2-5
そうして、夜が来る。
食堂で皆が固まって、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
「そういえば、宿舎の方に連絡しないとみんなびっくりするわよね」
エーディトが壁際で膝を抱えつつ言った。
頼りなげなその仕草が庇護欲をそそる。同性のミアでさえ守ってあげなくてはと思う。
「だよな。こんな時だから、キメラに食われたんじゃないかって思われそうだ」
ヤンの軽口を誰も笑わなかった。アヒムはずっと端末をいじっていて、指先がどこか苛立たしげだ。
「……さっきからやってる。でも、繋がらない」
「え?」
「宿舎のどの端末とも繋がらない。通信環境が確保できない」
また、ひとつずつ繋がりが切れていく。ミアたちがいない場所で何かが起こっているのか、何かが起こっているのはミアたちの方なのか。
「管理官はここにいろって言ったよな。どうする?」
デニスが細い目をミアに向けた。少し悩んで、けれど、どうしようもないとわかっている。
「日が暮れてから動かない方がいい。今日はここで待機するしかないと思う」
「だよな」
ヤンはそれから、ひと塊になって身を寄せ合う使用人たちに向かって言った。
「なあ、食べるもんあるか? 腹減っただろ? 皆でなんか食おうぜ」
使用人たちはそろって身を強張らせた。震える様子は小動物さながらである。その怯えを憐れに思うのは、小さな子供が混ざるせいだろう。
「す、すぐに何かご用意を……」
年長の女性が立ち上がる。それから使用人たちは次々に立ち上がった。
けれど、年長の女性が幼い女の子と男の子に向かって首を振った。
「カルラはユリアンをお願い。私たちで間に合うから大丈夫よ」
「わかったわ、ディー」
女の子はツインテールを揺らしてうなずいた。気丈に見えたけれど、小さな手はしっかりとスカートを握りしめている。
その時、ミアはとある疑問を持った。ディーと呼ばれた女性と少年二人が食事の支度に取りかかり始めた後で、カルラという女の子と最年少のユリアンのそばへ近づいた。
「ねえ」
なるべく柔らかい声を意識したつもりではあったけれど、二人の子供は飛び跳ねそうな勢いで驚いた。カルラはとっさに右目を手の平で覆い、それからユリアンを背に庇うようにして立った。
「な、何か?」
「いや、大したことじゃない。あなたたちの名前は誰がつけたの?」
何度かここへ来たことがあるけれど、彼らが名を呼び合うのを初めて聞いた。
ただ、ミアたちも本来はナンバーで事足りてしまう。名前は、それが嫌で皆が互いにつけ合ったもの。
ミアたち管理者よりも格下とされる下働きの彼らに誰が名を与えたのかと思ったのだ。彼らも自分たちでつけ合ったのか。
「そ、それは……エンリヒ様が……」
と、カルラはか細い声で答えた。
「バルツァー管理官が?」
あの無骨な男が、使用人の一人一人に名を与えたと。
それは随分と意外な答えだった。ミアの知るエンリヒとはとても結びつかない。
「エンリヒ様はご自分のことを名前で呼んでほしいとおっしゃって、皆にも名前をくださいました」
そういえば、本来であれば『ご主人様』ないし『旦那様』が適当だ。主が使用人に名前を呼ばせているのは珍しい気がする。
「そうなの?」
「はい。一番年上がディートリンデ、ルース、ニクラス、私がカルラ、この子がユリアンです」
怯えつつもしっかりと話す賢い子だ。
カルラの後ろのユリアンにも声をかけてみることにした。
「ユリアンはいくつ?」
すると、ユリアンは大きな目をさらに大きく見開き、口元を押えながら声を漏らした。
「あ、ああ、あ――っ」
可愛らしい外見から発せられる不協和音にミアが驚いて目を見張ると、カルラはユリアンを小さな背で隠した。
「すみません、ユリアンは喋れないんです! ごめんなさいごめんなさい!」
あまりに必死で謝るから、ミアの方が驚いた。ひどく責め立てられたことでもあるのだろうか。
「いや、こっちこそごめん。知らなくて」
「いえ……」
カルラは、さっきからずっと右目を押えていた手を下ろした。
綺麗な緑色の左目に対し、その右目は白濁していた。宝石のような左目と、石ころのような右目。
カルラは悲しげに言った。
「私の左目は見えません。私たちは、どこかに欠陥を抱える粗悪品です」
粗悪品。
人間に使う言葉ではない。それを言ったのは誰だろうか。
「バルツァー管理官がそんなこと言ったの?」
すると、カルラは激しく病的なほどに頭を振って否定した。
「違います! エンリヒ様はそんなことをおっしゃいません!」
「じゃあ、あなたも自分でそんなこと言わなくていい」
こんな小さな子が言うべき言葉ではないし、それは事実ではない。
主であるエンリヒがカルラたちの値打ちをわかっていてくれたらいいのだ。
あの管理官は、ミアたち部下に接する時とは違う顔で使用人を大事にしているらしいから。
「……はい」
くしゃりと顔を歪めて、カルラは目元を擦った。
