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バルツァー管理官というミアたちの上官が住む区域に一人で向かう。
雲の合間から漏れる太陽光と潮風がミアの歩く並木道にある。その道は海岸にも続いていた。
上官たちの乗る自家用車のため、島にはある程度整備された道が通っている。
本当は、地道に歩いて向かわずとも宿舎にバイクがある。
ただ、ミアはこの道が割と気に入っているのだ。程よい日差しと風が心地よい。
それと、宿舎では皆がひしめき合うように生活しているから、一人になれる時間が好きだ。
チームの皆と気が合わないわけはないけれど、たまにはこうして風当たりのよい時が必要だと思うのだ。
急ぐでもなく道を行き、背の高い塀に取り囲まれた聳える建物を見上げた。塀の中は玄関までが遠く、その道の途中には噴水がある。何度も入ったことがあるからそれくらいは覚えていた。
ここがミアの上官のいる邸宅である。
ミアは短く息をつき、気を取り直してインターホンのボタンを押した。
ブー、と飾り気のない音がする。そのボタンのそばにあるパネルに向かって訪いを告げる。
「チームⅣリーダー、ナンバー080です。被検体T-022の捕縛報告に来ました」
ピピ。
電子音が僅かに鳴って屋敷を取り囲む塀に切れ目ができた。鋼鉄の門が開いたのだ。
『入れ』
感情の籠らない短い言葉がパネルの奥から聞こえた。
許可が下り、門の中へと歩を進めた。
そこから玄関まで、石畳の道を行く。原始的に手を使って開くこともなく、扉はミアが手前まで来ると開いた。
硬質な素材の廊下を音を立てて歩く。すれ違う使用人たちは脇にそれてミアに道を譲ると頭を下げた。
戦うことのできない者はこの地でよい扱いは受けない。雑務をこなす使用人にしかなれないのだ。
だから、管理者たちの機嫌を損ねたくないとばかりにへりくだる。単純に非力な者が武力を恐れるのは当然のことかもしれないが。
彼らに声をかけることはせず、ミアは廊下を突き進む。
主の趣味か、無駄な装飾はほぼないと言えた。
変化のない白い壁が続いている。時々迷いそうになるのもそのせいだ。
そして今日も、なんとか無事に上官の部屋まで辿り着けたようだ。来訪者がそばにやって来たのを察知し、スライド式の扉はまたしてもサッと開いた。
その入り口から部屋の中が見える。
かつて、書斎と呼ばれた主の部屋には紙の本が棚に収められていたのだと言う。今時そうした劣化する紙の本はないけれど、それを模したホログラムが壁一面に広がっている。
読みもしない本を壁紙のように収めた過去の人の気持ちがわかるほどに、本の背表紙が作り出すその背面は美しかった。
部屋に鎮座する大きな長方形の机はコンピューターパネルでもある。ここで入り口の開閉を操作していたわけだ。
その机に両肘をつき、手の甲で顎を支えるようにして座っている男がミアの上官である。
「任務は滞りなく遂行した。そうだな?」
「はい」
エリアB管理官エンリヒ・バルツァー。
デニスよりもさらに長身で筋肉もあり、体格に恵まれていると言えよう。研究者というよりも兵士のようだ。
顔立ちも精悍で、二十代後半。この島の中では年長者の部類である。
黒地に金の釦、管理官の制服に身を包んでいると、怜悧ではあれど弱々しさは微塵もない。実際、戦う姿を見たことこそないが、隙のない男だからそれなりには戦えるのだろう。
ミアは手短に報告をした。エンリヒは冗長な報告を嫌う。ミアもまた長く話し込みたいとは思わない。互いの利害は一致していると言えるのだろう。
「――報告は以上です」
そう結ぶと、エンリヒは微かにうなずいた。
「わかった。下がれ」
「はい。失礼します」
軽く頭を下げ、ミアはエンリヒのいる部屋から退出した。ひと仕事終え、ほっと息をつく。
今は戻ってシャワーを浴びてさっぱりしたかった。この邸宅を抜ける際の足取りは軽かった。
門を抜ける時、一度だけ振り返る。そこに何かがあるわけではない。ただなんとなく――。
労いの言葉ひとつかけないエンリヒのことをいけ好かないと言う仲間もいる。
けれど、ミアはそうは思わない。管理官なんてあんなものだろう、と。
ミアたちのチームは大きな失敗をしたことがなかった。
それ故に咎められたこともないのだけれど、もしその時が来たらエンリヒはどのようにして怒るのだろう。ミアには今のところ想像がつかなかった。あまり感情的な彼を思い浮かべることができないのだ。
ただ、そんな彼にもひれ伏す相手がいるのだ。
この島の管理者の総括――機関の副総帥だ。末端のミアたちにとっては口を利くこともないような存在である。
本土にいる機関総帥の血縁であると言う。年齢はミアたちと同じほどでしかない。
