第9話 麦の行き先
朝、ドランはトーマの家へ出かけた。父親は戸口で待っていた。ドランが座ると、父親は口を開いた。
「昨夜、二人で話した。しばらく、あの子に本を読ませるのはやめたい」
母親は膝の上で両手を重ねた。
「これまでも怖かったよ。でも、包みを確かめて、帰る時間を言って、送り出してきた。昨日から、何も知らずにあの子を待っていたことばかり考えてしまうんだ」
父親が続けた。
「地下へ行かなくても、本が見つかれば命に関わる。今は、出かけていいとは言えない」
ドランが答えた。
「分かった。娘にも、皆で読むのは待つように言ってある」
母親は息を吐いた。
「トーマは、覚えた字を忘れたくないと言っていたよ」
ドランは、昨夜、父母の前で言葉を探していた少年を思い出した。
「それほど読みたかったんだな」
父親はうなずいた。
「しばらく休ませるが、何を読みたいのかは聞いてやろうと思ってる」
帰り際、ドランは、ほかの親にも地下のことを話すと伝えた。
「皆がどうするか決めたら、教えてくれ。うちの子だけが何も聞かずに待つことにならんようにな」
ドランはうなずいた。
「ああ」
*
ポルフィラは、本を持たずに産屋跡へ向かった。戸の前で待っていたガルが、彼女の後ろを見た。
「トーマは?」
ポルフィラは声を落とした。
「今日は来ないの。昨日、家の人が地下のことを聞いたから。ほかの家にも、うちのお父さんが話す。それまで、皆で読むのも待ってほしいって」
そこへ来たリナは、閉じた戸を見た。
「下へ行かない約束は、守ってるよ」
ポルフィラが答えた。
「うん。でも、家の人が知らないままにはしておけないって」
セラとシオンにも伝えると、誰も本を出さなかった。シオンは包みを抱えたまま言った。
「昨日、似ている字を見つけたんだ。違うかもしれないけど、皆にも見てもらいたかった」
ポルフィラも見たかった。けれど、布へ手を伸ばすのはこらえた。
「また読めるようになったら、見せて」
シオンがうなずくと、ガルは戸へ伸ばしかけていた手を下ろした。
「うちにも来るんだな。じゃあ、俺も帰る。聞かれたら、自分で話す」
リナも包みを肩へ掛け直した。
「私も。今日は、お姉ちゃんに代わりをさせないで済むし」
そう言ったが、声はいつもより小さかった。別れる前に、セラがポルフィラへ頼んだ。
「私たちも読まずに帰ったって、トーマに伝えてもらえる? 自分がいない間に、皆だけで先を読んだと思ったら、気になるでしょう」
「わかった」ポルフィラは答えた。
鍛冶場へ帰ると、ポルフィラは父へ皆の様子とセラの伝言を話した。ドランはトーマの家へ伝えると約束し、娘はミレアにも知らせに家へ入った。
*
ドランはガルの父母を訪ね、次にリナの母親、セラの父母へ話した。壁の奥に階段があり、六人が下りたこと。自分が見たあとも安全とは判断できず、今は下りさせていないこと。地下には文字と絵を刻んだ石板があり、子供たちはその写しを調べていたこと。ガルの母親は、息子の包みへ目を向けた。
「あの日、灯りを持って出たのは、地下へ下りるためだったんだね。産屋へ行くとしか聞いていなかったよ」
ガルは母親を見た。
「うん。暗かったから、灯りがいると思って。壁の奥に階段があるなんて、びっくりして、皆で下りたんだ」
母親は息子の肩に手を置いた。
「下で何かあっても、母さんたちは、どこを捜せばいいか分からなかったんだよ」
ガルは目を伏せた。
「帰ってから話せばよかった。ドランおじさんに言われてからは、もう下りてないよ」
父親が尋ねた。
「それで、下には何があった」
ガルは石板に字や絵が刻まれていたことを話した。話を聞き終えても、母親の手はガルの肩から離れなかった。
リナの母親は、ドランの話を聞き終えると娘へ向き直った。
「帰るのが遅かった日に、字を調べていたと言ったね。地下で見つけた字のことだったの?」
リナはうなずいた。
「石板から写した字を、本で探してたの。ドランおじさんに、もう入るなって言われてからは、下には行ってない」
母親は娘を見た。
「字を調べていたというだけでは、そこまで分からないよ。話してほしかった」
セラの父親は、戸の留め金へ目をやった。
「石板には、天馬の民に知られたら困ることが書いてあるのか」
ドランが答えた。
「まだ分からん。娘たちにも、全部は読めない」
父親は眉を寄せた。
「それなら、問い詰められても、俺たちには何を調べていたか答えられないな」
母親も夫を見た。
