第94話 国が生まれるまで
〈私がエルディオに出会ったころ、この国には王家も貴族もなかった〉
ポルフィラは顔を上げた。
〈セレフィアの一族も?〉
〈一族はいた。だが、まだ国の長ではなかった。二つの民はあちらこちらに集落を作り、混じって暮らしていた〉
今のように、竜の民だけが村に押し込められていたわけではない。
〈天馬と繋がるのは、総じて色素の薄い人々だった。中にはその力を頼みに、強引に自分の主張を通す者もいた〉
〈ほかの人は、逆らえなかったの?〉
〈天馬を前にすれば、恐れる者は多かった〉
〈あなたは、どうしてこの国に来たの?〉
〈天馬を追っていた〉
思いがけない返事に、ポルフィラは少し目を見開いた。
〈エルディオを探していたんじゃないんだ〉
〈違う。私は世界を旅していた。見かけた天馬を追ううちに、この国まで来てしまった〉
オブシディオンはそこで一度言葉を切った。
〈私は、世界の果てにある、火を吹く山々で生まれた。竜が生まれ育つ場所だ〉
〈ほかの竜もいるの?〉
〈ああ。そこで長老から、人と繋がる竜がいると聞いていた。ほとんど起こらないことだが、繋がった竜は、相手が自分と似ていたと話していたそうだ〉
〈似ていた……〉
ポルフィラは自分の手を見た。黒い鱗も翼もない。何が似ているのか、すぐには思い浮かばなかった。
〈何が似ていたの?〉
〈長老の話だけでは、私にも分からなかった〉
声が少し低くなった。
〈だが、エルディオを見つけた瞬間、引っ張られるように感じた。私は彼の前に降り立った〉
初めて見る竜に、人々は大混乱になった。その中で、エルディオだけは躊躇わずに近づいてきたという。
〈彼は私に話しかけた。私は人の言葉を持たなかったが、その言葉が分かった。そして、彼にも私の言葉が分かった〉
〈私たちが、こうして話しているみたいに?〉
〈ああ。そのとき、私たちは繋がった〉
ポルフィラは、初めて返事を聞いた時のことを思い出した。あれと同じことが、遠い昔にも起きていたのだ。
*
〈そのあと、どうしたの?〉
〈集落で争いが起きると、エルディオが話をしに行った。天馬を持つ者にも、集落の人々にも。争わずに双方の主張を聞き、公平に物事を進めようと持ちかけた〉
〈エルディオが、みんなをまとめたんだね〉
〈彼は、まとめる役割を別の者に頼んだ〉
ポルフィラは首をかしげた。
〈どうして?〉
〈私と繋がった自分は、強大すぎると言った。人々を恐れさせる者は、皆の上に立つのは向かないと〉
あの係の前へ竜が現れたら、と考えた自分を思い出した。
相手を怯えさせ、従わせることはできる。けれど、それでは村の皆が黙っているのと、同じことになる。
〈頼んだ相手が、セレフィアの一族だったの?〉
〈そうだ。その一族には天馬と繋がる者が多く、すでに争いの仲裁をしていた。エルディオは彼らに、人々のまとめ役を担ってほしいと話した〉
〈そこから、王家になったの?〉
〈すぐではない。人口が増え、暮らす場所が広がれば、仲裁する者が他にも必要になる。一族は徐々に分かれ、八つの領地をまとめるようになった〉
八つ。
今は七つになっている領地を、ポルフィラは思った。
〈その中で、もとの一族を国の長と決めた。残る七つの一族がそれを支える。それが、この国の始まりだった〉
誰が一番強いかを決めて、国ができたのではなかった。暮らしの中で起こる争いを話し合って収め、互いに協力し合うために国が興ったのだ。
〈セレフィアも、エルディオと一緒にそれを考えたの?〉
〈彼女が生まれたのは、そのあとだ〉
ポルフィラは返事を聞き直すように、しばらく黙った。
〈そのあとに生まれて……大人になったセレフィアと、結婚したの?〉
〈ああ〉
〈エルディオは、そのころには何歳だったの?〉
〈長く生きていた。私と繋がってから、彼は歳を取らなくなっていた〉
膝に置いていた手を、ポルフィラは握った。
〈歳を取らない?〉
〈竜と繋がった人は、竜とともに長く生きる。エルディオの弟は、そのころにはかなり老いていたが、彼の姿は変わらなかった〉
同じ家で育った兄弟なのに、弟だけが老いていく。
国が生まれ、人々の暮らしが広がり、セレフィアが生まれて育つ間も、エルディオは変わらずに生きていた。
〈私も、そうなるの?〉
〈おまえも私と繋がっている〉
ポルフィラは家の中を見た。母が器を並べている。父の髪には、いつからか白いものが混じるようになった。
自分は二人と同じようには歳を重ねない。
聞いたばかりのことを、どう受け止めればいいのか分からなかった。
オブシディオンは、続きを急がずに待っていた。
やがてポルフィラは、もう一つの疑問を口にした。
〈でも、エルディオは老いて亡くなったって…>
〈私が石になったあと、彼は人として老いるようになった。子とセレフィアの縁者を守り、寿命を迎えるまで生きた〉
〈石になってからも、エルディオのことは分かっていた?〉
〈周りの会話は聞こえていた。彼が生き、家族を守っていたことも知っている〉
教科書では、竜とともに討たれたとされていた人。その人は本当は生き残り、自分の子が育つ年月を生きたのだ。
〈竜も、ずっと生きられるの?〉
〈長寿だが、いつか寿命は来る。ただ、人と繋がった竜は、自らの意思で魂を石に移し、その中で生き続けられる。長老はそう教えてくれた〉
〈だから、あなたは石になれたんだね〉
〈ああ。再び繋がれる人に、火を吹く山へ戻してもらえば蘇れる。山は、生まれた場所でなくてもいいそうだ〉
ポルフィラは、自分が石を投げ入れた火口を思った。あの山が、オブシディオンの故郷ではないのだ。
*
家の中から、ミレアが呼んだ。
ポルフィラは返事をしたが、立ち上がる前に尋ねた。
〈エルディオの弟は、結婚を喜んだの?〉
〈考え直すように言っていた。竜を持つ者が、一つの血族と強く結びつくのは危険ではないかと〉
国の長を担う一族と、それよりも強い竜を持つ人。
別々に人々を支えていた二人が、夫婦になった。
〈それでも、結婚したんだね〉
〈彼はセレフィアを愛していた〉
オブシディオンの声が途切れた。ポルフィラは、その先を待った。
〈今の王家の祖先も、彼女との婚儀を望んでいた。両家の間で話を進めていたのだ〉
〈ルベリオン家が?〉
〈ああ。彼らはエルディオが竜の力を得たことを妬み、竜の民の容姿を嫌っていた。その彼がセレフィアと結婚したことを、一族への恥と受け止めた〉
〈それで、反乱を……〉
〈決意した〉
ポルフィラは、戸口に手をついた。
人々をまとめるために生まれた国で、誰と結ばれるかを巡って争いが起きた。エルディオが持つ力は、争いを収める助けにもなり、新たな争いを起こすものにもなった。
竜がいれば、皆が平和に暮らせる。
そんなふうには、考えられなかった。
〈食事のあとも、話を聞きたい〉
〈ああ〉
ポルフィラは立ち上がった。
国が生まれた理由も、壊された理由も、今の暮らしに繋がっている。エルディオが何を守ろうとしたのかを、もう少し知りたかった。




