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リュキアの小人  作者: 五十鈴 りく
4♦妄信の咎

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18/23

4-4

「お前が『小人』か?」


 エンリヒの声がミアを射るように放たれた。

 その時、部屋の扉が静かに開いた。そこに佇んでいるのはリーンハルトだ。漆黒の制服を上着までしっかりと着込み、朝食の時よりも隙なく身なりを整えている。細身の体躯を感じさせない品位でエンリヒを圧倒しているように見えた。


「エンリヒ、彼女じゃない。それはわかっている」

「副総帥……」


 途端にエンリヒは牙を抜かれた獣のように見えた。けれど、ミアには彼らの会話の先が上手く繋げられない。呆然としてしまったミアに、リーンハルトは憂いを帯びた瞳を向けた。


「ミア、エンリヒから聞いたかも知れないけれど、君も住んでいた宿舎が爆発を起こして炎上した。そこには『クライン』が関わるのかも知れない」


 聞きたくない。けれど耳を塞ぐこともできないのは、ミアに深く関わることであるからかも知れない。

 震える唇で言葉を探した。


「……宿舎のみんなはどうしていたの?」

「中で待機していたと考えるべきだろうね」


 リーンハルトの声は乾いていた。ミアがエーディトたちの死を嘆くのとはわけが違うのだ。顔もろくに見たこともない人間が悶え苦しんだところで、リーンハルトが同じ苦しみを味わうわけではない。

 怒りか悲しみか、その感情にミアは説明づけることができそうもない。ミアは愕然とうつむき、そして両手で顔を覆いながらつぶやいた。


「管理者たちと連絡が取れなくなって、管理官たちは誰も直接宿舎には来なかった。でも、いくら対応に追われていたとしても、宿舎に指示くらい出しに来られたでしょ? どうして誰も来ないまま放って置かれたの? 火災が起こらなくても、キメラに殺された可能性だってあったでしょ!」


 リーンハルトがどんな顔でミアの叫びを受け止めたのかは見ていない。それを目の当たりにしては何も言えなくなりそうだったから、無意識に顔を背けてしまったのかも知れない。

 けれど、エンリヒから威圧するような空気を感じて、ミアはハッと顔を上げた。エンリヒの目には少しの慈悲もない。自らの使用人には優しく接するくせに、ミアたちにはその欠片さえ見せないのだ。この差はなんだと問いたい。

 けれどそれを問うた時、エンリヒは言葉の刃で迎え撃つだけだという気もした。


「お前たちに何かあったとして、誰が悲しむ?」

「え?」


 聞き流すことのできない言葉が、鉛のように重くミアの腹の奥底に沈み込む。その言葉が意味することは何か――。

 ミアたちは所詮使い捨てだとでも言うのか。


「エンリヒ」


 いつになく低く響くリーンハルトの声がエンリヒを窘める。エンリヒはぐ、と何かを堪えて飲み込んだようだ。


「申し訳ございません」


 小さく、音もしないほどの吐息を漏らし、リーンハルトは静かにミアに向き直る。

 ミアの思考が絡み合い、ショートしてしまったかのように回路が繋ぎ合わせられなかった。ただ白く、その一色に染め上げられた気がした。

 けれどひとつ、その白の中にぽつりと染みがあり、それがじわじわと広がって行く。


 ミアたちはキメラ管理者。学者たちが作り出し、そして廃棄したキメラを生かさず殺さず、島から逃さないためにいる。――そこを疑ってしまえばきりがないけれど、それだけで説明のつかないことが多すぎはしないだろうか。

 一度沸き上がったものは容易に沈んではくれないのだ。


 失敗作とするキメラを何故、生かしておく。あれほど頻繁にそのキメラたちが抜け出すというのに、一向に改善されないシステム。キメラが逃げ出し、管理者たちが捕えるリフレイン。

