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リュキアの小人  作者: 五十鈴 りく
1♦管理者

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3/23

1-3

 その晩は、いつもと変わりなくシャワーを浴びてさっぱりすると眠りについた。

 正方形の狭い、備えつけのクローゼットを除けばベッドとサイドテーブルしかないような部屋だけれど、個室が与えられているだけましだろう。飾り気はなく、そうした奢侈も認められてもおらず、ただ眠るためだけにここに帰る。


 洗濯物は洗濯ルームのナンバーで仕分けられたボックスに入れておけば洗濯されて戻ってくる。ベッドシーツが清潔に保たれているのはありがたい。あまり顔を合わせることはないけれど、雑用を担当する人員も宿舎にはいるのだ。


 ベッドに横たわった時、ミアはほどよく疲れていた。ふわりと体が浮かぶような感覚の心地よい眠りが訪れる。

 ――これがミアの日常であった。キメラの捕縛、トレーニング、体を酷使して疲れて眠る。


 ただ、その日は夢を見た。



 モザイクをかけたような鮮明ではない画像という認識。

 それは夢だからなのか。


『――ねえ、君と僕はきょうだいなんだよ』

『きょうだい?』


 子供の声だ。かける声も答える声も幼い。

 けれど、ガラスの向こうにいる小さな影が繰り出す言葉はどこか大人びても感じられた。


『そう、きょうだいだ。この狭い島の中で唯一の味方なんだよ』

『みかた……』


 狭い島とはこのリュキア島のことだろうか。それ以外には思い浮かばないのだからそうなのだろう。

 けれど、唯一の味方とはどういう意味か。そもそも、きょうだいとは――。


 ミアの意識は小さな子供の体にあった。これはミアが子供の頃に見た夢なのだろうか。

 ガラスの向こうの影はうなずいたように感じた。


『忘れないで、ミア』

『わすれない……』


 施設のどこかのように無機質な壁と床。

 突如、霧が発生したと思うほどに視界が白くぼやけた。小さな影は霧の中に溶けて消えたかに思われた。

 ただ、最後にその影はミアに向けて笑った。顔も見えないというのに、何故か笑った、と。


『忘れないで、僕はいつも君のそばにいる』

『わすれない』

『そう、いつだって――』


 ハッと我に返り、ミアは上半身を起こした。

 汗がじっとりと滲み、浅い呼吸を繰り返す。

 口元を押えた手が小刻みに震えていた。その理由も何もわからないままに。


 そうだ、この夢を見たのは初めてではない。久しぶりに見た。


 目覚めれば日々に追われてまた忘れてしまうけれど、見るたびに初めてではないと思い出す。

 けれど、これほどまでに鮮明であったことが今までにあっただろうか。相手の顔さえ後少しで見えそうな近さだった。以前はもっと漠然と、声だけが頭に響いたのに。


 忘れないでと繰り返す声。忘れないと返す自分。


 けれどミアは覚えていない。相手の名前も存在も覚えていないのだ。

 それを責めるかのように夢に出る。それでも、思い出すことができないでいる。あれが誰なのかを。


 いつもそばにいるというけれど、ミアのそばにいるのは管理者の仲間たちくらいだ。それなら、管理者の誰かがミアの『きょうだい』なのか。幼すぎて、おぼろげ過ぎて、性別すら明確ではない。


 それならば、その『きょうだい』はあんなにも念を押したというのにミアが忘れ去っていることをどう思っているのだろう。何故、何も言ってこないのだろう。

 ひと声かけてくれさえすれば思い出すかもしれないのに。


 結局、これはただの夢なのか。ミアに『きょうだい』というものは存在しないのかも判然としない。


 ただの夢であってほしいとミアは思った。

 そうでなければ、あの子を忘れてしまったことがミアの罪のように感じられるから。



     ♦



 何もない、いつもと同じ朝であるはずだった。けれど、今日はそうして始まらなかった。

 ミアが身支度を整えて食堂へ向かうと、そこには管理者たちの人だかりがあった。食事を取っているふうではなく、静かに、それでもざわついている。


 嫌な予感しかなく、ミアは顔をしかめながらその人だかりに近づいた。その中心にいたのは意外なことにアヒムだった。

 ノート型の端末を両手の指先で素早く操作しており、暗がりになったアヒムの顔にパネルから放たれる薄青い光が陰影を作っていた。


「アヒム?」


 ミアがそっと呼びかけてもアヒムは反応しない。無心で端末に触れている。その仕草はどこか病的にすら感じられた。

 答えないアヒムに代わり、エーディトが人を掻き分けてミアのそばにやってくる。そうして、息がかかるほど近くで耳打ちした。


「メインコンピューターにアクセスできないんだって」

「えっ?」


 不具合が生じたと、そういうことらしい。けれど、今までそんなことがあっただろうか。ミアが知る限りでは初めてのことである。

 メインになんらかの不具合が生じた時、当然ながらサポートするサブコンピューターがある。それすらも機能していないというのだろうか。

 単なる接続障害で、しばらく待てば平常に戻るかもしれない。現段階で何かが起こったとするには早計だ。


 実際、扉の開閉などは建物に備えつけられたコンピューターの管理である。メインとの接続ができずともそこは問題なく行える。焦って無駄な行動を起こすよりは待った方が無難だろう。そう考えたけれど、それは浅はかというもの。

 アヒムは疲れた顔をして力なく首を振った。


「駄目だ」

「少し待ってみたら?」


 ミアが言うと、アヒムは人垣の中のミアに向けてボソリと、それでもしっかりと届くように答えた。


「メインコンピューターにアクセスできなければ、もしその隙にキメラが行動を起こしても僕たちには知りようがない」


 いつも管理者たちは上層部から寄せられた情報をもとに行動を起こす。どのキメラがどちらの方へ逃げたか、その情報があるからこそ優位に立って捕縛することができたのだ。なんの情報もなく対処するのとでは難易度がまるで違う。

 それでも上層部の面々は管理者たちにどうにかしろと言ってくるだろう。そんな予感がした。


 早くメインコンピューターの不具合が直ると思いたい。

 ミアは緊張から主張のうるさい心臓を押え、目を閉じた。今、すべきことは何かと。


「メインコンピューターが馬鹿になってるとしたら、鉄線の電流も通ってなくて、キメラにしてみたらものすごいチャンスだったりするのかも?」


 そう言ったのは、違うチームのリーダーであるケヴィンだ。整った顔立ちに外ハネの茶髪、思案する姿はこんな時でも様になった。


「そんな怖いこと言わないでよ」


 女子の誰かがそんなことをつぶやいた。


「ここで待つ? でも、外も気になるね」


 同じリーダー格であるミアが振ると、ケヴィンも困惑気味にかぶりを振った。


「今日は外へ出ずにもう少しこのままで様子を見よう。一時的なものかもしれないし、もしかすると管理官から連絡が来る可能性もある」


 エンリヒたち管理官もこの事態に動いているはずだ。待った方がいいと言うケヴィンの意見には誰も逆らわなかった。


 その日は結局、これと言って動きがなかった。

 なんの指示もないまま一日が過ぎていく。食事の蓄えは五日分ほど用意されている。今すぐ飢えるというわけではないけれど、食料が乏しくなれば皆の不安が増す。一刻も早く指示がほしいとこの時ばかりは思った。


 管理者と呼ばれ、キメラたちを管理しているはずのミアたちも結局は上層部の管理下なのだとこの時に感じた。

 いつも進む道を示してくれることを素直に受け入れている自分が、確かにいた。


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