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リュキアの小人  作者: 五十鈴 りく
3♦唯一の味方

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11/23

3-1

 寝ついたのは、宿舎の自室ではない。

 ここはいつもと違う場所だ。隣にはエーディトがいる。

 それでも、クラインはミアの夢に現れた。


 ガラスの向こう、靄のヴェール。

 かすかに見える、笑った口元。小さな手の平――。


「やあ、ミア。大変な目に遭ったね」


 顔は見えない。けれど声は弾むように感じられた。


「大変だった。でも、助けてくれてありがとう」


 クラインはミアの味方。

 もう疑わない。

 危険はあったけれどそれを実感した一日でもあった。


 すると、クラインは小首を傾げたように感じられた。

 ろくに顔も見えないのに、そんなことだけはわかる。


「どうしたの、ミア?」

「どうって……」


 助けてくれた。駆けつけてくれた。

 けれどクラインは未だに自分の正体を明かそうとしない。それならば、こちらから現実の名を口にしてはいけないのかもしれない。真実は自らの胸にあればいい。

 言い淀むと、クラインはクスリと小さく笑ってみせた。


「ねえ、ミア。明日――いや、もう今日だね、今日、エンリヒ・バルツァー管理官が邸宅に戻るのは午後六時三十三分。だからね、それまでは絶対に門の外へ出てはいけないよ」

「今度は何があるの?」

「外で何が起ころうとも、君だけは外に出ちゃいけないよ」

「ねえ、何が起こるの?」


 胸騒ぎがする。不安を煽るその言葉。

 クラインはそれでも続けた。


「まだ知らない方がいい。いいね、絶対に外へは出ないで」


 いつになく強い声でクラインはそう結んだ。

 外へ出るなと。それが何故なのかも教えようとしてくれない。

 けれど、クラインがそう言うのならばそこには確かな意味があるはずなのだ。

 今更クラインの言葉を疑わない。そう自分に言い聞かせた。


「うん、わかった」


 うなずいて返すと、クラインは安心したように思えた。

 ふわりと視界の靄が色濃くなり、目覚めが近いと感じながらそこに佇んだ。


 夢の中、幼い姿のミアは、音が伴わない言葉を唇でなぞるようにしてつぶやいた。

 (うつ)し世の彼の名を――。




 外に出るなとクラインは言った。

 アヒムのおかげで門はしっかりと閉じられている。ミアが自力で開閉できるものでもない上、エンリヒには待機を言い渡されている。外へ出る用事はなかった。


 翌朝になってエーディトと一緒に食堂へ行くと、アヒムがテーブル席で端末を操作しながら難しい顔をしていた。相変わらずメインコンピューターへアクセスを試みているのだろう。