 そこに何らかの意味があるとは、ミアには到底思えなかった。クラインはきっと、その意味をわかっていて、それでもミアには伝えようとしなかった。ミアが知る必要はないと言うのか。知らせたくないと思うのか。


 足元が崩壊するような感覚がした。脚がひどく震えて自分の体を抑えていることもできない。カクリ、と膝から崩れると、リーンハルトのしなやかな手が、背中の傷を庇いながらミアの腰を支えるように動いた。エンリヒが唾棄するほどに厭うミアのことを、リーンハルトは何故抱き留めてくれるのか。

 彼は味方ではない。

 けれど、クラインは本当にミアの味方なのか。味方だというのなら、ミアが悲しむことをしないでほしい。仲間たちを消し去って、それでミアが喜ぶと思うのか。


「副総帥……」


 エンリヒがためらいがちに、警告するように声をかける。けれどリーンハルトはエンリヒに向けて首を振った。


「エンリヒ、彼女たちに罪はない。そこを間違えるな」


 そっと、リーンハルトの腕の陰からエンリヒを窺うと、エンリヒは静かに瞑してリーンハルトの言葉を飲み下そうとしていた。何もわからない。彼らの言葉の意味が少しもわからない。それでも、リーンハルトの腕のぬくもりがじんわりとミアに染み入る。心細いばかりの今、誰のどんな言葉よりもこのぬくもりを信じていたくなる。

 リーンハルトはミアがしっかりと立っても、ミアの腕に手を添えたまま、両目を見据えて言った。


「ミア、『クライン』はフーゲンベルグの残した創造物だろう。そのクラインが君をきょうだいと呼ぶ」

「父親が、同じって……」


 クラインはそう言った。腕から繋がるリーンハルトが体を強張らせたのがわかった。


「クラインがそう言ったのかい?」

「うん……」


 なんとかうなずくと、リーンハルトはそっとミアから手を離した。それが少し寂しいと思った。そんなミアの心をリーンハルトが知るはずもなく、彼はエンリヒに顔を向けた。


「エンリヒ、フーゲンベルグの記録に成功例は一人だったな?」

「はい」

「そうか。ならミアはフーゲンベルグの実子ということか」


 独り言のように言ったリーンハルトの言葉を、ミアは呆然と聞いた。自分のことであるけれど、どこか遠い。


「実子……記録に子があるとは記載されておりませんでしたが」

「意図的にではないか? 管理者であるはずのミアに印がない。それはフーゲンベルグが工作したことだとすれば納得が行く」


 ミアを置き去りに時間が流れて行くような気がした。所在なく迷子の子供と変わりがない。この心細さをとても言葉にはできなかった。

 エンリヒがギリ、と奥歯をかみしめた。


「『小人』に我らは敵うのでしょうか……」

「わからない。けれど現在――これもクラインのしていることかも知れないが、燃料庫の扉が開かない。搭載されている燃料では空からも海からも島を出る手立ては失われている。このままでは――」


 そこで言葉を切ると、リーンハルトはミアを見た。責めるのではない、穏やかな表情をしているけれど、それを必死で保っているのかも知れない。


「ミア、クラインに繋がる手がかりは君だけだ。どんな些細なことでもいいから教えてほしい」


 そんなことを言われても、ミアにもクラインがどんな容姿をしていて、どこにいるのかなんてわからない。わかるのはただひとつ、リーンハルトだけはクラインではないということ。


 薄靄の中。ガラスの向こう。小さな手の平――。


 ミアが幾度か夢に見た光景は決まって同じものである。

 そもそも、現実にミアはクラインと顔を合わせたことなどあるのだろうか。

 疑わないで、と自分を信じてと言うクライン。けれど、クラインはミア以外を救ってはくれないのか。こちらからコンタクトを取れたことがない。ミアから会いに行けるのなら、会いに行きたい。会って問いたい。クラインの考えを。