何度か目にしたことがあるにはあった。黒く艶やかな髪をした少年である。
背はそれほど高くはなく、華奢と呼べる体格であるけれど、痩せぎすと言うよりはしなやかと表現できるだろう。
切れ長の目は長い睫毛に縁取られ、美しいとはこういうことかと彼を初めて見た時に感じた。性別も好みも超越したところに彼の美しさはあった。
だからか、同じ生き物とは思えない。根本が違うと、そんな風に誰もが感じたのではないだろうか。
だからこそ、年長のエンリヒでさえもかしずくことに抵抗がないのだという気がした。それこそが高貴な血のなせる業なのか、そんなことはミアにはわからないけれど。
リーンハルト・グレーデン。
それが特別な彼の名だった。ミアの知る限り、この島で彼を親しげに呼ぶ者などいない。
この島では役職で済んでしまい、固体の名など意味のないものではあるけれど。
本来ならばミアたちもナンバーで事足りてしまうのだが、それではあまりに味気ない。だから管理者たちは互いにはナンバーではなく名で呼び合うのだ。
ミアが宿舎に戻ると、食堂でエーディトたちが食事を取っていた。銀のトレイに乗ったワンプレート。栄養バランスが整えられたランチである。
チームごとにテーブルは決められている。ミアはボックスの前で個人の認証を受け、カタカタと音と振動をさせながら開いたボックスの中からトレイを受け取る。味は常に淡白であるけれど、ミアはあまり食事に興味がなかった。ここをこうしたらもっと美味しいとか、そんなことを語るヤンの方が不思議だ。
「あー、ボソボソするな、これ。なんだ? 色は人参っぽいけど」
そんなことを言いながら食べているヤンの隣に、ミアはトレイを置いて腰かけた。
「ミア、おかえり」
エーディトの声が嬉しそうに弾む。ミアは淡々と、いつも変わりない。
「ただいま」
それだけ答えると、ミアはスプーンを謎の人参色の塊に突き刺した。それはほろりと崩れる。本当に何かよくわからないけれど、確かに食べたらもそもそして美味しくはなかった。まあいいかと思って食む。
「それで、報告は終わったんだろ? なんか言われたか?」
デニスも尋ねて来るけれど、変わったことは何もなかった。
「別に何も。いつも通り」
「ふぅん。バルツァー管理官って怖いわよね。もうちょっと愛想よくてもいいのに」
エーディトはそれほどエンリヒと接したことはないが、だからこそ余計にそう思うらしい。
「上官にとったら俺たちなんて使い捨ての駒だからな。愛想振り撒く必要もないんだろ」
と、ヤンもスプーンを置きながらぼやいた。
アヒムもミアと同じく食事にこだわりはないらしく、無言で食べ続けている。静かで、時々いるのかいないのかわからなくなる。
「まあいいや。今日はこのまま何事もなく過ぎるといいんだけどな。とりあえずトレーニングしとくか」
デニスはあくびをひとつして立ち上がった。
トレーニングは空き時間に自主的に組み込む。やらずに済ませることもできるけれど、それをした場合、実戦で待つのは死――とも言えてしまう。
それを肌で感じているからこそ、管理者たちはトレーニングを怠らない。デニスの狙撃の腕も研鑽の賜物だ。
ミアはヤンと組んで剣術のトレーニングをすることにした。
宿舎の裏手、鍛錬場という名のただの開けた場所――で。
男子のヤンの方がミアよりも膂力に優れる。けれどミアの方が素早い。
互いに特性が違うのだ。ミアよりも素早さも力も劣るエーディトと組むよりは実りのあるトレーニングになる。
しかし、ヤンとばかり組んでいたらエーディトが育たない。メンバーである以上、それは困る。
最終的にはヤンと二人がかりでエーディトのトレーニングをサポートする。それが日課だった。
はあ、はあ、と肩で息をしてサーベルを取り落としたエーディト。容赦のないトレーニングは今日の実戦以上に疲れたようだ。
膝をついてしまった彼女に、ミアは鍛錬とはいえ真剣を向ける。
「ほら、エーディト、実戦だったら死ぬよ」
厳しいかもしれない。けれど、実戦であればキメラは必死で抵抗する。事実、命を落すこともあるのだ。
エーディトは紅潮した顔を向け、潤んだ瞳で薄く微笑んだ。
「そういう時が来たら見捨ててくれてもいいのよ」
「馬鹿なこと言わないの」
嘆息してミアはサーベルをしまった。そんな様子をヤンが心配そうに眉を下げて眺めている。
エーディトは頼りない脚で立ち上がり、スカートについた砂を払った。
「ミアは優しいから、そんなことできないのよね。でも、本当にいざとなったらいいのよ」
「馬鹿」
短く言った。本当に馬鹿だ。
ミアは別に優しくない。いざとなったら見捨ててもいいと思っている。
けれど、それをしなくても済むように鍛錬するだけのことなのだ。
エーディトはフフ、と笑った。




