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リュキアの小人  作者: 五十鈴 りく
1♦管理者
2/23

1-2

 バルツァー管理官――ミアの上官が住まう区域に一人で向かう。

 薄っすらと雲の合間から輝く太陽光と潮風が、ミアの歩く並木道にある。その道は湾岸にも続いている。上官たちの乗る自家用車のため、島にはある程度整備された道もあった。


 地道に歩いて向かわずとも、バイクくらいは宿舎にもある。ただ、ミアはこの道が割と気に入っているのだ。程よい日差しと風が心地よい。

 それから、一人になれる時間が好きだ。宿舎では皆がひしめき合うように生活している。チームの皆とは気が合わないわけでもないけれど、時々はこうして風当たりのよい時間が必要だと思うのだ。


 急ぐでもなく道を行き、背の高い塀に取り囲まれた白く聳える邸宅を見上げた。塀の中は玄関までが遠く、その道の途中には噴水がある。何度も入ったことがあるからそれくらいは覚えていた。

 ここがミアの上官のいる場所である。


 ミアは短く嘆息すると気を取り直してインターホンのボタンを押した。ブー、と飾り気のない音がする。ミアはそのボタンのそばにあるパネルに向かって真顔で言った。


「チームⅣリーダー、ナンバー080です。被検体T-022の捕縛報告に来ました」


 ピピ。

 電子音が僅かに鳴って屋敷を取り囲む塀に切れ目ができた。鋼鉄の門が開いたのだ。


『入れ』


 短い言葉がパネルの奥から聞こえた。

 ミアはもう一度嘆息して門の中へと歩を進めた。そこから玄関までの石畳の道を行く。手を使って開くこともなく、扉はミアが手前まで来ると開いた。

 ミアが硬質な素材の廊下を音を立てて歩くと、すれ違う使用人たちは脇にそれて頭を下げた。戦うことのできない人間はこの地での扱いはよいとは言えない。管理者たちの機嫌を損ねたくないとばかりにへりくだる。単純に非力な者が武力を恐れるのは当然のことかも知れない。


 特別声をかけることはせず、ミアは廊下を突き進む。主の趣味か、無駄な装飾はほぼないと言えた。変化のない壁。時々迷いそうになるのもそのせいだ。今日はなんとか無事に上官の部屋まで辿り着けたようだ。単に慣れただけとも言える。ミアがそばにやって来たのを察知し、スライド式の扉はまたしてもサッと開いた。


 その入り口から部屋の中が見える。書斎と呼ばれる部屋には本来紙の本が本棚に収められていたのだと言う。今時そうした劣化する紙の本はないけれど、それを模したホログラムが壁一面に広がる。読みもしない本を壁紙のように収めた過去の人の気持ちがわかるほどに、本の背表紙が作り出すその背面は美しかった。


 大きな長方形の机はコンピューターパネルでもある。ここで入り口の開閉を操作していたわけだ。その机に両肘をつき、手の甲で顎を支えるようにして座っているのがミアの上官である。


「任務は滞りなく遂行した。そうだな?」

「はい」


 エリアB管理官エンリヒ・バルツァー。

 デニスよりも更に長身で、筋肉も程よくついて体格に恵まれていると言えよう。研究者と言うよりも兵士のようだ。顔立ちも精悍で、二十代後半、この島の中では年長者の部類である。黒地に金のボタン、管理官の制服に身を包んでいると、本当に怜悧ではあれど弱々しさは微塵もない。実際、隙のない男だからそれなりに戦えるのだろう。


 ミアは手短に報告をした。エンリヒは冗長な報告を嫌う。ミアもまた長く話し込みたいとは思わない。互いの利害は一致していると言えるのだろう。


「――報告は以上です」


 そう結ぶと、エンリヒはかすかにうなずいた。


「わかった。下がれ」

「はい。失礼します」


 軽く頭を下げ、ミアはエンリヒのいる部屋から退出した。ひと仕事終え、ミアはほっと息をつく。後は戻ってシャワーを浴びてさっぱりしたかった。帰りは軽い足取りだった。

 門を抜ける時、一度だけ振り返る。そこに何かがあるわけではない。ただなんとなくだ。

 エンリヒのことをいけ好かないと言う仲間もいる。けれど、ミアはそうは思わない。管理官なんてあんなものだろう。


 ミアたちのチームは大きな失敗をしたことがなかった。それ故に咎められたこともないのだけれど、もしその時が来たら、エンリヒがどのようにして怒るのか、ミアには今のところ想像がつかなかった。あまり感情的になる彼を思い浮かべることができないのだ。


