第58話 見たことない山
ポルフィラが十六歳になったころ、ドランは近くの村へ届ける鎌を、娘に渡した。
「シオンの伯母さんのところだ。あの家は、分かるな」
「うん。シオンも薬草を届けに行くから、一緒に行ってくる」
村へ続く道は、子供のころ父や母について歩いた道だった。今は二人が家に残り、ポルフィラが届ける物と伝言を預かる。父は刃が布で包まれているのを確かめると、戸口まで見送ってくれた。
「暗くなる前には戻れよ」
約束して外へ出ると、シオンが道の先で待っていた。少し長い茶緑色の髪を首の後ろで束ね、籠を腕へ掛けている。
「行こう。伯母さん、今日は家にいるって」
歩き始めると、鍛冶場から鉄を打つ音がした。
*
畑の間を歩き、丘を越えると、隣村の家々が見えてきた。羊を追っていた子供が道を空け、シオンへ手を振る。ポルフィラも顔を知っている子だった。
伯母の家では、届いた薬草をしまう場所をシオンが教わっていた。以前は父親についてきていたが、今は頼まれた物を自分で揃えて運んでいるという。
ポルフィラが鎌を渡し、父からの伝言を話すと、伯母は礼を言って二人を休ませてくれた。
「ドランにも、ありがとうと伝えておくれ。向こうへ行く用事ができたら、私も寄るよ」
出された水を飲みながら、ポルフィラは庭を見た。家の脇には刈った草が積まれ、納屋から羊の声がする。自分の家とは違う匂いがした。
「シオンは、こっちへ来る仕事も増えたんだね」
シオンは頷いた。
「父さんがほかへ行く日は、僕が来る。まだ、聞かれたことに全部は答えられないけど」
「そういうときは、どうするの?」
「帰ってから父さんに聞いて、次に伝える。分からないまま答えるなって、祖父さんにも言われてる」
伯母が笑った。
「今朝も、使ったことのない薬草について尋ねたら、ちゃんと聞いてくると言ってくれたよ」
シオンは少し照れた顔で椀を置いた。切れ長の茶色の目が、こちらを見る。
「ポルフィラも、鍛冶場のことを聞かれるだろ」
「うん。直せるかって聞かれても、私じゃ分からないから、父さんに見てもらってる」
顔を見合わせて笑うと、伯母が帰りに持たせる物を取りに立った。
シオンは、その背を見送ってから小声で言った。
「また、みんなで集まれるといいね」
「うん。このあいだ、リナの家へ行ったよ。お姉さんにも会ってきた」
「今度は、僕たちも呼んで」
ポルフィラは頷いた。本当の産まれの話をしてからも、シオンもみんなもこうして隣を歩いてくれる。聞いたことをほかへ話すことも、知らないことを無理に尋ねることもなかった。
*
その夜、ポルフィラは、夢の中で顔を上げた。
いつもなら、そばに大きな瞳がある。今夜は暗い空の下に、岩の山が見えた。頂から煙が上がり、その奥が赤く光っている。
鍛冶場の炉に似た色だった。けれど、こんなに大きな火は見たことがない。山の中から赤いものが噴き上がり、縁に沿って火が散った。
ポルフィラは後ずさろうとして、山道に立っているのではないのに気づいた。まるで空の上から見ているような感じがした。
「ここは、どこ?」
声を出しても、誰も答えない。あの目を探したが、見つからなかった。火がまた膨らむ。赤く照らされた岩が目の前に迫り、ポルフィラは目を閉じた。
*
目を開けると、窓から朝の光が入っていた。胸へ手を置けば、寝間着の下に、いつもの布包みがある。
指を離し、起き上がった。昨日歩いた丘にも、遠くに見えた山にも、あんな火はなかった。
食卓で夢の話をすると、ドランは椀を置いた。
「山が燃えていたのか」
「木が燃えていたんじゃないの。岩ばかりで、山のてっぺんから火が噴き出していたの」
父は少し考え、ミレアと顔を見合わせた。母も首を振る。
「私は、そんな山の話は聞いたことがないわ。怖かった?」
「うん。目が覚めるまで、夢だって分からなかったの」
夢の中で見る瞳のことは、二人にも何度か話していた。けれど昨夜は、その姿さえ見えなかった。ただ山を見せられたような気がした。
ポルフィラは父へ顔を向けた。
「父さんは、火が出る山って、聞いたことある?」
「ないな。俺が行ったことのある場所にも、そんな山はなかった」
父も知らない。昨日の道とは違い、誰かについて歩いた記憶もない景色だった。
ポルフィラは椀を持った。湯気の向こうに、赤い岩がまだ浮かぶ。あんな場所が、本当にどこかにあるのだろうか。




