第51話 シルヴァのそばで
インディルの城へ届いた書状には、黄色い蝋で封がしてあった。
テオバルト・インディルは読み終えると、向かいのリゼリア・ベルネールへ差し出した。彼女は冒頭の挨拶を追い、途中で目を止めた。アウレリス家の一族の者との婚姻について、一度話し合いたいとある。
白に近い金髪が、俯いた頬へ落ちた。まだ丸みの残る頬と小ぶりな鼻、長い睫毛に縁取られた灰青の瞳が、柔らかな顔立ちを作っている。普段はよく笑う口元も、書状を読むあいだは固く結ばれていた。
「私に、縁談ですか」
「ユリウスから、私へ来た話だ。まだ承諾はしていない」
リゼリアは書状へ目を戻した。相手の人柄より、両家の結びつきについて多く書かれている。最後には、シルヴァの加護を得ていることへの祝いまで添えられていた。
「その方は、私に会ったことがあるのでしょうか」
「ない」
「それでも、結婚したいと?」
テオバルトは、痩せた頬を片手で擦った。
「向こうが欲しいのは、加護を持つ娘との縁だ。おまえの顔も、何を好むかも、知らなくてよいのだろう」
書状が、急に白々しい物になった。
「断ると、この家に迷惑が掛かりますか」
「おまえがその心配をする必要はない」
テオバルトは声を落とした。
「母方のことを調べられる危険もある。家同士の婚姻なら、親族の繋がりを確かめたがる」
リゼリアは頷いた。父方のベルネール家がインディルから分かれた家であることは、隠していない。知られてはならないのは、母から受け継いだ血だった。
エルディオとセレフィアの子から、自分まで続いている血筋。幼いころ、その二人の名を教えられたときには、誇らしく思った。けれど、外で話してはいけないと言われ、名乗ってはならない家の名があることを知った。
「向こうは、母のことを疑っているのですか」
「今のところ、そういう話は聞いていない。だが、縁談を進めれば、こちらから知らせることが増える」
テオバルトが城で育ててくれた理由を、リゼリアは知っていた。シルヴァと繋がってからは、人に会う機会も増えた。祝われるたびに、この人たちは自分の何を知っているのだろうと考えるようになった。
彼女は書状を押し返した。
「この話は、お受けしたくありません。会ったこともない方の家へ、シルヴァと一緒に行くことになるのは、嫌です」
テオバルトは書状を受け取り、頷いた。
「分かった。縁を結ぶつもりはないと返す」
リゼリアは顔を上げた。母方の血が危険だからではなく、自分が嫌だと言ったことを、聞いてもらえた。
テオバルトは机の脇へ書状を置いた。
「同じような話が、また来るかもしれん。何か言われても、その場で返事はするな。私に知らせなさい」
「はい」
部屋を出るとき、リゼリアは机に残った書状へ目を向けた。今回の縁談は断ってもらえる。けれど、加護を持つ自分に、別の家からも同じような話が来るかもしれない。そのたびに、行きたくないと言えるのだろうか。
*
城の庭では、シルヴァが翼を畳んで立っていた。
灰色の背は、そばにいる世話係の頭よりはるかに高い。リゼリアが近づくと、首がゆっくり低くなった。大きな瞳が彼女の顔を捉え、鼻先を寄せてくる。
首へ手を置いてから、リゼリアは世話係へ礼を言った。用具を持って離れていくのを待ち、シルヴァを見上げる。
〈私に、縁談が来たの〉
瞳が一度閉じ、開いた。
〈おまえは、どうしたい〉
〈お断りした。会ったこともない人なの。加護を持っているから、私との縁を結びたいんだって〉
シルヴァの息が、額の髪を揺らした。リゼリアは手を首に添えたまま、相手の顔へ目を戻す。
〈私がよその家へ行けば、あなたも連れていかれる。そんなこと、勝手に決めたくなかった〉
〈私は、ここにいたい〉
〈私も〉
答えると、胸につかえていた息が少しほどけた。
幼いころ、天馬の飼育地を訪れた日、シルヴァは突然、空から降りてきた。頭上を大きな影が覆い、灰色の翼が風を起こす。付き添いの大人がリゼリアを引き寄せようとしたが、シルヴァはまっすぐ彼女の前へ降り、顔を低くした。広い土地にいた人々の中から、自分を見つけて近づいてきたのだと、幼いリゼリアにも分かった。
目が合ったとき、それまで感じたことのない相手の存在を自分の中に感じた。シルヴァと繋がったのは、その瞬間だった。なぜ自分だったのかは、今も分からない。
その日のうちに互いを理解できたわけではない。そばへ来るたびに話し、反応を待ち、ときには機嫌を損ねた。今は、シルヴァにも嫌なことや望むことがあると知っている。
書状の末尾にあった、加護を祝う言葉を思い出した。そこには、この相手の気持ちなど、少しも書かれていなかった。
シルヴァが庭の向こうへ顔を上げた。リゼリアも振り向くと、インディル家の家宰、マティアス・フェルナーが書類を抱えて廊下を歩いていた。竜の民の村へ預けた娘を案じながら、この城で領主を支えている男だった。庭の二人に気づくと足を止め、軽く頭を下げた。
マティアスの亡き妻も、自分と同じ二人の血を受け継いでいた。妻を亡くした彼が、生まれたばかりの娘を守るため、竜の民の村へ託したことを、リゼリアは知っている。王領の村が壊されたという知らせを聞いて、娘のことを案じているのだろうか。以前より疲れの残る顔が気に掛かった。
城では三人の生存者のもとへ医師を送った話も聞いたが、その後どうしているのかは知らない。
自分には、行きたくないと言える場所がある。テオバルトはその言葉を聞いてくれた。その人たちも、次にどこへ行くかを尋ねてもらえたのだろうか。
マティアスが廊下の奥へ消える前に、リゼリアは声を掛けた。
「マティアスさん。あとで、少しお話を聞かせていただけますか」
彼は戻ってきて、庭の入口に立った。
「何についてでしょう」
「王領で生き残った三人のことです。今、どうしているのか知りたいのです」
マティアスはすぐには答えなかった。
「私が確かめていることだけでよければ。領主様への報告が済んでから、時間を取りましょう」
リゼリアは頷いた。