「本を読むことさえ隠しているのに、隠された石板まで見つけたと知られたら、何を疑われるか分からないわ」
ドランは二人へ頭を下げた。
「地下には下りさせず、写した字を本と比べさせていた。だが、おまえたちに知らせず、俺だけで続けさせたのは、よくなかった」
セラの父親は、妻と相談したいと言った。母親も、娘がドランへ何か聞きに行ったら知らせてほしいと頼んだ。
「あなたに話せば、家では言わなくていいと思われても困るから」
どの家でも、その場で以前のように読んでよいとは言われなかった。リナの父親にはまだ会えていない。シオンの父親にも説明し、母親へ石板のことまで伝える必要があった。
帰りにトーマの家へ寄り、ドランは母親にセラの伝言を渡した。彼女は畑への道を見た。
「帰ってきたら、話しておくよ」
*
昼過ぎ、管理者が鍛冶場へ来た。出来上がった道具を数え、帳面へ書きつける。
「残りは、あと何日でそろう」
ドランは未完成の刃を示した。
「この分は明後日までに。柄をつけるものは、その次の日になります」
管理者は日付を確かめた。
「荷を取りに来る日には、間に合うな」
ドランが答えようとすると、袋を持ったセラの父親が戸口へ来た。管理者を見て頭を下げた。
「麦の袋が一つ破れました。詰め直していますので、運び出す前に見ていただきたいのですが」
管理者が尋ねた。
「麦は、どれくらいこぼれた」
父親は袋を下ろした。
「下に敷いていた布へ落ちた分は拾えました。重さは、もう一度確かめています」
管理者は破れたところを見た。
「新しい袋へ移したら、口を縛る前に呼んでくれ。足りていれば、そのまま納められる。不足があれば、先に知らせてほしい」
父親は短く息を吐いたが、ためらって尋ねた。
「足りなければ、納める日を延ばしていただけますか」
管理者は帳面から顔を上げた。
「私には延ばす許しを出せない。不足する量と、いつ納められるかを、領主の役人へ伝えて頼むことになる」
セラの父親は頭を下げた。
「次の荷と一緒に納めるのでは、遅いでしょうか」
管理者は少し考えた。
「倉から町の製粉所へ送る日が決まっている。麦が足りなければ、パン屋へ売る粉も足りなくなる。次の荷まで待てるか、確かめなければな」
父親は袋の口を握ったまま答えた。
「分かりました。重さを確かめて、すぐにお知らせします」
管理者がうなずいた。
「事情は伝える。詰め直したら呼んでくれ」
町には村から届くものを待つ多くの人がいる。だから、食料を育てた家の食べる分を残すために、納める量を減らしてよいとは言ってもらえない。父親が出ていくと、管理者は沈痛な面持ちで帳面へ目を戻した。
*
夕方、ポルフィラとミレアが洗濯物を取り込んでいると、ドランが帰ってきた。ほかの親にも、今日会えた者には説明できたという。ミレアが布を畳み終えると、娘は父母へ話しかけた。
「本のことで、気になってることがあるの。下へ行かなくても調べられるかもしれない」
ドランが椅子へ座った。
「どんなことだ」
ポルフィラは二冊の頁を思い浮かべた。
「古い方には、竜の民と天馬の民が力を合わせて、平和を築いたって書いてある。そのあと、竜の民が争いを起こしたんだって。でも、新しい方には、協力した話がないの」
ミレアが尋ねた。
「争いの話だけなの?」
ポルフィラが続けた。
「竜の民が反乱を起こして、天馬の民が止めた。それで、初めて平和になったって」
ドランは娘へ向き直った。
「古い本には、二つの民が協力して平和に暮らしていた時代があった、と書いてあるんだな」
娘はうなずいた。
「だから、短くしただけじゃないと思う。でも、古い方が間違っていたのかもしれない。二冊とも、書いていないことがあるのかもしれないし」
ポルフィラは続けた。
「本をくれた人に聞いてみたい。どうして変わったのか。古い本も、どうして取ってあったのか」
ドランは、管理者の顔を思い出した。
「今日も来たが、人が出入りしていて、本のことは話せなかった。次に人目を避けて話せるときがあれば、俺から聞いてみる」
ミレアが夫を見た。
「地下のことまで話すつもりではないでしょう?」
ドランは首を振った。
「教科書の話だけだ。名前も、階段のことも言わない」
ポルフィラは父母へ答えた。
「私も、勝手に聞きに行かない。聞けるときまで待つ」
二冊とも、同じ人から譲ってもらった。古くなったから新しい本をくれたのか。それとも、違いを知っていて、両方を読めるようにしてくれたのだろうか。あの人なら、話が違う理由を知っているのだろうか。




