第百二話 病床の国王が退位を決意したので、悠真は新しい王に最後のお願いをした
王宮。
国王の寝室。
「……退位、ですか?」
ユリウスは、息を呑んだ。
国王アルベルト三世は、静かに頷いた。
「……ああ」
ユリウスは首を振った。
「父上、まだ……!」
国王は、かすかに笑った。
「……もう十分だ」
そして、「王国は、お前に任せたい」
ユリウスは、言葉を失った。
国王は続けた。
「私は、長く王として生きてきた」
「戦争も見た」
「飢饉も見た」
「多くの民が、食料を求めて苦しむ姿も見た」
ユリウスは、黙って聞いていた。
国王は続けた。
「だが、十年前」
「一人の若者が、五個のジャガイモを植えた」
「そこから、王国は変わり始めた」
ユリウスは頷いた。
「……はい」
国王は、静かに言った。
「王とは、すべてを知る者ではない」
「民の声を聞き、必要な者の力を借りる者だ」
ユリウスは、深く頭を下げた。
「……肝に銘じます」
国王は、かすかに笑った。
「……頼んだぞ」
数週間後。
王都アルディア。
王宮大広間。
国王アルベルト三世の退位と、ユリウスの即位が正式に発表された。
貴族。
軍人。
商人。
農業組合の代表。
そして、各地の村人たち。
多くの人々が集まっていた。
悠真とエリクも、その場にいた。
「……ついに、ユリウス殿下が国王になるんだな」
エリクが呟いた。
悠真は頷いた。
「……うん」
やがて。
ユリウスが、大広間へ姿を現した。
王冠が授けられる。
そして、ユリウス一世。
新しいアルディナ国王が誕生した。
ユリウスは、集まった人々を見渡した。
そして、静かに口を開いた。
「……諸君」
大広間が静まり返った。
「我が国は、今、大きな危機にある」
「寒冷化による凶作」
「洪水による農地の損失」
「食料不足」
「避難民の増加」
ユリウスは続けた。
「だが、我々は十年前にも、同じように絶望の中にいた」
「そのとき、王国を救ったのは、軍隊でも、貴族でもなかった」
悠真は、顔を上げた。
ユリウスは続けた。
「畑を耕す農民」
「種を分ける村人」
「食料を運ぶ商人」
「道を守る兵士」
「病人を助ける医療担当者」
「そして、困っている人を見捨てなかった人々だった」
大広間は、静まり返っていた。
ユリウスは、力強く続けた。
「私は、ここに誓う」
そして、「この王国を、飢えによって人が死ぬことを当然としない国にする」
大広間に、拍手が響いた。
式典のあと。
悠真は、ユリウスに呼ばれた。
「……悠真」
「はい、陛下」
ユリウスは苦笑した。
「……急に陛下と呼ばれると、落ち着かんな」
悠真も笑った。
「慣れてください」
ユリウスは頷いた。
「……努力する」
そして、「何か、望みはあるか?」
悠真は、しばらく考えた。
「……望み、ですか?」
「そうだ」
ユリウスは続けた。
「十年前から、お前は王国のために働いてくれた」
「何か褒美を与えたい」
悠真は、静かに首を振った。
「……褒美はいりません」
ユリウスは驚いた。
「……何?」
悠真は続けた。
「でも、一つだけお願いがあります」
ユリウスは頷いた。
「……言ってみろ」
悠真は、静かに言った。
「……農業の知識を、誰でも学べるようにしてください」
ユリウスは、顔を上げた。
「……農業の知識?」
「はい」
悠真は続けた。
「ジャガイモの育て方」
「トウモロコシの栽培方法」
「土壌改良」
「水路の管理」
「食料の保存」
「病害虫への対策」
「そして、災害への備え」
ユリウスは、静かに聞いていた。
悠真は続けた。
「それらを、貴族や一部の商人だけの知識にしないでほしいんです」
「……なるほど」
「村の子供でも、農民でも、誰でも学べるようにしてください」
ユリウスは、しばらく考えた。
そして、「……分かった」
静かに頷いた。
「王立農業学校を設立しよう」
悠真は、目を見開いた。
