第四話「報告されない名前」(仮)
宿の扉が閉まる音が、やけに重く響いた。
外の喧騒が一瞬だけ遠のき、部屋の中に静けさが落ちる。石造りの壁は冷たく、薄暗い室内には簡素なベッドと机が一つあるだけだった。
リナは部屋に入るなり、軽く息を吐いて腰を下ろした。
「……とりあえず、今日はここでいいかな」
「ああ」
短く返す。
だが、落ち着いたという感覚はなかった。
むしろ、街に入ってからの方が息苦しい。
あの門でのやり取り。名前を口にした瞬間の空気の変化。そして、通りを歩くたびに向けられる、意味の分からない視線。
そのすべてが、まだ体の中に残っている。
リナは机に肘をつき、少しだけ考えるような顔をしたあと、ぽつりと口を開いた。
「……さっきの騎士たちのことだけど」
その言葉で、空気がわずかに重くなる。
避けていたわけではない。ただ、今の状況では触れるのが怖い種類の話だった。
「どうなったと思う?」
問いは静かだった。
だが答えは、すぐには出てこない。
あの場面は、まだはっきりと頭に残っている。
崩れた隊列。倒れたまま動かない人影。そして、戻ることのできなかった結末。
「……助かっては、ないだろうな」
ようやくそれだけ言う。
リナは小さく頷いた。
「うん。たぶんね」
それ以上、会話は続かなかった。
しばらく沈黙が落ちる。
その間にも、外からは生活の音が聞こえてくる。荷車の軋む音、人の声、どこかで金属がぶつかる音。
世界は、何もなかったように動いている。
その事実が、妙に引っかかった。
「……報告とか、されるんだよな」
気づけば、口にしていた。
リナは少しだけ視線を上げる。
「されるよ」
あっさりした答えだった。
「騎士団の人間が動いてたし、あの規模なら普通に上まで行く」
「……じゃあ、遺族とかも」
「行くと思う」
淡々とした返事。
それが逆に現実味を持っていた。
この世界では、死はちゃんと“処理されるもの”なのだと分かる。
だが同時に、もう一つの違和感があった。
その“処理”のどこにも、自分は関わらない。
いや、関われない。
名前も、所属も、証明できるものもない。
あの場にいたはずなのに、その事実を説明する手段すら持っていない。
「……俺は」
言いかけて、やめる。
言葉にしても意味がない気がした。
リナはその様子を見て、軽く肩をすくめる。
「気にしなくていいよ。あんたがどうこうできる話じゃない」
「そういう問題か?」
「そういう問題」
短く言い切られる。
その言い方は冷たいわけではない。ただ、事実としてそうなのだと突きつけてくるものだった。
しばらくして、リナは立ち上がる。
「ちょっと外見てくる。情報あるかもしれないし」
「ああ」
一人になる。
扉が閉まったあと、部屋の静けさが一段と深くなった。
視線を落とす。
さっきまでの出来事が、少しずつ輪郭を持ち始める。
あの騎士たちのことは、もうどこかで“処理”され始めているのだろう。
誰かが状況を整理し、誰かが報告し、誰かが名前を読み上げる。
その流れの中に、自分の居場所はない。
ただそこに“いた”という事実だけが、宙に浮いたまま残される。
やがて、それすらも忘れられていくのかもしれない。
外から人の声が聞こえる。
誰かが何かを話しているが、内容までは分からない。
だが、その中に一瞬だけ、聞き慣れた単語が混じった気がした。
――騎士。
反射的に顔を上げる。
しかし、すぐに音は流れていき、意味は掴めなかった。
結局、自分はただの“通りすがり”でしかないのだと、嫌でも理解させられる。
関わった出来事でさえ、世界の中では勝手に処理されていく。
自分の意思とは関係なく。
それが、この場所の現実だった。




