十九日目~鏡~
蔓の先端はじっと六人を見つめる。まるで、首を持ち上げた蛇のように、上から彼らを威圧していた。
対抗できる手段を持つ塚本と鳴滝はその動きを逃すまいと他の仲間よりも前に出て、じっとそれとにらみ合っている。
「念のため聞いとく、アンタがやってるわけじゃないよね?」
「そんな訳無いって……現に私まで巻き込もうとしてる気がしますけれど?」
宮内はじっと蔓の方向を見たまま返答する。
その表情を見て、それから先は疑問を口にせず結城の視線も相手と同じ蔓の先端へと向かう。
「ぐっ、くっ、……ちっ」
「海部さん!それは危ないだろ!」
「んなこと、言ってる、場合、か……っ!?手段は、多く、ない、と……!」
左手で柄を握り締めながら必死で突き刺さった武器を引き抜こうとする海部を、一ノ瀬が制止する。
それでも痛みを堪えながら、どうにか前後に上下に鎌を動かす。
彼女がほんの少し鎌を浮かせたと同時に、彼女の手と身体からその刃が消え去った。
「……あぁっ!?」
「っ!大丈夫か!」
刃で防がれていた血があふれ出し、傷が空気に晒された痛みで両足で立っていた海部は再びその場に座り込む。
一ノ瀬が傍に寄って、立ち上がるように肩を貸そうとした瞬間に、彼女を囲むように蔓が後方から近づいた。
「なっ!?海部さん!」
彼の声が耳に届き、宮内と結城の意識が気を取られた瞬間に、二人を狙った蔓が一つ真っ直ぐ迫る。
二人の間に塚本が咄嗟に割り込んで、その先端と槍の先端をぶつけるように突き出した。
蔓の先端が槍の刃に沿って四つに裂け、数メートル程で萎えて落ちる。
「織枝、ナイス!」
「しょ、正直いけるなんて思ってなかった……ううん、それより悠斗くん達は?」
三人は先ほど声が聞こえた方向に目をやると、緑の壁を引き剥がそうとする一ノ瀬と鳴滝
その足元には何かを引きずったように真っ赤に染まった地面が拡がっていた。
壁に向かって鳴滝が斧を振り下ろすが、引き裂いた先にももう一枚の壁がそこにあるだけだった。
もう一度、現れた壁に振り降ろす、それでも見えるのは緑色の蔓が積み重なったものだった。
「そんな……」
「京くん!悠斗くん!何が……」
塚本が声を上げながら近づくが、彼女達の目の前に腰ほどの高さの蔓の束が立ちふさがる。
彼女の声に振り返っていた彼らはそれを間近で目撃していた。
「塚本が……二人が危ない!」
鳴滝が彼女達を助けようと斧を持ち上げようとした瞬間に、それを遮る何か。
緑の壁に斧を差し入れていた間に、蔓は斧の柄を覆い、彼の腕に迫ろうとしていた。
それを目撃した鳴滝の動きと思考は完全に止まる。
一ノ瀬は足を踏み出して、精一杯に腕を伸ばすと彼の身体を斧から突き飛ばす。
彼の身体が地面に落ちる、寸前に、彼の身体を受け止めるように、緑の網がその身体を捉えた。
本来伝わるはずの衝撃が来ないことに疑問を抱いて、衝撃に備えて閉じていた目を開く。
「えっ!?」
「待て!!そんなの……!」
再び、彼の近くに走り寄ろうとするが、彼の腹に強い衝撃が伝わった。
鞭の様にしなった蔓が彼の腹に一撃を食らわせていた。
衝撃を全て受け止めて、音を立てながらその身体は地面を滑る。
全身に伝わる痛みをこらえながら腕をついて、立ち上がりながら先ほど鳴滝の居た方へ視線をやる。
「っ、京くん!どこだ!返事をしてくれ!」
既に、蔓はそこにはなかった。必死に叫んだ声に対する返事はどこからも聞こえない。
焦る彼の表情の隣で、塚本を妨げた壁が二つに別れてどこかに消えていく。
祈るような面持ちで、彼の身体は九十度に動く。
そこには、結城が一人、地面に倒れて動かないままでいる。
「結城!」
傍にしゃがんで、彼女の傍で肩を揺り動かす。
三度、四度目の大きな揺れに、彼女から小さく声が漏れる。
ゆっくりと両手で地面をついて上半身を持ち上げてその場に座る。
「悠斗くん……京くんは?」
「……助けられなかった。」
「そう、なんだ。」
彼女の問いに俯いて言う彼に、結城も視線を逸らしながら頷くことしかできなかった。
「私もね、塚本も、宮内も……助けられなかった、皆、捕まって……なんでか私だけ残されて」
「……」
視線は自然と、周囲を囲む緑の壁に戻る。
彼らへ襲いかかる気配はそこには無い、自分の意思が現実に戻るような感覚もない。
仲間の命に関わることが起こっていないことを祈るしか、許されていなかった。
「……結局、振り出しに戻ったみたい、ここに来た一番最初に。
私は何もできなかった、何もしてあげられなかった。」
「俺達は……そう、だな、今だけ見ると、そうなっちまうな。」
真剣な目つきで、睨むように自分の手を見つめる。
その手に残った武器が、この場で役に立つことなど無い。
その心を飲み込もうとする夜の黒に、抵抗する術を持たない。