 使用人たちは朝食の準備をしてくれていて、デニスとヤンは向かい合って座り、何かを話していた。今後のことではないかと思われる。


「おはよう」


 声をかけても、アヒムは顔を上げなかった。きっと前髪の下の眼球を少し動かしたくらいだ。


「おはよ」

「おはよう」


 代わりにヤンとデニスが返してくれた。二人とも爽快な寝覚めではなかったらしく、なんとなく疲れて見えた。

 ミアは椅子に座り、うつむいたままのアヒムに再び声をかける。


「メインコンピューターは変わりない?」

「メインコンピューターもだけど、宿舎にも繋がらない。どこにも繋がらない」


 その声は苛立たしげであった。アヒムはいつでもコンピューターが一番の友達だった。それが、急に口を利いてくれなくなったような素っ気なさに傷つくのだろう。

 エーディトもミアの隣に座ると、寒いわけでもないのに自分の腕を擦った。


「それって、今わたしたちに何かあっても、助けを呼べないってことじゃないの?」


 場が静まり返るひと言だった。

 けれど、それは違うと思った。


「ううん、大丈夫。ちゃんと駆けつけてくれる。昨日だってそうだったじゃない?」

「そうかな……」

「今は待機。バルツァー管理官が戻るまで体力を温存しておこう」


 この島には、リーンハルトが――クラインがいてくれる。

 だからミアは不思議なくらい不安を感じていなかった。それを皆に伝えるのは難しかったけれど、リーダーである自分が揺るがなければ、皆も落ち着いていてくれると思いたい。

 少なくとも、エーディトはミアの言葉を信じることにしてくれたらしい。


「そうね。でも、宿舎のみんなはわたしたちのチームが戻らなくて大騒ぎだと思うから、早く戻れたらいいんだけど」

「キメラに食われたかもって? エーディトやミアならまだしも、ヤローは美味しくないだろうなぁ。デニスとアヒムなんてヒョロイから食うとこないし」


 ヤンがそう言って吹き出した。デニスはわざとらしくため息をつく。


「聞いたか、アヒム。俺たち食われずに生き残れるな」


 その言い分にエーディトもクスクスと笑った。こんな状況だからこそ、彼らも明るく努めようとするのかもしれない。


 朝食にはディートリンデが備蓄してあった小麦粉でパンを焼いてくれたようだ。

 香ばしい匂いを嗅いだら急に空腹を感じた。バスケットに盛られたパンは噛み応えのある、素朴なハードタイプのパンだった。

 それとコップ一杯のミルク。とはいえ、焼き立てのパンは十分なご馳走だろう。


「こんなものしか出せなくて申し訳ありません」


 食事を運んできたディートリンデが皆にミルクの注がれたグラスを配る。


「ありがとう」


 そう返した時、厨房と食堂の入り口でユリアンがじっとミアを見ていることに気がついた。

 あの話せない小さな男の子だ。じっと、ミアを扉の陰から見ている。


「あなたたちは食べたの?」

「え? ああ、後で頂きます」


 ディートリンデはトレイを抱きしめつつ言ったけれど、後でというのはいつだろう。朝昼兼用で一食なのかもしれない。小さな子供にはつらいだろう。

 匂いに釣られてしまったユリアンに手招きする。


「一緒に食べようか?」


 すると、ユリアンは嬉しそうにパッと顔を輝かせた。頬を紅潮させる様はとても可愛らしい。ただ、その後ろからやって来たカルラが、弟分のユリアンを躾けるように厳しく言った。


「駄目よ、ユリアン。子供でもちゃんと弁えなきゃ。あなたも私も後で(・・)よ」


 ユリアンはしょんぼりと切ない目をミアに向けた。少しくらいいいのではないかと思ったけれど、それをディートリンデは見透かしたようだ。


「ユリアンはまだ小さいですが、それでもこの館の使用人です。今後のことを思えば厳しくしなくてはならないのです。お気持ちだけありがたく頂いておきますが、どうぞお気遣いなく」


 甘やかしてくれるなと。集団にはルールがあり、外の連中がそれを乱してはいけない。

 その理屈は、ミア自身も集団に属するからよくわかる。可哀想だけれど、後で余計に叱られるのなら無理強いはできなかった。


「そう。じゃあ、あたしたちは頂くよ」

「はい」


 ディートリンデは厨房へ戻り、ミアたちだけが食堂に残された。

 皆、よく味わってパンを噛みしめた。よく噛むほどに味が出る。ゆっくりと食事を取りながら、デニスがぽつりと言った。


「なあ、待機って、いつまでだろうな? 管理官はいつ戻るんだろう?」

「ああ、それは――」


 ミアは軽く答えそうになってしまい、それをとっさに飲み込んだ。


 ――明日――いや、もう今日だね、今日、エンリヒ・バルツァー管理官が邸宅に戻るのは午後六時三十三分。


 クラインが指した時刻はいつも正確だ。その正確な時間を言い当てたミアを皆はどう思うだろう。クラインに教えてもらっているから知っているだけだけれど、当たれば当たるほど皆には薄気味悪いものでしかない。

 本当に、すべてを()るというクラインは、どうして未来を予言できるのだろう。


「やっぱり日が暮れてからじゃないかと思う。セントラルですることをしてから戻るんだろうし……」


 無難にぼかして答えるしかなかった。

 けれど、それでよかったのだろう。ヤンはふぅんとつぶやいた。


「早く現状をどうにかしてほしいところだけどな」

「うん……」


 クラインによると、エンリヒが戻るまでに何かが起こる。

 その詳しい内容はわからないけれど、何が起ころうとも外へ出てはいけないと言った。

 皆のことも外へ出してはならない。


「とりあえず、管理官が戻るまでは完全に待機」

「わかったけど、退屈だな」


 寝不足なのか、デニスがあくび混じりに言った。


「非常事態なんだから、体力が温存できるのはいいことでしょ」


 こういう時、場を和ませてくれるエーディトの存在は貴重だった。

 ヤンはエーディトが言えば大概は逆らわない。


「それもそうだな。何か大事(おおごと)になるよりは暇の方がずっといいや」


 そう言って手に残っていたパンの欠片を口に入れた。

 皆、それぞれに味わって朝食を終える。


 結局、ユリアンが腹を空かせていないか気にしつつも、掃除をする彼らの邪魔になりそうなので廊下へ出た。

 すると、アヒムだけが一人、端末を抱えて輪から離れていった。アヒムは一人でいることが好きなので、誰も止めない。以前から、よくあることだ。


「ねえ、ミア。今日はこれからどうするの?」


 エーディトに尋ねられ、少し考えた。

 門の外へは出るなと言われたが、建物のそばなら外へ出てもいいという解釈で合っているだろうか。


「そうだな、サーベルの手入れでもしようかな。ベタベタのままで使えないし」

「ああ、俺も」


 ヤンはそれに乗っかるが、デニスはうぅんと唸った。


「外のキメラの残骸、なんとかしないとマズいよな? あのチビたちに片づけろって言うのはさすがに可哀想だし……。俺、昨日は役に立てなかったから、掃除くらい引き受けるよ」


