4-3
そこから状況が動いたのは昼下がりのこと――。
ミアを部屋に残し、リーンハルトは去った。この時になって、もともとゆっくり時間を取れるような立場の人ではないことをようやく思い出した。
リーンハルトに、少しだけこのまま待ってほしいと言われた。
ただ、生き残っているはずのアヒムに会いたいと思う。エーディトたちがいない今、現実ではアヒムが一番気を許して話せる相手だ。
彼はエンリヒの館にいる。ミアがいるのはセントラルで、キメラがうろついている中を武器も持たず、徒歩で向かうのは難しい。
取り残された部屋の中、ベッドの横で膝を抱えた。
あれやこれやと考えを巡らせていたミアのもとへ駆けつけたのは、リーンハルトではなくエンリヒだった。リーンハルトのように断りを入れてくれるでもなく、扉は唐突に開く。
「バルツァー管理官」
長身のエンリヒが室内に踏み入った時、とっさに立ち上がった。顔が険しいのはいつものことだ。だから何も気に留めなかった。
エンリヒがここから連れ出してくれると思ったけれど、そう簡単なことではなかった。
彼は猛禽類を思わせるほどに鋭い目を向けながら、押し殺した声で告げる。
「宿舎で火災が発生した」
「火災⁉」
あまりに唐突なことで、頭がついていけなかった。首から上がどこかに置き去りにされたような感覚でそこにいた。
宿舎で火災が発生したと言う。その詳細がまだわからない。
どの程度の規模なのか、死傷者はいるのか――。
曲がりなりにも戦闘訓練を受けてきた管理者たちの宿舎だ。そう大事には至らないはずだと希望を持ちかけた心を見透かすように、エンリヒその希望を打ち消す。
最初から、彼の表情にすべての答えがあったのだ。
「つい一時間ほど前のことだが、内部で爆発が起こったのを確認したそうだ。入口は閉じたまま、管理者たちが外へ出た痕跡はない。現在消火に当たっているが、火元も現段階では絞れていない」
外へ出た痕跡はない。つまり、ケヴィンたちもまた炎と煙に巻かれて命を落としたと言うのか。
呆然と立ち尽くしてしまうと、脳裏に今朝の夢がフラッシュバックする。
――僕が終わらせるから。
クラインはそう言ったのではなかったか。終わらせるという言葉の意味は、こういうことだったのだろうか。
だとするならば、ケヴィンたちを焼き殺したのはクラインだということになる。
ミアのきょうだい、唯一の味方のクラインが。
けれど、何故。
ケヴィンたちがミアの敵だとクラインは判断したのだろうか。ミアが寝食を共にした仲間であるはずの彼らでさえ、クラインには敵に見えたのか。
ゾクリ、と体の芯から冷え切った。思わず自身の両肩を掻き抱く。
もしこれが、クラインが起こしたことだとするのなら。
終わらせると言ったクラインを止められたのはミアだけだったのではないだろうか。その言葉の意味を深く考えず、クラインを信じることで逃げた。ただふわりと漂い、任せた。
その結果がこの惨事ではないのか。
そもそも、クラインは何者なのか。
それを突き止めなければならない段階に来ている。
言葉を失くして震えていると、エンリヒはそれでも冷ややかな視線を向けてくる。
「管理者の中で生存しているのはお前と、093だけということになる」
アヒム――。
会いたい。会って話をしたい。
「彼に宿舎の火災のことは?」
「まだ伝えていない」
「アヒム……093はまだ管理官のところですね? 会わせてください」
エンリヒは深々と嘆息する。どうにも疲れて見える仕草だった。
冷たさよりも、体格に見合わない繊細さが際立つ。
「私がこの島へ赴任したのは副総帥と同時期――二年前のことだ。それまでの前任者のデータはすべて受け継ぎ、保管してある」
データとは、キメラ研究に関するもののはずだ。
無駄なことを語る人ではないと思うから、大人しく話の続きを待った。
「エリアB前任者はフロレンツ・フーゲンベルグ。根っからの研究者気質で気難しく、人づき合いも上辺ばかりで深くは好まなかった。最期は、海に身を投げて生涯を閉じたとされる。私が直接彼に会ったことはない。彼は独自の研究を重ねていたが、誰もがそれに賛同することはなく、認められないが故の絶望による投身だろうと処理された」
エンリヒの前任者、フロレンツ・フーゲンベルグ。
二年前というのなら、自分たちは彼を知っているはずだ。ミアは生まれてからこの島を出たことがない。ずっと、管理者として生きて来たのだから。
そこで、エンリヒの前任者のことを思い出そうとしてみた。けれど、まるで何も浮かばない。
そのフーゲンベルグという管理官のことだけではない。過去のことをどこまで遡れるかといえば、せいぜいがその二年前である。
ミアは気づけば管理者であり、それが自然だった。
ただ、どのようにして管理者になったのか。それが思い出せない。
子供の頃はどこにいたのか。誰といたのか。
思い出せない。知らない――。
そのことに気づいてしまった。
浅く呼吸を繰り返し、脂汗が額に滲む。エンリヒはそんなミアに優しさは見せなかった。
むしろ、敵を見る目をしている。
「今、副総帥はそのフーゲンベルグの残した研究結果がこの島の脅威となっているのではないかとお考えだ。お前には『印』がないと言う。お前が『小人』か?」
「こ、びと……?」
小人。それが元凶だと言うのか。
小さき者――クライン。
震えが体の芯から沸々と湧き上がるようにして表面に現れる。エンリヒの射るような視線は変わらない。
「あ、あたしは――」
違う。
流されるままにただ生きているだけだ。
けれど、信じるだけで何も考えなかった自分は、この島にとってはクラインと同じ害悪なのか。
ズキリ、と頭が痛む。激しく打つ心臓が負荷を訴えた。