振り払うように一ノ瀬は立ち上がり、縋るように宮内が姿を現した場所を見つめる、
それでも、そこから誰かが出てくる気配などない。
結城も膝立ちの姿勢から立ち、一ノ瀬より前に出てその建物を見た。
「何も変わらなかった、助けたくて仕方なかったのに、誰も、何も変えられなかった」
「まだ、まだわかんねぇだろ!まだ、まだできることが……多分、ある」
妙に明るいその舞台を見つめたまま、結城は震える声で吐き捨てた。
「だとしてもアンタはどうするつもり?何か考えがある訳?」
そう一ノ瀬をを見つめる目は、濁っていた。
見つめ合わない様に顔を背けようとするが、視線は固定されたように動かない。
「……お前、なんだよ、なんなんだよその目!」
「何か考えがあるのか、聴いてる質問に答えて。」
空虚の瞳が、コチラを捕らえて威圧していた。
答えられるものがない事実と、その異様さに黙り込んだままで居ると、相手の口の端が歪に持ち上がる。
「結局何も無いの?それとも、祈れば出てくるとでも思ったわけ?こんな風にさ」
結城が空に腕を出すと、何処からか現れた、あの時突如として消えた、刃が真っ赤に染まった鎌がその手に収まった。
「お前!……お前、一体誰だ……?」
「ふふっ、さぁ誰でしょう?」
二種類の音声で、彼女の口から笑い声が発された、
同時にその姿がカメラのピントがぶれたようにぼやけると海部の姿が彼の目の前に現れた。
だが、その右半身には怪我は一つも無い、鎌を持った右腕に痛みを感じているそぶりも無い。
「てめぇが結城涼香だって思えばそうだろうし、海部要だと思うならそうなんだろ。」
「……マジメに答えろよ、お前は一体誰なんだ。」
「ちっ、カリカリしてんじゃねぇよ……」
再び、先ほどとは違う声が二種類聞こえると同時に、次に目の前に現れたのは宮内の姿。
「はぁ、やっぱりこの格好が落ち着くかな……あぁ、私が誰かってさっきから聞いてるけど
そんなの無意味じゃない?現に、さっきまで貴方は私を結城涼香だと思っていたのなら、
それで良いと私は思うけれど。」
「お前が味方じゃないとわかれば収穫だ!」
「そんな言い方しなくてもいいじゃない……まぁ、いいけれど」
傷ついたような口調で、目を伏せる相手の調子は宮内のふざけた調子でやるそれと似ていた。
それでも、彼女とは何かが違うような気がした、違和感が胸にこみ上げる動作だった。
「……てめぇの目的はなんなんだ、何のためにココまでやったんだ」
「何って言えばいいのかはわからないなぁ、私が望むは何も無いもの
貴方は望む必要があるかもしれないけれど」
「言ってる意味がわからないんだよ……!」
その視線も、調子も、部員の仲間に向けたことなど無い怒りだった。
だが、それを受けてもなお、僅かに微笑む以外の反応を示さずに、彼女は続ける。
「貴方は、あの人たちを助けたい?」
「……どう答えればいいんだよ、助けたくないっつたらアイツらを話してくれるのか?」
「助けたくないなら?なら……こうするかな?」
彼女は視線を緑の壁のある方向へと動かした、その先を一ノ瀬も後を追う様に見た。
蔓に手足を捕らわれた結城の姿が、その先にあった。目は閉じられており、意識がここにあるとは思えない。
目を見開く一ノ瀬の反応を確かめたかのようなタイミングで、
蔓は結城の首に這い、グッと上方向へ締め上げた、彼女の身体は抵抗の様子を見せず、表情だけが苦しそうに歪む。
「てめぇ!」
「ねぇ、あの子を助けたい?」
「っ、あんまなめた真似すんじゃねぇぞ!!」
視線を彼女に戻すと、視線は結城にやったままそう尋ねる。
目の前に居る、逃げられるような距離に居ない無防備な相手に向かって、感情全てをぶつける様にその腹の真ん中を狙い、グルりと拳を捻った。
拳は彼女の身体に触れたにも関わらず感触を得られないまま、腕が彼女の身体の向こう側に通り抜ける。
彼の腕は、まるで彼女の身体に飲み込まれたように見えていた。
「どうしたの?私を止めようとでもしたの?」
「ちっ!?」
至近距離の彼目がけて、彼女は右手で鎌が振り下ろす。
彼女の腕の動きに気づいて、咄嗟に手を引き抜く動作にも、何かが引っかかる感覚は無い。
「なっ、なんなんだよ……お前……!!」
「ふふっ、私のこと、倒したい?あの子達を助けたい?」
手元に鎌を戻しながら、真っ直ぐに自分を見据える視線。
変わらない調子で告げる言葉が、不気味に、脳みそに響くように聞こえた。
「当たり前だろうが!助けたいに決まってるだろ!」
「……そう、助けたいんだ?」
まっすぐ自分を見つめる瞳の奥から、また視線を逸らせなくなっていた。
吟味するような、試されるような言葉が、彼の心を這う。
「何ができるようになりたい?何を手に入れたい?」
「うっせぇ、俺は、俺の、力だけで、てめぇを倒さなきゃならなねぇんだよ!!
