表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リュキアの小人  作者: 五十鈴 りく
3♦唯一の味方

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/23

3-2

 デニスの手伝いをするべくヤンと玄関先に戻ると、デニスが麻袋にキメラの残骸を詰めた後だった。血痕だけがその場に残っている。ミアとヤンはディートリンデに頼んでバケツを借り、裏手から水を運んだ。デニスは石畳を丁寧にデッキブラシで磨く。三人で取りかかったら段取りよく進んだ。

 ただ、デニスは少し疲れて見えた。あれの始末をしたのだから仕方がないのかも知れない。少し休むと言って中に戻った。


 それからしばらく、ミアはヤンと手合わせをした。昨日はまたとないほどつらい実戦だったから、体がなまっているということはない。むしろ酷使しすぎて嫌な強張りがある。それはヤンも同じなのか、手合わせをしていてもいつもほどの切れはなく、お互いに程々というところを保っていたように思う。


 それでも陽光の下で気持ちよく汗をかき、気持ちは幾分晴れた。やはり体を動かしている方がミアの性には合っているのだろう。水のない噴水の縁に腰かけてミアは額の汗を手の甲で拭った。ヤンも隣に腰を下ろす。

 そうこうしているうちに午前中が過ぎて行ったらしい。館の扉が開き、そこからカルラが姿を見せた。わざわざミアたちの前まで歩んで来る。


「昼食の準備が整ったので、食堂においで下さい」


 丁寧にそう言ってツインテールの頭をペコリと頭を下げる。幼い外見だが、見た目以上にしっかりした子だと思う。ミアは小さくうなずいた。


「うん、ありがとう」


 それでは、とカルラは早々にきびすを返した。――その時、鳥の声が甲高く響いた。笛のような音。

 その音のあまりの近さにミアは心臓を貫かれたような気がした。


 薄青い、それは美しい羽をした鳥だった。けれど両の翼を広げたその体はミアよりも大きかったのではないだろうか。それも、空に擬態した色である。ただの鳥ではない。

 空色の中、瞳だけが一点、黒く異物のように見えた。その鳥はキメラ。羽ばたけば強風が起こり、カルラは背中にその風を受けて踏ん張りきれずに吹き飛んだ。キメラは木の根のような足で小さなカルラの腰をしっかりとつかみ、そうして空へと舞い上がる。


 ミアとヤンは巻き起こる砂埃から反射的に顔を庇ってしまった。その時、カルラの絶叫が耳をつんざく。鳥に捕らわれたカルラは、体が浮かび上がった瞬間に半狂乱になった。けれど、その声が嗄れた時には気を失ったのか、ぐったりとして動かなくなる。ミアとヤンはその光景を目の当たりにして愕然とするしかなかった。


 門は閉じた。けれど、上空までは覆われていない。本来ならば電流を流したり、キメラの嫌う音波を流したり、なんらかの対策が取られていたはずなのだ。アヒムが一時的に閉じてくれただけで安心してしまっていたけれど、それではいけなかった。


「カルラ!!」


 上空に向かって叫び、とっさに駆け出そうとしたミア。ヤンはミアよりも少しだけ冷静だったのか、ミアとは反対方向に動いた。


「アヒム――アヒムに頼んで門を開けてもらわないと無理だ! 後、デニスに撃ち落としてもらわないと!」

「駄目! 飛んでるところを撃ったりしたらカルラが落とされる!」


 ヤンは一瞬たじろいだものの、急いで館の中に戻った。ミアと押し問答をしている場合ではなく、皆に協力を求めなくてはならない。ミアは眩しい空を見上げ、門の前まで駆け寄った。急がないと見えなくなる。今だって、カルラの着ている黒っぽい服だけが空に浮かんでいるようにさえ見えるのだ。


 門は、あれからしっかりと閉じられていた。けれど、それだけでは防げない。思えば今までの任務で、あそこまで高く飛行するキメラに当ったことはなかった。メインコンピューターの不具合があってからというもの、そうしたキメラがよく逃げ出している。翼を持つキメラの檻が上手く起動していないのだろうか。


「は、早く……!」


 気持ちだけが焦る。けれどミアはそこでふとクラインの言葉を思い出した。


 ――それまでは絶対に門の外へ出てはいけないよ。


 日が暮れてエンリヒが戻るまでは門の外へ出るなと、クラインはそう言った。クラインは、この顛末を知っていた。なのに、それをミアには伝えなかった。絶対に外に出るなと、それだけを伝えた。

 ミアが外へ出れば何かが起こるというのか。それは、ミアが助かるためにカルラを見殺しにしろと言っているようなものだ。本当にそれでいいのか。


「ミア! アヒムを連れて来た!!」


 ヤンの声にミアはハッと振り向いた。冷や汗がじわりと額に浮かぶ。浅く呼吸を繰り返してしまうのは、罪悪感で胸が潰れそうだからだ。

 ヤンとアヒムだけでなく、エーディトもライフルを担いだデニスもついて来た。使用人たちにはまだ何も伝えていないようで、彼らはいなかった。


 アヒムは無言のまま門のコントロールパネルを開き、そうして端末を操作する。その高速で動く指をミアは気が遠くなりそうな思いで見つめていた。音と言うほどのものもなく、振動と呼ぶべき響きが足の裏、ブーツを通して伝わる。人が通れるほどの隙間が開くと、ヤンが率先して抜けた。続いてデニスが、エーディトが。


 ミアはそれを見守って呆然としてしまった。すると、前髪の陰になったアヒムの瞳がミアを見ていた。ミアが動かないことを疑問に思っているのか、非難しているのか、そこまでは読み取れない。けれど責められている風に感じたのは、ミア自身が恐ろしさに負けてしまっているからだ。


