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ようやく心臓が落ち着きを取り戻しつつある。それでも、あの死闘の空気を肌がいつまでも覚えている。
エーディトが隣を歩き、ミアは薄暗い館の中、食堂らしき場所に向かった。ミアたちが戦っている間に、エーディトは館中を移動し、使用人たちを一室に集めたのだ。これで全員だと使用人たちが認めた。全部で五人いた。
エンリヒ一人のためにしては広い、大きなテーブル。椅子は八脚もある。来客に備えてのことなのか、エンリヒが赴任する前の管理官が用意したものを放置しているのか。きっと後者だろう。
最初に合った三人に加え、十歳くらいの女の子が一人と、それよりももう少し年長の少年が一人増えていた。そう言われてみると、何度かここに報告に訪れた時にミアは顔を合わせていたかも知れない。
その時は何も意識していなかったけれど、こうして眺めてみると、そろいもそろって皆、ひ弱そうである。それも、使用人と呼ぶには幼い子供までいる。エンリヒ一人の世話をするのに五人という人数が多いようにも思う。
この中で誰が一番まともに口を利いてくれるだろうか。怯えて体を寄せ合う彼らに、ミアは嘆息した。結局、一番年長である女性に訊く。
「この館のコントロールルームはどこ? まずはあの門を閉めないと危ないから教えてほしい」
女性はびくりと肩を跳ね上げ、そうして震えながらボソボソと話した。
「わ、わたしたちは立ち入りを許されていなくて、出入りする方法がありません」
「……そう」
ミアの声が冷たく感じられただろうか。女性はひどく青ざめていた。
「あ、あの、エンリヒ様は、その、まだ……」
「さあね。あたしたちにここにいろって言った。すぐには戻れないけれど、戻るつもりはあるってことじゃない?」
淡々としたミアの声に、それでも使用人たちはほっと息をついて表情を和らげた。あんな堅物でも、使用人たちにとっては大事な主であるのだろうか。
ミアは理解できない者たちから目をそらすと、食堂の壁際に座り込んで端末をいじっているアヒムに声をかけた。
「アヒム、門を閉めたいんだ。どうしたらいいと思う?」
アヒムは気だるげに顔を上げると、軽く首を揺らしながらつぶやいた。
「コントロールルームに行ければ簡単だけど、多分管理官は鍵をかけてあると思う。でも、門のそばに電力が落ちた際に接続して操作する箇所があるはずだ」
確かにそうだ。電力が落ちるような非常時に出入りできないようでは困る。そうした対策が取れるように作られていて当然だった。
「わかった。アヒム、ついて来て」
そう頼むと、アヒムは渋々といった様子で立ち上がった。ミアは振り返り、エーディトに使用人たちについているように目で促した。女性のエーディトがいた方が空気は和らぐはずだから。エーディトはそれを察してくれた。腰のベルトを外してミアに自分のサーベルを手渡す。
「何があるかわからないから」
「……ありがとう」
エーディトの気遣いに感謝してサーベルを受け取った。クラインは、それでもミアの味方は自分ただ一人というのだろうか。エーディトたちは味方ではないと。そのことには反論もしたい。
ミアの後ろにアヒムが続く。念のためにと思うのか、デニスもついて来た。一度振り返ると、使用人たちと話しているエーディトとヤンの姿が目に入った。あの二人ならミアよりも上手く怯える彼らと話ができるだろう。ミアは安心して門へと向かった。
外には蹴散らされたキメラの骸がそのまま残っている。もしこれが消えていたとしたら、そちらの方が恐ろしいけれど。ミアはなるべくキメラの血や肉片を踏まないように気をつけながら石畳を歩いた。デニスはあの戦闘を見ていたのだから、今更怯えることもないけれど、アヒムはいつも青白い顔を更に白くして卒倒しそうだった。昨日の惨事の時も一番堪えたのはアヒムなのだと思う。
「大丈夫、もう動かないから」
そんなことを言ってみたけれど、アヒムにとってはそういう問題ではなかったようだ。無言でうつむいて、小さな歩幅でついて来た。
門の制御装置はどこなのか、ミアにはわかならい。門は鋼鉄で黒い塊にしか見えなかった。切れ目らしきものも見当たらないのだ。けれど、アヒムは開いた門の脇に立って抱えたノート型の端末を指先で操作し出した。この距離だから赤外線で干渉しているのかも知れない。
「……どう?」
強固なはずのセキュリティ。外部からの干渉を退けるプログラムがあるはずなのだ。中を護るために閉じるのに、そのプログラムに邪魔されるのだとしたらおかしな話である。
アヒムは口をひん曲げて、時折ブツブツとつぶやきながら端末を操作する。端末のパネルの光が太陽光の下ではまるで見えない。待つことしかできないミアとデニスをよそに、門はピピ、ピピと音を立てた。そして、門はゆるやかに閉じ始めたのであった。
黒い巨体がゆっくりと動く様は、それ自体が生き物のようで、何か恐ろしく感じられてしまった。これで外敵から身を護れる。安心のはずが、何故か外界から切り離されたような不安も感じる。裏腹な気持ちにミアは自分でも戸惑うだけだった。
「ありがとう、アヒム。さすがだね」
そっと声をかけると、アヒムは深く息をついた。
「そんなに難しいことじゃない。壊れてもいなかった。管理官が開けて行っただけだと思う」
慌てて、締めるのを忘れたと、ただそれだけのことだとアヒムは言うのか。
けれどミアは、あのエンリヒが、非常時にそうしたミスを犯すだろうかと考えた。そうした時だからこそ、慎重になるような人だと思う。
ミアは軽く首をかしげた。
――どうして門は開いていたのか。
それを早くエンリヒに訊ねたい。そうしなければ、不安が増すばかりである。