第87話 掌にあったもの
クラウスとテオバルトが館を訪れたとき、ドランはポルフィラの隣に座った。三人の領主を前にすると、娘の手を握っていたミレアの体がこわばった。
クラウスは二人を見た。
「竜の話は聞いた。もう一度会う前に何を確かめたいか聞かせてほしい」
ドランは娘へ目を向けてから、口を開いた。
「娘と繋がると言ったそうですが、これから娘に何が起きるのか知りたいのです。声が聞こえたら行かなければならなくなるのか。竜がそばに来ることを拒めるのか」
ミレアが続けた。
「本人が行かないと言っても、どうにもならないことがあるのではないかと……」
ポルフィラは母の手を握り返した。夢に出てくることは自分で決められなかった。声が聞こえるようになった今、何を自分で決められるのか、まだ分からない。
「私もそれは聞きたい。それから石が何だったのか。ずっと持っていたのに、何も知らなかったから」
テオバルトがうなずいた。
「その答えは我々にも分からない。竜に聞かなければならないな」
ドランはレオノーラを見た。
「娘が帰ると言ったら、帰してくださいますか。途中までしか話せなくても」
「ええ。無理に留まれとは言わないわ」
答えを聞いても、ドランの顔は緩まなかった。ポルフィラは握られた手を見た。
「父さん。怖いと思ったら帰りたいと言うから」
ドランはしばらく娘を見てから、うなずいた。
「行く前に、もう一度話そう」
その夜、三人で話した。ミレアは、何度も帰ってきてほしいと言った。ドランも危険がないと思えなかった。それでも、娘に何が起きているか分からないまま、村へ戻ることはもっと恐ろしい。
翌朝、ドランはレオノーラに娘をもう一度連れていってほしいと頼んだ。
*
風が穏やかになるのを待って、一行は再び山へ向かった。麓で一夜を過ごし、朝に岩壁を越えると、黒い竜は前に別れた斜面にいた。
長い尾が岩の間へ横たわり、畳まれた翼が背を覆っている。二頭に気づくと竜は首を持ち上げた。
ポルフィラはリゼリアの服へ手をかけた。今度こそ落ち着いて会えると思っていたが、あの頭が動くのを見ると身体が固くなる。
シルヴァが岩棚へ下りた。竜は動かず、その場所からこちらを見ている。ポルフィラは足を地面へつけ息を整えた。
マティアスがそばへ来た。
「ここで休んでからでもいい」
ポルフィラはうなずいた。急いで話し始めなければならないわけではない。リゼリアが水を渡してくれ、喉を潤すと、ようやく肩の力が抜けた。
レオノーラは竜とポルフィラの間に十分な距離があることを確かめてから、娘へ顔を向けた。
「あなたから話して」
ポルフィラは竜を見上げた。
「父さんと母さんに、話してきたよ。あなたに会ったこと」
〈そうか〉
聞き覚えのある声が届いた。ポルフィラは少しだけ息を吐いた。
「二人とも怖がっていた。私も分からないことが多くて。あなたと繋がると、私は呼ばれたら来なければならないの?」
竜の目が、ポルフィラを捉えた。
〈私がおまえを呼んでも、来るかどうかは、おまえが決める〉
「来なくてもいいの?」
〈おまえの身体を勝手に動かすことはできない〉
ポルフィラは、隣のマティアスへ顔を向けた。
「呼ばれても、行くかどうかは私が決められるそうです。勝手に身体を動かされたりはしないって」
マティアスは竜を見てから、娘へうなずいた。
「両親にも、そのまま伝えよう」
ポルフィラは袋へ触れた。もう一つ、母が恐れていたことがある。
「私の家には来ないでほしいの。あなたが来たら村のみんなは逃げまどう。天馬の民にも知られてしまう」
竜は静かに聞いていた。
〈おまえが望まぬうちは、村へは行かない〉
「ありがとう」
紫の目が瞬いた。
袋から手を離せずにいると声が届いた。
〈石のことを聞きたいのだろう?〉
ポルフィラは顔を上げた。
「分かるの?」
〈そこへ何度も手を置いている〉
彼女は指をほどいた。竜は自分を見ていた。夢の中ではなく、目の前にいる相手として。
石を火口へ投げたときのことを思い浮かべる。赤いものが石へ吸い込まれ、空になった火口から、黒い炎が噴き出した。
あれは何だったのだろう。
問いが言葉になる前に、ポルフィラの内側で返事が響いた。
〈私の魂のかけらだ〉
ポルフィラは動けなくなった。
魂。人が亡くなった時に聞いたりする言葉だった。それが、かけらになってあの布に包まれていた。
〈あれが……あなたの?〉
声に出していない。なのに竜から返事が返る。
〈そうだ〉
頭の中で思っただけなのに、通じた。
ポルフィラは袋から手を離し、自分の掌を見た。何度も石を載せた手だった。落とさないように気をつけて、陽にかざして色を見ていた。
〈石になっていた間も、生きていたの?〉
〈生きていた。だが、この身体はなかった〉
これほど大きな身体が、なかった。だから夢の中で、目しか見えなかったのだろうか。
〈私が、あなたを戻したの?〉
〈おまえが、石を復活の山へ持って来た〉
大切な石を失ったのではなかった。その石だと思っていた相手が、今、目の前にいる。
竜の声が、もう一度届いた。
〈このことは、かつてエルディオにしか明かさなかった〉
ポルフィラは目を上げた。
〈セレフィアにも?〉
〈彼女も知らなかった。私の魂のことを、これ以上ほかの者に知られたくない。おまえも誰にも話さずにいてほしい〉
ポルフィラは隣のマティアスを見た。石を守ってくれた両親にも、何だったのか教えたいと思っていた。けれど、それはこの竜の大切な秘密なのだ。
〈父さんと母さんには、私に何が起きるのか話さなければならないの〉
〈それを隠せとは言っていない。魂のかけらのことだけ、私とおまえの間に留めてほしい〉
ポルフィラは竜を見つめた。今の願いを聞かなかったことにはできない。
〈分かった。誰にも話さない〉
紫の目が、静かに瞬いた。
リゼリアがそっと腕へ触れた。
「ポルフィラ。大丈夫?」
ポルフィラは顔を向け、うなずいた。何を聞いたのかと尋ねる目が、自分へ向いている。
「石のことを……聞いていたの」
その先は話さなかった。自分たちの会話は誰にも聞こえない。石が魂のかけらだったことは、自分たちだけの秘密になった。
ポルフィラはもう一度、竜を見た。
石の中に、自分の知らない命があった。
その命が、あの村からここまで、自分と一緒に来たのだ。




