第8話 話せなかったこと
翌日の夕方、ドランはトーマの家を訪ねた。昼に父親と会い、夫婦に話があると伝えておいた。中へ招かれると、母親も食卓のそばで待っていた。ドランは椅子へ腰を下ろした。
「昨日は、娘が世話になったな」
母親は椀を置いた。
「こちらこそ。鍬も使いやすくなったよ」
ドランは二人へ向き直った。
「今日は、産屋のことで話がある。本を読んでいる部屋の壁に、下へ続く階段が隠されていた。子供たちが見つけて、六人とも灯りを持って下りたそうだ」
母親の手が止まった。
「トーマも?」
ドランはうなずいた。
「その翌朝、ポルフィラから聞いた。俺が確かめるまでは下りるなと言って、さらに翌朝、見に行った。階段の端が欠け、天井にも割れ目がある。今も下りさせていない」
父親が尋ねた。
「下には、何があった」
ドランが答えた。
「台と、傷んだ棚だ。台には、字と人の絵を彫った石板がある。娘たちにも全部は読めないから、何を残したものかは分からん」
母親は戸口へ目を向けた。
「私らには、何も言わなかった」
母親は声を低くした。
「本を隠して読むだけでも、毎日心配しているんだよ。見つかれば、あの子が殺されるかもしれない。そのうえ、知らない階段へ入っていたなんて。天井が落ちたら、探しに行っても見つけられないじゃないか」
ドランは黙って聞いた。父親が続けた。
「下りても大丈夫かどうかは、まだ分からんのだな」
ドランが答えた。
「ああ。天井の割れ目がどこまで続いているか、俺には判断できん。子供を下りさせるわけにはいかない。それに、石板を隠した理由も分からん。天馬の民に見つかって、なぜ調べていたと問われても、俺たちには答えようがない」
ほかの親も知っているのかと尋ねられ、ドランは、シオンの母親が部屋のことだけ聞いていると伝えた。残る三人の家には、地下の話がまだ伝わっていない。
「昨日、娘から報告を聞いた。ほかの親にも、俺から話す。知らせるのが遅くなった。すまん」
父親はドランを見た。
「知らせてくれたのはありがたい。だが、本を見つけられてあの子が連れていかれたら、俺たちには取り戻せん。これからも読ませていいのか、もう一度考えたい」
ドランが答えた。
「分かっている。おまえたちに黙って、続きを調べさせていいことではなかった」
父親は妻と目を合わせ、戸口へ向いた。
「トーマを呼ぼう」
*
トーマが入ってくると、ドランは椅子を空けた。父親が息子へ声をかけた。
「産屋の下へ、下りたそうだな」
トーマは戸のそばで止まり、ドランを見てから父へ目を戻した。
「うん」
「どうして、俺たちには話さなかった」
トーマは膝の上で指を握った。
「灯りを持って、足元を確かめながら下りたんだ。気をつければ大丈夫だと思ってた」
父親は息子から目を離さなかった。
「下り方を聞いているんじゃない。なぜ話さなかったんだ」
トーマは口を閉じた。足元に気をつけたことは、黙っていた理由への答えにならなかった。ドランが親子だけで話せるよう戸口へ向かうと、父親が呼び止めた。
「もう少しここにいてくれ。おまえから聞いた話も確かめながら、トーマがどう考えていたのか聞きたい」
ドランは食卓の端へ椅子を寄せ、座り直した。母親が息子へ言った。
「何かあったら、助けに行きたいんだよ。でも、どこにいるか知らなければ、助けられないでしょう」
トーマは視線を落とした。
「言ったら、本を読むのもやめろって言われると思った。ドランおじさんが見て、下りちゃ駄目だって言ったから、そのあとは入ってない。上で字を調べるだけなら、言わなくてもいいかと思った」
ドランは少年へ声をかけた。
「今日、俺が話すまで、父さんと母さんは下の部屋のことを知らなかったんだ。家で何を話したか教えてくれと言ったのは、俺からも説明するためだ」
父親は息子を見た。
「何度も同じ字を書いて、覚えようとしているのは知ってる。だが、本を見つけられたらどうなるかも、分かっているだろう。母さんは、出かけるたびに包みを確かめてる。それだけでは守れんかもしれんと思いながら、送り出してるんだ」
母親は息子の椅子の背を握っていた。
「私は、あなたを失いたくないんだよ」
声が途切れた。
「本をどこでもらったか聞かれたら、友達のことも、その親のことも隠し通せるか分からないでしょう。家の者まで連れていかれたら、どうなるの。読みたいからって、自分だけのことだと思わないで」
外で祖父と妹の笑い声がした。トーマは戸へ目を向け、母へ顔を戻した。
「本が見つからないようにすればいいと思ってた。どこにいるか知らせることまで、考えてなかった」
母親は静かに言った。
「怒られると思っても、危ないところへ行ったときは話してちょうだい。何も知らずに送り出して、あとで何かあったと聞くのは、もっと怖いんだよ」
父親が続けた。
「下の部屋には入るな。何か新しいことをする前にも、俺たちに話せ」
トーマはうなずいた。
「分かった。下へ行きたくなっても、まず父さんと母さんに話す」
それから、父へ尋ねた。
「上で本を読むのは?」
父親は妻を見た。二人とも、すぐには答えなかった。ドランが口を開いた。
