺がいなくても、間違いを見つけて直せる人がいます」
「それで安心なのか」
「安心しきるのは危険です。でも、一人だけが答えを持つ国より、ずっと強い」
国王は報告書を閉じた。
英雄を引き留めることより、英雄が不要になる仕組みを守ること。
国王は翌朝、農業学校の教師と地方倉庫の監査役を招集するよう命じた。
悠真の名を継ぐ人間ではなく、悠真に異議を唱えられる人間を育てるためだった。
それが王の最後の仕事なのかもしれなかった。