てめぇに頼ることなんか……」
「そう、それができるのならやって見せて欲しいのだけれど、さっき私にした攻撃で、何ができた?」
彼女の意思を跳ね除けるように、睨みつけた。
それでも、彼の思いに反するように彼の膝が地面に落ちた、その衝撃と痛みは伝わるのに、
視線は反射を押しのけて彼女の目から離れない。
「……くっそ、なんなんだ、よ、これ、力が、はいんねぇ……!」
「前より私の力も有る筈だけど……まだ自分で立ち上がれるんだ?」
精一杯足に力を込めるが、ゆっくりと身体を持ち上げることしかできない。
両腕もダランと下がったままで力を込められないまま、ユラユラと揺れていた。
「はっ、当然、だろう、が……俺がやらなきゃならないんだからな、手間、かかるけどよ……」
「そう、それじゃあ、少しくらい成果は見せてあげようかな?」
一ノ瀬はまだ笑っていた。
それに素直に賞賛を送るように言うと、ガコンと地面を貫く何かの音が響く。
顔の自由だけが戻ってきた、彼がその視線を音に向けると、結城が蔓で出来た檻の向こうで横たわっていた。
「……ねぇ、貴方が願えば皆戻ってくる、貴方が願えば、全て元通りになる。」
「ゆう、き……!」
一ノ瀬の顔は、グルリと強い力で捻られたように強制的に彼女の方向へと戻らされていた。
「……助けたいんだ?そんなに大事なんだ?」
「あぁ、俺は、俺の、ちからで、あいつら、お……」
途切れ途切れに言葉を発するが、限界が近づいていた、彼の左目に、既に光は無い。
「けほっ、かっ……ゆ、悠斗くん!」
ほんの少し掠れた叫び声が響く、十字の重なりを握って、開きかけた目を必死で保ちながら結城が声を発していた。
その後ろでは、ドサリと音を立てながら、塚本が、宮内が意識を失った状態のまま解放された。
振り返った結城はそこに居る人間と、一ノ瀬の前に立っている人間を、見比べて目を見開く。
「……助けたいでしょ?でもね、今のまま抵抗したって、また蔓が全部連れ去ってしまうだけ、
貴方の拳は私に傷の一つも付けられないままに、貴方が一人、いけしゃあしゃあと生き残るの。
何も変わらない、何も出来ないまま、そうならないには、どうしたらいいか、わかる?」
「俺は、おれ、ハ……っ!!負ケねェ……!!オマエの、文句ニ……まけ、る、かぁ……」
地面と僅かに隙間を作っていた膝が、完全に地面に落ちる。
抵抗する声は、唯の呻き声になり、意味を成さなくなっていた。
「アンタは……アンタは一体なんなの!なんで、悠斗くん、は……悠斗くん!聞こえるなら!逃げて!」
彼女は、結城に視線を向けることは無い、蔓が檻を崩す事は無い。
手を伸ばせども、彼の居る場所に届くことなど無い。
「……っ、グッ、アァ……あぁぁああああ!」
聞いた事の無い声が、一ノ瀬から発せられた。瀕死の獣が発する雄たけびのような叫びだった。
耳を塞ぎたくなるような悲痛さを、結城はその声から感じ取っていた。
再び彼女が彼を見つめたとき、一ノ瀬の姿勢は前傾姿勢のまま両腕をたらしていた。
その目がどうなっているのか確かめる術は無い。
だが、その腕につけている手甲に明らかに変化があった。
三本の爪が、彼の手甲の先端から伸びているのだった。
逆光を受けて、真っ黒に染まったその曲線が、ゆっくりと空中へ浮かぶのが見えていた。
「アアアアアアァァァァ!!」
叫んだ一ノ瀬は、目の前の相手に向かって右手を振り下ろす。
爪は、すり抜けることなく、真っ赤に血を飛び散らせて彼女の身体を引き裂いた。
それにも関わらず、彼女は歪に満足げな笑顔を浮かべたと思うと、結城に何も告げることなく消えた。
「なっ……悠斗くん!悠斗くん!」
結城は何度もその名前を叫んだ、それでも彼から答えは返ってこない。
彼の身体はゆらりと揺れたと思うと、ゆっくりと前に倒れて行く。
その身体が地面に接する直前に、結城の視界は白く染まって、目の前の世界は消えていった。