「上の部屋も古い。床や壁も確かめてからでないと、子供だけで使わせていいとは言えん。地下へは入らないよう、皆にも改めて言い聞かせる」
父親は考えてから息子へ答えた。
「明日は産屋へ行かず、畑を手伝ってくれ。建物が安全でも、本が見つかれば命が危ない。これからも読ませていいのか、母さんともう一度話す」
トーマは唇を結んだ。明日も皆と読むつもりだった。父親が続けた。
「今ここで、二度と読むなと決めるつもりはない。だが、何も聞かなかったことにして、明日も出かけさせることはできん」
トーマはゆっくりうなずいた。
「明日は、家の仕事をする。みんなにも伝えておきたい」
母親がドランへ、ほかの子にも知らせてほしいと頼んだ。ドランは引き受け、翌朝また夫婦と話す約束をした。帰ろうとすると、トーマが戸口までついてきた。
「ドランおじさん。父さんたちに説明してくださって、ありがとうございました。僕も、先に自分から話せばよかったです」
ドランは少年へ向き直った。
「次は、父さんと母さんにも話してくれ。言いにくければ、俺に相談していい。一緒に話すこともできる」
トーマが戸を開け、頭を下げた。
*
その夜、ドランはミレアとポルフィラへ、トーマの家での話を伝えた。明日は休ませ、これからも読ませるかは、父母が相談して決めるという。ポルフィラは目を伏せた。
「私が、字を教えたから……」
ミレアが隣へ座った。
「トーマも、自分で読みたいと思ったのよ。でも、どこへ行って何をしているかは、家の人に知らせないとね」
娘は母を見て、それから父へ尋ねた。
「お父さんとお母さんは、私にも読むのをやめてほしい?」
ドランはすぐには答えなかった。ミレアと目を合わせ、娘へ向き直った。
「本を取り上げたくなることはある。見つかれば、おまえが殺されるかもしれん」
ポルフィラは母へ目を移した。
「お母さんも?」
ミレアはうなずいた。
「帰ってくるまで落ち着かない日もあるわ。字を覚えたあなたを見て嬉しかったのも本当。でも、それだけで読ませると決めたわけではないの」
母は娘の手へ触れた。
「私たちは、天馬の民に何を言われても、黙って従わなくてはいけないことがあるでしょう。でも、従わなければ生きていけないことと、相手が正しいと思うことは同じではないわ」
ポルフィラは母の言葉を聞いていた。ミレアは続けた。
「私たちを人と認めない人たちに、何を知っていいかまで決められて、あなたもそれを当たり前だと思うようになってほしくなかった」
ドランが口を開いた。
「知らないことを、ずっと知らないままでいる必要はない」
父は食卓の上で拳を握った。
「おまえは、分からんことがあると知りたがるだろう。俺たちが怖いからといって、何も知ろうとするなとは言いたくなかった。だが、命を失ったら取り返しがつかん。どう育てればいいのか、母さんと何度も話した」
ミレアが娘の手を包んだ。
「命は何より大事よ。でも、怖いからというだけで、学びたい気持ちを全部押さえつけることも、できなかったの」
ポルフィラは返事ができなかった。
「だから、お父さんと私で隠して読むための決まりを考えて、あなたにも教えてきたの。それでも、絶対に大丈夫にはならないわ。足音がすれば、今も本を取り上げて隠したくなる」
ドランは娘へ言った。
「ほかの親が、もう読ませたくないと思うのも分かる。俺たちと同じように、子供を死なせたくないんだ。俺たちが読ませているから、おまえの友達にも続けさせてくれとは言えん」
ポルフィラは小さくうなずいた。父は声を落とした。
「本を見つけられれば、誰からもらったか、誰と読んだか聞かれる。管理者も、友達も、家の者も無事では済まんかもしれん。だから、それぞれの親にも話す」
「地下へ入ったと聞いたときは、天井が落ちていたらと思った。これからは、知らない場所へ行く前に、俺か母さんに話してくれ」
ポルフィラは、階段を見つけた日に先に下りたことを思い出した。
「うん。先に相談する」
それから、ためらって尋ねた。
「みんな、来られなくなるかな」
ミレアが娘の手を握った。
「一緒に読めなくなったら、寂しいわね。でも、ほかのお母さんたちも怖いのよ。すぐには決められないと思うわ」
ポルフィラは、いつも戸口のそばに座るトーマを思い浮かべた。明日は、そこにいない。ほかの皆にも、来られないことを知らせなければ。娘は顔を上げた。
「明日は、トーマが来ないってすぐ伝える」
ドランが答えた。
「本は持っていかず、そのことだけ伝えて戻ってくるんだ。ほかの親との話が済むまでは、皆で読むのは待ってくれ」
残りの皆で読めると思っていた。けれど、ガルたちの親も地下を知らないままだ。ポルフィラは少し黙ってからうなずいた。
「分かった。お父さんが、家の人たちと話すって伝える」
夜ベッドの中でポルフィラは石板のことを考えていた。
エルディオという名と、読めない文字。誰かが石へ名前を刻んだ。消えないように残したかったのだろうか。それなのに、壁の奥へ隠されていた。いったい誰に残し、誰から隠したものなのだろう。