「……本当ですか?」
ユリウスは頷いた。
「もちろんだ」
そして、「さらに、各地に農業指導員を派遣する」
「農業組合と協力し、知識を広める」
悠真は、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
ユリウスは笑った。
「礼を言うのは、こちらだ」
数か月後。
ベルナ村。
悠真は、久しぶりに村へ帰ってきた。
村長ハインツが迎えてくれた。
「……悠真殿!」
「お久しぶりです」
ハインツは笑った。
「……王都では、大変だったようですな」
悠真は苦笑した。
「……本当に」
二人は、畑へ向かった。
そこには、ジャガイモが植えられていた。
寒さの影響で、以前ほどの収穫は期待できない。
それでも、農民たちは、土を耕していた。
「……変わりませんね」
悠真が呟いた。
数日前のことを、ふと思い出した。
退位の知らせを受けた夜、ユリウスは一人で備蓄表を見つめていた。
「父は、何度も判断を誤ったと言っていた」
悠真は答えた。
「間違えない王様はいません」
「なら、何を残せばいい」
悠真は王立農業学校の設立案を差し出した。
「俺の答えより、俺の答えを疑える人たちを残してください」
ユリウスは紙をめくった。
授業料の免除、地方からの推薦枠、失敗した試験の公開。
「農民の子も学べるのか」
「畑を知っている人ほど、教えてほしいことがあります」
新王は、その一文に最初の署名をした。
ハインツは頷いた。
「……ええ」
そして、「十年前も、ここから始まりました」
悠真は、畑を見つめた。
五個のジャガイモ。
百粒のトウモロコシ。
あの小さな始まりが、今では王国全体へ広がっていた。
「……ハインツさん」
「何ですかな?」
悠真は、静かに言った。
「俺、この世界へ来たとき、何も分からなかったんです」
ハインツは笑った。
「……そうでしたな」
「畑のことも、村のことも、王国のことも」
悠真は続けた。
「でも、皆さんが教えてくれました」
ハインツは首を振った。
「……わしらも、悠真殿から多くを学びました」
二人は、笑い合った。
そのとき。
遠くから、子供たちの声が聞こえた。
「……悠真先生!」
悠真が振り返った。
子供たちが走ってきた。
「ジャガイモの植え方を教えて!」
「トウモロコシも!」
「温室って、どうやって作るの!?」
悠真は笑った。
「……分かった、分かった!」
そして、子供たちと一緒に畑へ向かった。
その日の夕方。
悠真は、一人で畑に立っていた。
空には、夕焼けが広がっていた。
冷たい風が吹いている。
長い冬は、まだ終わっていない。
食料不足も、完全には解決していない。
洪水で失われた畑も、復旧の途中だった。
だが、悠真は、静かに笑った。
「……それでも」
そして、「……ここまで来たんだな」
そのとき。
エリクがやってきた。
「……悠真!」
「……どうした?」
エリクは、笑いながら言った。
「王立農業学校の最初の生徒が決まったぞ!」
悠真は、顔を上げた。
「……本当?」
「……ああ!」
エリクは続けた。
「ベルナ村から三人」
「アルト村から五人」
「希望村からも、四人だ!」
悠真は、嬉しそうに笑った。
「……すごいな」
エリクは頷いた。
「……ああ」
そして、「十年前、俺たちは食べることしか考えられなかった」
「……そうだね」
「でも、今は子供たちが農業を学ぼうとしている」
悠真は頷いた。
「……うん」
エリクは、静かに言った。
「……未来があるんだな」
悠真は笑った。
「……そうだね」
二人は、夕焼けを見つめた。
その向こうには、まだ長い冬が続いている。
だが、畑には小さな芽が出ていた。
それは、寒さに耐えながら、ゆっくりと成長していた。
悠真は、静かに呟いた。
「……大丈夫」
そして、「俺たちは、もう飢えに負けるだけの人間じゃない」




