15 時よ止まれ
「ヴィルヘルム、時間を止めろ!」
ヤーコプが叫びました。
言った途端に扉を打つ音が消え、ランプの炎が揺らぎを止めました。
「止めたよ、兄さん」
ヤーコプが小世界の探知と分析を専門とするのに対し、ヴィルヘルムは操作と改変を得意とします。時間を飛ばすのも、一時停止もお手のものです。
兄弟は、血まみれの部屋と小人の死体と、空のガラスの棺とを、緊張した顔で眺め回しました。
「どういうことなんだ、これは……。
何故、7人の小人が死んでいる?」
「酷いな。小人たち、いい人だったじゃないか。
誰がこんなことしたんだよ……」
眉をしかめて言うヴィルヘルムに、ヤーコプが顔を向けます。
「ヴィルヘルム」
「できないよ」
「まだ何も言ってない」
「過去に戻って、何が起こったのか知りたいって言うんでしょ?
ボクは小世界の時間を止めたり先に進めたりはできるけど、残念ながら過去には戻せない」
「そこはそれ、物語を最後まで見てから離脱して、もう一度この世界にアクセスし直したら、最初から見直せるのでは」
「それ、昔に何回も試したよね。
その場合、世界がラストシーンでフリーズしてるか、物語終了後の日常を延々見せられることになったよね。
とにかく、一度小世界に入ったら、観測は一発勝負だよ。やり直しはきかない」
「それでも100回くらい試したら、1回くらい成功するかも……」
ヤーコプが必死に食らいつきます。
「くどい。無理。
とにかく、犯人を知りたかったらボクたちか登場人物が捜査するしかないよ。
……あ。でもさ。
ボクらの他に、上位世界からの旅行者がいるんじゃない?
そいつが小人を殺して、白雪姫を盗んだのかも」
「複数の旅行者が、偶然全く同じ小世界に?
可能性は恐ろしく低いが……」
ヤーコプが、素早く世界観測儀を取り出して操作します。
「……いや、僕たち以外の旅行者は観測できない。
それに、上位世界の人間が小人を殺すには、実体化する必要がある。
どちらの状態であっても、僕の探知から逃れられるわけがない」
「はあ……兄さんが断言するなら間違いないね。
ボクたちでもないし、この世界の住人の仕業かあ」
考えを否定されて、ヴィルヘルムはため息をつきましたが、すぐに瞳を輝かせました。
「なら、他の物語の要素が紛れ込んでいるのかな?
他の民話の殺人鬼とか」
「調べてみよう。
幸い、KHM53ソナーの結果が出ている」
言って、ヤーコプは四角い旅行鞄から書き物机によく似た形の演算機と椅子を取り出しました。
演算機は上位世界製です。外見はクラシカルなデザインの、ウォールナット製のキャビネットですが、中には精緻な機械部品が詰まっています。天板部分はタイプライターのようなキーボードになっており、正面にはスクリーンがついていました。
それを食堂の血溜まりの少ない壁際に置き(血で汚れはしないのですが、気分の問題です)、椅子に座ったヤーコプは、しばし難曲を弾くピアニストのようにキーボードと格闘を始めました。
その間、ヴィルヘルムは他の部屋を回って観察していました。
ややあって。
「ヴィルヘルム、解析が終わった」
ぶらぶらしていたヴィルヘルムがそれを聞いて、兄の元へ戻ってきます。
「どうだった?」
椅子に座ったまま、ヤーコプは体の向きを変えてヴィルヘルムに向き合いました。
「まず、童話や民話としては、ずば抜けて整合性が高い。
前にも言ったが、『王妃が城から遠い小人の家に1人で行くのは不自然だから、魔法の靴を持っている』『森の中の小人たちが自給自足しているのは不自然だから、魔法の石臼を持っている』といった風に、物語の矛盾を解消するべく民話らしい魔法の品を持たせたりしている。
逆に言うと、『白雪姫』のストーリーの辻褄合わせ以外の理由で、他の物語の要素は持ち込まれていない。
つまり何の脈絡もなく、人食い鬼だの殺人鬼だのは登場しないということだ」
「なるほど。その線は無しと」
「そしてほとんどの要素が、グリム童話集とエーレンベルク稿の『白雪姫』で占められている。
ただ問題は、1つのイベントに対して2種類のバージョンが重なるバグが起こっていることだ」
「ガラスの棺の白雪姫を、父親と王子の両方が見つけたことだね」
うなずいたヴィルヘルムが、何か思いついたようにふたたび瞳を輝かせました。
「じゃあさ、兄さん。
バグが、小人の死や白雪姫の強奪を引き起こした可能性は?
