第百十六話 かつて敵だった二つの王国が、国境に大きな収穫祭を開いた
アルディナ王国とヴァルシア王国の国境。
かつて、十万の兵士が向かい合った平原。
そこには今、大きな市場が広がっていた。
「……すごい人だな」
エリクが呟いた。
悠真は頷いた。
「……本当だね」
今日は、両国合同の収穫祭だった。
アルディナ王国からは、ジャガイモやトウモロコシ。
ヴァルシア王国からは、寒冷地で育てた麦や豆。
各地の農民たちが、自慢の作物を持ち寄っていた。
「……悠真殿!」
遠くから声がした。
振り返ると、ルドルフ・ベルナーが歩いてきた。
「……ルドルフさん!」
悠真は笑った。
ルドルフも笑った。
「お久しぶりです!」
その後ろには、一人の老人がいた。
ハインリヒ将軍だった。
すでに軍務を退いている。
だが、その背筋は今もまっすぐだった。
「……悠真殿」
ハインリヒが、静かに頭を下げた。
悠真は慌てた。
「……将軍、頭を上げてください!」
ハインリヒは笑った。
「もう将軍ではない」
そして、「今は、ただの農民だ」
エリクが驚いた。
「……農民?」
ハインリヒは頷いた。
「退役後、故郷で畑を耕している」
「……本当ですか?」
「うむ」
そして、少し得意そうに続けた。
「今年はジャガイモが豊作だった」
悠真は笑った。
「……それはよかった!」
収穫祭の中央広場。
両国の代表者が集まった。
ルドルフは、壇上に立った。
「……皆さん」
広場が静まり返った。
「三十年前、この場所には軍隊が集まっていました」
「アルディナ王国とヴァルシア王国」
「二つの国は、食料を奪い合うために戦おうとしていました」
人々は、静かに聞いていた。
ルドルフは続けた。
「しかし、今」
そして、広場を見渡した。
「ここには、農民が集まっています」
「商人が集まっています」
「子供たちが集まっています」
「そして、食料を売り買いし、分け合っています」
拍手が響いた。
ルドルフは続けた。
「私たちは、ようやく学びました」
そして、「畑を奪うより、一緒に耕した方が、ずっと多くの人を救えるのだと」
大きな拍手が響いた。
その日の夕方。
悠真とエリク、ルドルフ、ハインリヒは、同じ食卓を囲んでいた。
「……まさか、こんな日が来るとはな」
ハインリヒが呟いた。
数日前のことを、ふと思い出した。
祭りの広場で、かつて両軍が向かい合った場所に長い食卓が置かれた。
老いたハインリヒは、皿を運ぶ若者の手を見つめた。
「お前の父は、あの戦場にいたか」
「はい。帰ってきて、今は麦を作っています」
将軍は目を閉じた。
「帰れなかった者もいた」
若者は頷いた。
「父が、毎年その人たちの名前を読んでいます」
ルドルフが二人の間に焼きたてのパンを置いた。
「今日は一緒に食べましょう」
忘れないことと、憎み続けることは違う。
国境に、パンの温かな匂いが広がった。
エリクは頷いた。
「……本当に」
ハインリヒは、エリクを見つめた。
「お前は、あの戦争のときの若者だな」
エリクは頷いた。
「……はい」
ハインリヒは続けた。
「剣を持ちながら、人を殺すより守ることを選んだ」
エリクは、少し照れた。
「……覚えていたんですか?」
ハインリヒは笑った。
「忘れるものか」
そして、「戦争で最も難しいのは、敵を倒すことではない」
「敵を倒さずに、戦争を終わらせることだ」
悠真は、静かに頷いた。
そのとき。
子供たちが、広場を走り回っていた。
アルディナの子供。
ヴァルシアの子供。
誰がどちらの国の子供なのか、見分けがつかない。
エリクは笑った。
「……あいつら、昔の戦争なんて知らないんだろうな」
悠真は頷いた。
「……うん」
ハインリヒは、静かに言った。
「……知らなくていい」
そして、「ただし、なぜ戦争が起きたのかは、伝えていかねばならん」
ルドルフも頷いた。
「……そうですね」
その夜。
国境の空には、大きな花火が上がった。
かつて戦火が広がりかけた平原に、今は人々の歓声が響いていた。
祭りの片隅で、両国の老人が同じ料理を前に座っていた。
片方の腕には、昔の戦争で負った傷がある。
「許したわけじゃない」と老人が言った。
「分かっている」ともう一人が答えた。
「それでも、孫にはここで飯を食わせたい」
二人は乾杯をしなかった。
ただ、冷めないうちにと、皿を互いの方へ寄せた。