ユリアンはミアの顔をじっと見て、どこか無邪気に笑った。
気を許してくれたのかもしれない。だからミアもぎこちないながらに笑い返した。
この子たちがこの島で生きるのは大変なことなのだ。
エンリヒの庇護下にいられてよかったと皆が思っているだろう。
ミアがここで話し込んでいるうちにディートリンデたちが食事を用意してくれた。
その食事は宿舎で出されるものよりももう少し粗末だった。きっと使用人たちの食事を分けてくれたからだ。エンリヒのための食料には手をつけないつもりなのだろう。
多分チームの皆はそれに気づいているが、誰も文句を言わずに硬いパンを無言で食んだ。
その後、使用人たちが使っている離れに連れて行ってもらった。
そこのシャワールームを借りる。宿舎よりも少し広く、浴槽もあった。
ただし、滅多に湯を張ることはしないらしい。古いながらに綺麗に使っているのが見て取れた。
この非常時だ。いつでも戦えるように備えていなくては、と急いで汚れだけ落とす。
泡を流した時、扉がガラリと開いた。タオルで体を押さえた裸のエーディトが立っていた。
「わたしも入るね。広いから二人でもいいでしょ?」
状況をわかっていないのかと言いたくなるほどのん気だ。遊び半分では困るのに。
「あたしはもう出るから、一人で広々と使っていいよ」
水を含んだ髪を絞りながら言うと、エーディトはがっかりしたような顔をした。
「えー! こんな機会滅多にないんだから、ゆっくり入らない? 背中洗ってほしいなぁ」
「やだ」
「即答!」
むぅっと甘えたようにエーディトは頬を膨らませる。可愛いけれど。
ミアは髪が長いので、濡れた髪が背中に張りついて不快だった。早く出て乾かしたい。
仕方がないので、さっさとエーディトの背中を洗ってあげることにした。
スポンジを手にガシガシと泡立てて柔肌を擦る。
エーディトは嬉しそうにクスクスと笑っていた。何が楽しいのかよくわからない。
「くすぐったい」
「動かないの」
エーディトの肩を押さえると、肩甲骨の辺りに『073』とナンバーが入っていた。――こんなものがあるのを初めて知った。
自分ではなかなか見えないところに小さく入っている。自覚したことはなかったが、自分の背中にもきっと『080』と刻まれているのだろう。
覚えがないから、小さな頃に入れられたのだ。体にわざわざ番号を刻む理由はなんだろう。
手が止まったせいか、エーディトが振り返る。
「どうしたの、ミア?」
――どう言えばいいのだろう。
自分たちは人間なのに、番号が相応しくて名前の方が不釣り合いなような、嫌な気分になった。
「なんでもない」
それだけ答えると、エーディトはミアのことをじっと見つめた。互いに裸だという状況が妙だけれど。
他人の裸を見たのは初めてだ。エーディトは華奢だから胸の膨らみもほとんどなくて、同性とはいえ自分といろいろと違いがある。それから、腹に薄く縫い跡があった。キメラとの戦いで負傷したのだったか、どうだっただろう。
「ミアの体は綺麗ね」
エーディトがポツリ、と零した。
目立ったところに傷はないかもしれない。
「油断したらいつ怪我をするかわからないけど」
死ななければ怪我くらいしても仕方がないと割り切ってはいる。
そうしたら、エーディトは苦笑した。
「そういう意味じゃないの」
「ふぅん?」
「とっても、綺麗……」
うっとりとつぶやく。
なんとなく、今日のエーディトはいつもと違って見えた。
寝室はベッドがあるだけの簡単なもので、男女に分かれている。
ディートリンデとカルラの二人部屋にミアとエーディトも入れてもらった。ひとつのベッドを空けてもらって、ミアとエーディトが共寝である。多少窮屈だけれど、男部屋はもっと窮屈だろう。ユリアンが可哀想だなと思った。
ふと、エーディトに背を向けて横になっていると、そんなミアの背にエーディトがピッタリと体を寄せてきた。互いに制服を脱いでシャツだけになっているから、余計に熱が伝わる。
寝ていても心細さはあるのだろうか。このところやたらと甘えたがる。
思えば、シャワーもだが、こうして誰かと同じベッドで眠ったことなどこれまでに一度もなかった。
管理者の規則は厳しい。管理者はチームメイトでも同じ部屋で眠ってはいけないし、シャワールームも同じ個室に入ってはいけない。
あまり親しくなりすぎると任務に差し障りが出るという判断だと思っていた。けれど今日、エーディトの背中の番号を見て複雑な気分になった。もしかするとその禁止事項は、親しくなりすぎないようにという理由ではないのかもしれないと。
これまでの日常は変わり映えのないことの繰り返しで、その辺りに疑問さえ持たずに過ごしていたのだと今更ながらに思った。
色々なことを考えながら目を閉じる。
そうして、長い一日が終わった。
明かりを閉め出したまぶたの裏に浮かぶのは、リーンハルトの姿だ。
リーンハルト――クライン――ミアの、きょうだい。
【 2 ――To be continued―― 】