 クラインの言葉に逆らった後、この身に何が起こるのだろう。それでも、エンリヒが戻るまでまだかなりの時間がある。助けは求められない。ここから駆け出したところでカルラを助けられるかどうかはわからないけれど、何もしないでいる自分を許せない気持ちがある。

 悩んでいる場合ではない。早くしないと追いつけない。皆、遠ざかる――。


 ミアは覚悟を決め、外へと飛び出す。

 門の外は明るい。風がそよぐ。


 けれど、恐ろしい。護られていない。

 クラインに逆らって、ミアは外へ出たのだ。

 それでもミアはどこかでクラインに甘えていたのかも知れない。困った時には助けに来てくれると。すべてをるというのなら、ミアの心もまたクラインの手の平のうちなのではないのか。


 先に続くアスファルトの舗装された道。上だけを見て駆け抜ける三人の背中。ミアは必死で走った。全力で、心臓も足も潰すほどに酷使した。それでも、先を行くエーディトたちに追いつくのがやっとである。空に浮かんだカルラの姿を目で追うことしかできなかった。


「クソ――っ!」


 デニスが肩に担いでいたライフルを構え、立ち止まった。あのキメラを撃つつもりなのだ。


「駄目! カルラごと落ちる!」


 とてもではないけれど、受け止められない。空から落とされるか、そのままあの巨躯に押し潰されるかのどちらかである。間違っても救えない。

 ミアの叫びにもデニスは振り向くことなく、苛立ったように声を荒らげた。


「じゃあどうするんだよ! あのまま攫われたら食われるぞ!」


 誰も。誰も頼れない。

 このままだと、ダートの射程範囲の外にキメラが行ってしまう。だからデニスはここが限界だと見定めたのだ。パシュ、と破裂音のような音がする中をミアはデニスたちを通り越えて駆け抜けた。汗なのか涙なのか、流れる雫を振り払いながら空を見上げる。空色の翼は不意に白く濁った。矢が命中したのか、空に溶け込むことができなくなったようだ。幸いなことに、キメラは落下をしなかった。徐々に高度を下げ、地面に吸い寄せられるように降りて来る。


 ミアは必死の思いで急いだ。キメラの着陸地点はアスファルトの路上からそれた木々の奥だった。ミアの後ろからエーディトとヤンも駆けつけてくれている気配がある。先の方でバキバキ、と枝の激しく折れる音がした。そこへ到達した時、ミアは声も上げられないほどに息が上がっていた。


 真っ白な猛禽が大きな翼を広げて木々に引っかかっている。カルラはその鉤爪から落ちたらしく、木の根元に横たわっていた。意識はなく、動かない。キメラもまた低く唸るような音を出しているけれど、身動きが取れるほどではないようだ。麻酔が徐々に効いている。


 ミアはほっとしてその緑の中へ足を踏み入れた。この際、キメラのことはいい。カルラだけを連れて早く戻ろう。そうしたら、もう今日は屋敷から一歩も出ないでエンリヒを待つ。

 はらり、と若々しい葉がミアの眼前で散った。ミアが上を見上げた瞬間だった。


「ミア――!!」


 遅れて来たエーディトが甲高く叫んだ。その声は悲痛なほどに耳をつんざく。驚いて振り返りかけたミアは、その途端に背中に強い衝撃を受けた。背を硬いもので切り裂かれたと、わかったのはそれだけだった。


「かっ――!」


 声が出なかった。背が熱く、遅れて来る痛みは立っていられないほど痛烈であった。草の匂い、血の臭い、そうして獣の臭い。草の上に倒れたミアは、草色の獣の足を見た。それは太く、逞しい、猫科の爪を持つ足だった。グルルル、と唸る低い声が地面を伝う。その草色の足は次第に白く色を変える。白銀の鬣を持つ獅子を相手に、エーディトとヤンはサーベルを抜いた。痛みに朦朧とする意識の中、ミアはその光景をただ感じていた。


「この!!」


 ヤンがエーディトを庇うように前に出た。エーディトはチラチラとミアを気にしている。ミアが倒れたから、捨てて逃げることもできないのだ。勝ち目があるのかもわからない戦いになる。


「デニス! お願い!」


 エーディトが追いついたデニスに懇願するも、デニスはハッと息を飲んでそれから声を絞った。


「ま、麻酔銃のダートは装填してあったものしかない。とっさにライフルを取って来たから……」


 やっぱり、クラインの言葉は正しかった。決して門の外へ出てはいけなかった。ここで死ぬのはミアだけではない。カルラもヤンもデニスもエーディトも、誰も助からないかも知れない。誰も戻らなかったら、アヒムは冷静に門を閉じられるだろうか。戻らない皆を待って開け放っていたりはしないだろうか。それでは皆がキメラに食われる。


 この島は、制御を失ったのだ。傲慢な学者たちが弄んだ命が人間に取って代わるのか。

 獅子の咆哮が恐怖を煽る。鋼鉄のような爪がヤンのサーベルをへし折った。飛んだサーベルの刃が地面に突き刺さり、ヤンの手にはその残骸だけが残る。


「ヒッ!」


 後ずさったヤンの肩に獅子は爪をかけて踊りかかった。その牙が首筋に突き刺さり、そうして獅子が首を振った瞬間にヤンの体が大きく吹き飛んで木に激突した。血の飛沫が舞い、草の上に落ちたヤン自身に雨のように降り注ぐ。


「ヤン!!」


 エーディトの悲鳴とデニスの叫び。そうして、二人に襲いかかる牙。ミアはあまりのことに気を失った。

 クラインの忠告を聞き入れなかったミアがこの結果を招いたのだ。聞き分けのないミアを、クラインはもう見放しただろうか――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

小説家になろう 勝手にランキング ありがとうございました!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