 ただ、そんな彼にもひれ伏す相手がいるのである。この島の管理者の総括――機関の副総帥だ。末端のミアたちにとっては口を利くこともないような存在である。


 本土にいる機関総帥の血縁であると言う。年齢はミアたちと同じほどでしかない。何度か目にしたことがあるにはあった。黒く艶やかな髪をした少年である。

 背はそれほど高くはなく、華奢と呼べる体格であるけれど、痩せぎすと言うよりはしなやかと表現できるだろう。切れ長の目は長い睫毛に縁取られ、美しいとはこういうことかと、彼を初めて見た時に感じた。性別も好みも超越したところに彼の美しさはあった。


 だからか、同じ生き物とは思えない。根本が違うと、そんな風に誰もが感じたのではないだろうか。だからこそ、年長のエンリヒでさえもかしずくことに抵抗がないのだという気がした。それこそが高貴な血のなせる業なのか、そんなことはミアにはわからないけれど。


 リーンハルト・グレーデン。

 それが特別な彼の名だった。ミアの知る限りでこの島で親しげに呼ぶ者のない名である。本来ならばミアたちもナンバーで事足りてしまうのだが、それではあまりに味気ない。だから管理者たちは互いにはナンバーではなく名で呼び合うのだ。



 

 ミアが宿舎に戻ると、食堂でエーディトたちが食事を取っていた。銀のトレイに乗ったワンプレート。栄養バランスが整えられたランチである。チームごとにテーブルは決められている。ミアはボックスの前で指紋認証を受け、カタカタと音と振動をさせながら開いたボックスのカバーの中からトレイを受け取る。味は常に淡白であるけれど、ミアはあまり食事に興味がなかった。ここをこうしたらもっと美味しいとか、そんなことを語るヤンの方が不思議だ。


「あー、ボソボソするな、これ。なんだ? 色は人参っぽいけど」


 そんなことを言いながら食べているヤンの隣にミアはトレイを置いて腰かけた。


「ミア、おかえり」


 エーディトが嬉しそうに揺れる。ミアは淡々と、いつも変わりない。


「ただいま」


 それだけ答えると、ミアはスプーンを謎の人参色の塊に突き刺した。それはほろりと崩れた。本当に何かよくわからないけれど、確かに食べたらもそもそして美味しくはなかった。まあいいかと思って食む。


「それで、報告は終わったんだろ? なんか言われたか?」


 デニスがそう訊ねて来るけれど、変わったことは何もなかった。


「別に何も。いつも通り」

「ふぅん。バルツァー管理官って怖いわよね。もうちょっと愛想よくてもいいのに」

「上官にとったら俺たちなんて使い捨ての駒だからな。愛想振り撒く必要もないんだろ」


 と、ヤンもスプーンを置いてぼやいた。アヒムもミアと同じく食事にこだわりはないらしく、無言で食べ続けていた。そうしていると、いるのかいないのかわからなくなる。


「まあいいや。今日はこのまま何事もなく過ぎるといいんだけどな。とりあえずトレーニングしとくか」


 デニスはあくび混じりにそう言った。トレーニングは空き時間に自主的に組み込む。面倒だとやらずに済ませることもできるけれど、それをした場合、実戦で待つのは死――かも知れない。それを肌で感じているからこそ、管理者たちはトレーニングを怠らない。デニスの狙撃の腕も研鑽の賜物だ。


 ミアはヤンと組んで剣術のトレーニングをすることにした。宿舎の裏手の鍛錬場――ただの開けた場所――で男子のヤンの方が膂力に優れる。けれどミアの方が素早い。互いに特性が違うのだ。ミアよりも素早さも力も劣るエーディトと組むよりは実りのあるトレーニングになる。しかし、それではエーディトが育たない。メンバーである以上、それは困る。最終的にはヤンと二人がかりでエーディトのトレーニングをサポートする。それが日課だった。


 はあ、はあ、と肩で息をしてサーベルを取り落としたエーディト。トレーニングは今日の実戦以上に疲れただろう。

 膝をついてしまった彼女に、ミアは鍛錬とはいえ真剣を向けるのだった。


「ほら、エーディト、実戦だったら死ぬよ」


 厳しいかも知れない。けれど、実戦であればキメラは必死で抵抗する。事実、命を落すこともあるのだ。

 エーディトは紅潮した顔を向け、潤んだ瞳で薄く微笑んだ。


「そういう時が来たら見捨ててくれてもいいのよ」

「馬鹿なこと言わないの」


 嘆息してミアはサーベルをしまった。そんな様子をヤンが心配そうに眉を下げて眺めている。

 エーディトは頼りない脚で立ち上がり、スカートについた砂を払う。


「ミアは優しいから、そんなことできないのよね。でも、本当にいざとなったらいいのよ」

「馬鹿」


 短く言った。本当に馬鹿だ。

 ミアは別に優しくない。いざとなったら見捨ててもいいと思っている。ただ、それをしなくても済むように鍛錬するだけのことなのだ。


 エーディトはフフ、と笑った。


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