 昨日のことを案外気にしてしまっているようだ。

 リーンハルトの腕前は見事だった。それを目の当たりにして自信を失ってもいるのだろう。


「ありがとう。サーベルの手入れが終わったら手伝うから」


 そう言うと、デニスは苦笑した。エーディトはミアの後ろに隠れながらデニスに問いかける。


「わ、わたしも手伝った方がいい?」

「いいよ、エーディトは。卒倒されたら余計に仕事が増えるし」

「う……」


 汚れたサーベルは玄関の方にある。

 ミアは爬虫類のキメラの残骸くらいで食事が喉を通らなくなることはない。だから外へ出て水道を使うことにした。

 エーディトは玄関先で足が止まっていた。昨日の惨事を思い出したのか、漂ってくる異臭のせいか。


「エーディト、無理しなくていいから。室内の掃除でも手伝っておいでよ」


 助け舟を出すと、エーディトは涙ぐみながらうなずいた。


「そうする。ごめんね」


 パタパタと駆け去るエーディトの足音を聞きながら三人は苦笑した。


「可愛いね。あたしにはああいうリアクション無理」


 思わずミアが言うと、ヤンとデニスは否定しなかった。顔を見合わせて笑っている。


「だな」

「頼もしくて助かる」


 怒る気も起きない。そのまま、一日経って嫌な臭気を放ちつつある正面玄関に出た。

 噴水の水はやはり止まっている。どこかに水道の蛇口がないか見回した。どす黒く変色した緑色の血のついたサーベルを手に、屋敷を壁伝いに歩く。ヤンもそれについて来た。


「……なあ、ミア」


 ぼそり、とヤンが言う。


「うん?」


 ポニーテールの毛束を揺らして振り向いた。

 すると、ヤンは二人きりになったせいか表情がどこか暗く、いつもの朗らかさが薄れていた。


「これからどうなるのかな、俺たち」


 ぽつりと口をついて出る。こんな状況に不安がないはずはない。

 けれど、自分よりもか弱いエーディトを前に弱音など吐けなかったのだろう。

 自分たちもまだ経験の足りない若者でしかないのだと、時々冷静になってしまう。


「大丈夫だよ、きっと」


 はっきりとした口調でそう言いきった。断言してしまえるのは、クラインがいてくれるからだ。

 クライン――リーンハルトが。

 だから、ミアには他の皆に比べて不安が少ない。こうして皆を勇気づけてあげられたらいい。


「お前は強いなぁ」


 呆れたように言われた。

 自分が抱いているのと同じ不安に共感してもらえなかった。相手の感情が欠落しているとするような、僅かなずれ。

 どう言えば励ませるのかが正直なところわからなかった。


「お前はリーダーだもんな。俺たちの中で誰より能力が高い。だから、エーディトもミアのことを一番頼りにしてる」


 これを言った時、ヤンは笑っていなかった。珍しいくらい真剣な射るような目を向けてくる。

 返答に困っていると、ヤンは続けた。


「同じようにしてるのに、なんで特別になれないのかな。個体差とか、能力ってなんだろうな?」

「どうしたの、急に?」

「わかんないな。上手く言えないんだけど」


 この非常時に、いつものルーティンから外れた行動を取ったことで、ヤンは自分の在り方に疑問を持ったように見えた。

 逃げ出したキメラを捕縛する。そのために鍛錬し、毎日を過ごしている。

 その暮らしに疑問を――。


 ふと、思う。

 夢の中のクラインと同じ年頃のミアはどうしていたのかと。

 さすがにあの幼さでキメラと対峙することはできない。育って管理者になるまでの自分は何者だったのかと。


 ――何者でもない。ただの子供だ。


 皆そうだ。ただの子供だった。

 管理者になってから、やっと値打ちが生まれたのだ。


 ヤンはそれ以上の弱音を吐かなかった。



 屋敷の裏手の辺りで水道を見つけた。屋敷の壁に蛇口が備えつけられている洗い場だ。

 蛇口を捻ってみると、濁りのない水が出てくれたのでほっとした。噴水に関しては、非常事態だからエンリヒが出ていく前に水の供給を止めたのだろう。


 蛇口のそばに掃除用らしき小さなブラシがあり、それを拝借する。

 サーベルの刃を落下する水に当てると、跳ね返って水飛沫が散った。その水が頬にかかる。

 力を入れて擦ってみると、血は流れても脂がぬらりと光っているのがわかった。気持ちのいいものではないが、無心でブラシを動かした。


 そうして納得がいくまで磨いた。刃が光を取り戻すと、ブラシをヤンに渡した。

 ヒュ、とサーベルを振るって水気を飛ばす。

 ヒュ、ヒュ、と続けてサーベルを振るううちに、ミアの頭の中も徐々に研ぎ澄まされていく。


 リーンハルト。


 今日、エンリヒがここに戻る。

 その時、リーンハルトを伴っているだろうか。


 ――きっと、いないだろう。

 本来であればそうそう出会える人ではない。


 けれど、会いたい。会って声を聞きたい。話をしたい。

 その想いが胸の中で広がっていく。切なく胸を締めつける。


 ヒュ。

 サーベルをピタリと止めるとおもむろに手を下し、刀身を鞘に収めた。


 鞘に、あるべきところに収まった。

 それとは裏腹に、心は満たされない。

 脳裡にこびりついて離れないのは、彼のあの眼差し――。


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