第52話 待っていた
ドランが戻ったのは、ミレアが夕食の鍋を火から下ろしたころだった。ポルフィラが顔を上げると、父は道具袋を置きながら笑った。
「遅くなった。ガルの家の荷車を直していたんだ。あいつも、車輪を外すときに手伝ってくれた」
大きな手には土がついていて、ミレアに洗ってきなさいと言われる。父が娘の頭を撫でて通り過ぎると、ポルフィラは母と目を合わせて笑った。さっきまで道の足音が気になっていたのに、父が帰った途端、お腹が空いてきた。
夕食を囲み、父の話を聞く。ガルも今ごろ家で食べているのだろう。家族も友達も、働いたあと、いつもの場所へ帰ってくる。そのことに、今はほっとしていた。
*
夢の中で、ポルフィラは大きな顔のそばへ座った。黒い鱗に掌を添えると、温かな呼吸が伝わってくる。
「また来たよ。私のこと、分かる?」
〈ポルフィラ〉
覚えていた声に、思わず笑った。けれど、周りは暗く、ほかの姿は見えない。自分には毎日会う人がいる。この生き物は、誰と過ごしているのだろう。
「私がいないときも、ここにいるの? 誰か、ほかに来る?」
返事は聞こえなかった。ポルフィラは鱗へ置いた指を少し動かした。
「ずっと一人なのかなって、思ったの」
〈待っていた〉
指が止まった。名前とは違う言葉だった。響きが消えないうちに、相手の目を見上げる。
「誰を?」
〈おまえを〉
胸が熱くなった。会えればうれしいと思っていたのは、自分だけではなかったのだ。
「前から、私が来るのを知ってたの?」
大きな顔が少し近づいたが、声は返らなかった。聞こえなかったのか、答えが届かないのかは分からない。それでも、相手の目はポルフィラへ向けられていた。
次の言葉を急かすより、今はそばにいたかった。
「少し、ここにいてもいい?」
深い息が吐かれた。ポルフィラは膝を寄せ、温かい鱗へ手を添え直す。
「今日は、父さんの帰りを待ってたの。帰ってきたら、うれしかった。あなたも……そうだったら、いいな」
話し終えると、その呼吸を聞いていた。相手が瞳を閉じても、掌の下には、ゆっくり膨らんで戻る動きがあった。
*
朝、部屋へ来たミレアを、ポルフィラは寝床のそばへ呼んだ。
「夢の中で、待っていたって言われたの。誰をって聞いたら、私を、って」
母は隣へ座り、娘の顔を見た。
「あなたを待っていたの?」
「そう聞こえた。前から私を知ってたのか聞いたけど、その返事はなかった」
話すうちに、うれしさの中に疑問が戻ってきた。何度も会って親しくなったつもりだった。けれど、相手はもっと前から、自分を知っていたのだろうか。
ポルフィラは胸元の袋へ手を添えた。夢との関係は分からない。それでも、自分と石がこの家へ来る前のことを知りたくなった。
「私と一緒に預けられた石でしょう。私が生まれる前から、誰かが持っていたのかな」
ミレアは娘の手に触れた。
「それが分かればいいんだけど…」
母にも分からないことだった。ポルフィラは頷き、袋から手を離した。
ミレアはその手を握ったまま尋ねた。
「怖くて起きたんじゃないのね」
「朝まで寝てたよ。怖くなかった。私が行って、うれしいならいいなって思って、しばらくそばにいたの」
母は話を聞き終えると、父にも食事のあとで聞いてもらおうと言った。二人で部屋を出ると、ドランが娘の座る椅子を引いてくれた。
ポルフィラはそこへ腰を下ろし、あの声を思い返した。また会いたい。けれど今度は、声を聞くだけでなく、尋ねたいことがある。
どうして、自分を待っていたのだろう。