 享受されることに慣れたミアは、どれだけのことを自ら選んだだろう。与えられた情報を信じ、考えることを怠っていた。その結果が現状なのだ。自身が選び取れ――そう心の端で叫ぶ声がある。それはか細く頼りないものであるけれど、確かに沸き起こったもの。

 ミアは佇むリーンハルトにそっとささやく。


「リーン、あなたはあたしの味方? それとも、敵なの?」


 それは、願いを込めた言葉だった。ミアが望む答えはひとつだ。信じたい、信じられると思いたい。だからその答えを求めた。

 リーンハルトは驚いたように目を剝き、けれど微苦笑して縦とも横ともつかぬ方に首を軽く揺らした。


「今までだったら、もしかすると味方とは言えなかったのかも知れない。けれどこうして接してしまった以上、僕は君の敵になろうとは思わない。君が僕の言葉を信じてくれるなら、僕は君の味方でありたいよ」


 戸惑いつつ、リーンハルトがそれを口にしてくれたように感じた。そう、感じたのだ。誰かから与えられた情報を抜きに、ミア自身が感じたのだ。リーンハルトは正直な答えをくれたと。


 クラインの言葉か。

 リーンハルトの言葉か。

 信じるのはミア自身だ。選び取れ、心のままに――。


「……わかった」


 ぐ、と手の指に力を込めてこぶしを握る。リーンハルトをまっすぐに見据え、ミアは意思を明確に示すためにうなずいた。


「リーンは敵じゃないって信じる」

「……ありがとう」


 ほっとしたように息を吐いたリーンハルト。その表情の柔らかさにミアは疑うことをやめたのだ。

 クラインも敵というのではない。けれどもし、一連のことがクラインのせいだとするのなら、それをミアが望んでいないことを伝えなくてはいけない。

 そのためにミアもクラインに会いに行きたい。


「夢の中でクラインはいつもガラスの向こうにいる。あたしとの間にはいつもガラスの壁があるの」


 思い出せることはそう多くない。試しに口に出してみたけれど、言えたのはそれくらいだ。

 すると、リーンハルトは唇に親指の節をつけ、考え込むようにしてつぶやいた。


「……ガラス。そのガラスの壁は平らだったかい?」

「え?」

「丸みを帯びていたんじゃないか?」


 リーンハルトの指摘に、ミアは初めてそれを意識した。薄靄の中、クラインがいる場所――両の手の平、足の先は見えない、けれどあれは――。


「そう、丸いガラス……」


 ミアがそう零すと、リーンハルトとエンリヒは顔を見合わせた。リーンハルトは少しだけ複雑な微笑を見せると、ミアにこう言ったのだ。


「ミア、そのガラスはね、多分フラスコだ」


 思わず首をかしげてしまった。リーンハルトが何を言わんとするのかが読めない。

 それでも、リーンハルトはミアに語る覚悟をしてくれたのだ。朗々と、美しい声が語る。


「――蒸留機に人の精液を入れ、そこからそれを約四十日密封して腐敗させると、人の形をした透明のものが出来上がる。それに人の血を毎日与え、馬の胎内と同じほどの温度で保温することを四十週間続けると、人間の子供ができるのだという。――フーゲンベルグの研究は過去に失われた錬金術を織り交ぜたものであったんだ」


 そんなことで人間を作れるものなのか。思えば、ミアは人がどこから来るものなのかを知らない。気づけば皆がそばにいた。そこにいた。

 リーンハルトは呆然とするミアに続けた。


「そうして作られた人間は、生まれながらにしてあらゆることをるとされる。ただし、体は小さく、フラスコの外では生きられないというけれど、その知識があればそのうちにフラスコの外へ出られるようになったとしても不思議はない」

「そ――」


 それがクラインだというのか。

 リーンハルトははっきりと、こう結んだ。


「ホムンクルス。それがクラインという存在だ」



 【 4♦End ――To be continued―― 】



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