例えば、犯人がバグのせいで瞬間移動してきたとか。
例えば複数のバージョンがぶつかったせいで、王子か王様が2人に分裂したとか。
片方が小人殺しと白雪姫の盗みを働いて、片方がアリバイ工作をするんだよ!」
「……どうだろう。その発想はなかったな」
ヤーコプは、改めて真剣な顔で演算機の画面を見つめ、キーボードを叩き始めました。
しばらくして顔を上げます。
「……いや、さすがにそこまでの齟齬は見られない。
さっきも言ったように整合性が高い世界だから、未知の超常現象は存在しない。よって、何もなしに瞬間移動の類はできない。
もしあるとしたら、白雪姫の足が異常に速かったような、エーレンベルク稿と『子どもと家庭のメルヒェン集』のテキストから導かれる辻褄合わせだけだ」
「つまり、各バージョンの『白雪姫』と既出の要素だけで、この事件は構成されていると」
ヤーコプはうなずきました。
「そうだ。
それと、この世界は『ほとんど』が白雪姫に沿っていると言ったが、現代的な要素も含まれている。
この世界の成立は最近だ。つまり登場人物に、それぞれ個性や複雑な思考能力が与えられているし、『赤と金の林檎』のように、後世的な解釈も存在する。
細かい整合性が加味されているのも、現代的な作品の特徴だ」
「まあ各キャラの移動とか、細かい辻褄合わせがあるのは最近の話だよね。中世とかだと、もっとふわっとしてるもの」
「昔は口承、語りの文学だったから、抽象的なストーリーでも聞き流せた。今は活字で読み返せるから、具体的であることが要求される。
ともあれ、複数バージョンが重なるバグと、整合性の高い世界であることの結果、このような原作とはかけ離れた展開になったと僕は推察する」
「つまり?
7人の小人殺人事件と白雪姫盗難事件は?」
「この事件は、『白雪姫』の登場人物が起こした。
その人物は、これまでの出来事の結果、小人たちの殺害と白雪姫の奪取に利益があると判断し、実行した」
ヴィルヘルムが、にやりと笑います。
「さすが兄さん。
ヨーロッパ民話の世界について、決して観測と分析を違えることはない。
分からなければ『分からない』と言うけれど、結論を出したなら、それは必ず正しい。
それが兄さんの物語。ヤーコプ・グリム・Hの能力」
ヴィルヘルムの笑いは、兄ヤーコプへの信頼と愛情、そしていずれ必ず特定される犯人への、侮蔑と憐憫とがありました。
「ところで、ソナーの分析で事件の真相は読み取れない?」
「僕たちの持っている機器は、物語全体の構造を解析するためのものだ。
昨日の夜、ここで何が起こったかという細かな情報は読み取れない。天体望遠鏡で昆虫観察を行うようなものだ」
「それは残念。
ズルはできないってわけだ」
ヴィルヘルムは、ふっと息をついて皮肉な笑みを浮かべました。
「兄さん、ボクからも報告。
この家の窓と扉は、全部内側から鍵がかかってる。
しかも、ボクたち以外に人はいない。
これ、密室殺人だよ」




