4-1
薄靄の中、こだまのようにあやふやな声。幼く高い、それでもどんな大人よりも落ち着いた響きがミアを呼ぶ。
「ミア、よかった。君に何かあったら僕はどうしたらいいんだ?」
ガラスの向こうからクラインはガラスをもどかしげにドン、と叩く。そんなことは初めてで、ミアもクラインの焦燥を感じ取った。はっきりと感情を見せたのは初めてのように思う。
「ごめんなさい、クライン。せっかく忠告してくれたのに、忠告を守れなくて。でも、結局誰も救えなかったどころか、みんなを巻き添えにしてしまった……」
はっきりとそう口にしたら、ミアの胸の奥にエーディトたちの存在が強く蘇った。今まで、任務の際に命を落とした管理者たちもいた。けれど、その時は悲しくなかった。注意を怠り、役目を全うすることができなかったのだから、それも仕方がないと思った。死ぬことが特別なことだとは感じなかったのだ。
自分が死ぬ時もきっとそうだ。死に対し、何も思わずに死んで行く。
壊れたロボットと同じだとミアはそう考えていた。けれど、自分ではない近しい者の死は、特別であるのだ。
ああ、こんなにも心に穴が開いてしまうのかとようやく知った。ようやく学んだ。
すべてを識るクラインは、この感情をすでに知っていたのだろうか。だからミアに生きてほしいと願ってくれたのだ。
すると、クラインは首を横に振った。それは慰めではなく――。
「そんなことはないよ。遅かれ早かれ彼らは死んだ。ミアのせいじゃない」
「それは――」
「いいんだ、ミア。君は特別だから。ねえ、後少しだ。後少しで君を救えるから。だから生きて」
ドン、とガラスを叩く小さな拳。
クラインは、少し前のミアと同じ。関わりのない死に無頓着だ。
ミアが無事ならばそれでいいと、それだけを願っている。ミアはそれを感じ取った。
「ねえ、クライン。あなたはリーンハルトじゃないの?」
「違うよ。彼は彼。僕は僕だ」
リーンハルトもクラインも否定した。ならば二人は別の人間なのだ。いい加減に認めるしかないようだ。
「クライン、あなたはあたしのきょうだい?」
「そうだよ」
「きょうだいって何?」
「僕と君は同じ父親を持つ。父親って言うのはね、僕たちを形作った男の人のこと。父さんだ」
「父さん?」
クラインがうなずいた気がした。
「そう、父さん。でも、父さんはもういない。だから僕がミアを護る」
わからない。クラインの言葉はいつも難しい。ミアの頭の中がまったく整理できずに掻き回されたようだと、賢いクラインはすぐに気づいたのだろう。そっとささやいた。
「疑わないで、ミア。君の味方は僕だけ。この先、何が起ころうとも僕だけを信じて」
「クライン……。じゃあ、リーンハルトは敵?」
自分がそれを口にしておきながら、ミアは心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。敵だとは思いたくない。それがミアの本音であるのだ。一度はクラインだと信じた相手だから、今更敵だと思うのは悲しい。
けれど、クラインはその名を聞きたくもないとばかりに首を振った。それだけで、クラインの言葉の先が見えた。
「敵だと思って。少なくとも味方じゃない。ミアの味方は僕だけだから。気を許しすぎないで――」
それならば、エンリヒもアヒムでさえも敵だとクラインは言うのだろうか。それとも、エーディトたちのように憐れに散る運命だとでも。
ミアも生きることに執着したつもりはない。それでも、意味もなく死ぬのは嫌だ。
この島で何かが起こっていて、誰かの悪意が人を殺す。キメラの牙が人を引き裂く。クラインはミアのためにそれを止めてくれるのだろうか。
「クライン、現実のあなたはどこにいるの?」
クラインに出会えたなら、すべての事情が解決できるような気がした。そうであってほしいと思うだけかも知れない。けれど、他に糸口がない。
「教えて、クライン。あたしはどうしたらいい?」
すると、クラインは悲しげに笑った気がした。クラインはこうして夢で会えるけれど、現実ではミアに会いたくないのだろうか。
「ミア、もうすぐすべて終わるから、君は何もしなくていい。危険なことに首を挟まず、自分の身の安全だけを考えていて」
「すべて終わる――? 」
「そうだよ。僕が終わらせるから、待っていて」
クラインは何をするつもりでいるのだろう。ミアにはわからない。けれど、ただ信じて待てばそれでよいとクラインは言うのだ。
そして、リーンハルトは少なくとも味方ではないと。
その言葉も信じなければならないのだ。そうは思うのに、それはとても嫌なことに思えた。
優しげな彼を敵とは思いたくない。
ほんの少しの迷いを抱えながらミアは目を覚ました。




