第47話 受け継いだもの
オランデルの城へ戻っても、レオノーラの耳には、娘は家の中にいたと訴えるエナの声が残っていた。
城下では、荷馬車が果実の籠や布の包みを積んで行き交っている。店先からは客を呼ぶ声が響き、荷を避けて歩く親子が笑っていた。レオノーラは馬車の窓からその姿を追い、エナが膝を抱えて座っていた隣村の家を思い出した。ここで子供と手を繋いで歩く者も、王領で殺された者も、帰る家を持っていた。
部屋へ入ると、出迎えた家臣へ外套を預けた。王領へ残した医師からの報告が届いたら知らせるよう頼み、旅の間に溜まった書類の中から、三人の治療に関わるものを先に確かめた。
埋葬はできた。けれど、三人の傷も、その後の暮らしも、それで済んだわけではない。
必要な費用を引き続き出すと返事を決めてから、レオノーラは家臣を下がらせた。
机の前でしばらく立ち、部屋の奥に保管していた記録書を取り出す。厚い革を張った表紙は四隅を金具で補強され、留め金にも長く使われてきた跡があった。両手で机へ置くと、重みが掌に残った。
家を継いだときにも、読んだものだった。
*
留め金を外し、重い表紙を開く。綴じられた羊皮紙は年月を経て色を深めていた。背には修繕の跡があり、傷んだ記述を写して補った部分もある。幾代もの当主が、失われないよう手を入れながら受け継いできた書物だった。
セレフィアが生まれるはるか以前、この国を興したのはアルジェント家だった。そこから分かれた血筋が、それぞれ別の家名と領地を持つようになった。最初に分かれたのが、レオノーラのオランデル家である。
始祖から幾代も後、その本家を継いだ一人が、セレフィア・アルジェントだった。
だが、古い血を引くことと、今の王家に逆らえることは違った。
レオノーラは頁の端を押さえ、セレフィアの死のあとを記したところへ読み進めた。
当時の当主が残し、後代へ写し継がれた記述には、エルディオが子と妻の親族の保護を求めた経緯があった。受け入れた者の側から書かれている。誰を預かり、誰に身の回りの世話を任せたか。人目を避ける必要があり、世話をする家臣にも事情を知る者を限ったこと。
この家へ来れば、危険がなくなるわけではなかった。アルジェントに繋がる者を匿ったと知られれば、受け入れた側も追及される。それでも、先祖は拒まなかった。
その人々の子孫が、今も生きている。
レオノーラは読んでいた行から目を離した。
代が変わるたび、この書物を読み、守るべき血筋を次の者へ伝えてきた。記録の中の名を、自分たちの家の者の名と同じように覚えた。
そうして続けてきたことが、エナの前では、ひどく遠く感じられた。
夫と娘を失ったエナの前で、先祖が誰を守ったか話しても、何の慰めにもならない。生き残った三人へ医師を送り、埋葬の費用を出すことさえ、王領の役人の許しを待たなければならなかった。
レオノーラは両手を記録書から離した。腹の奥に力を入れなければ、王都で飲み込んだ怒りを、そのまま誰かへぶつけてしまいそうだった。
セレフィアたちが築いた平和を、正しかったと知っている。それでも、彼らの血を守ることに追われ、二つの民がかつて共に暮らしたことを、公には話せずにいる。
今度の村も、反抗したため罰されたのだという言葉で、片づけられようとしていた。
レオノーラは王都から持ち帰った書類を開き、亡くなった村人の名が並ぶ紙を取り出した。まだ全員の名は揃っていない。家ごとの並びを見ているうち、夫と娘のところへ行きたいと願ったエナの顔が、また浮かんだ。
記録書を閉じ、名の並んだ書類を机の手前に広げた。こちらの名も、失わせてはならない。
*
夕方の庭では、ヴェスペラが翼を畳んでいた。
濃い灰色の首がレオノーラへ向き、近づくと、大きな鼻先が手の届くところまで下りてくる。
レオノーラは首へ手を添えた。
〈王都では、何も止められなかったわ〉
ヴェスペラは鼻先を彼女の肩へ寄せた。言葉を返す前の息が、髪を揺らす。
〈今も、あの人たちのことを考えている〉
〈考えていても、殺された人は帰ってこない〉
王都の庭で王弟を止めたかった。しかしあの翼を追わせれば、彼女自身も、ヴェスペラも戻れなかったかもしれない。
天馬が首を動かし、彼女の手に頬を寄せた。
〈おまえも、眠っていない〉
レオノーラは目を閉じた。
〈ノクスたちも、苦しんでいるのね〉
〈ああ〉
〈あなたは、私に繋がっていることを、苦しく思っていない?〉
ヴェスペラは顔を寄せ、彼女の目を見た。
〈思っていない。私も、あのように人が殺されるのは嫌だ。おまえが止めようとするなら、力を貸したい〉
レオノーラは頬へ添えた手に、少し力を込めた。自分を守るために仕方なく従うのではなく、ヴェスペラも同じことを願っている。
〈ありがとう。どうすればあの人たちを守れるのか、あなたにも一緒に考えてほしい〉
ヴェスペラは首を上げず、彼女が手を離すまで、そのままでいた。
城へ戻る途中、レオノーラは待っていた家臣へ顔を向けた。
「王領に残っている医師への返事を、明日出してください。薬が足りなければ、必要な物も知らせてもらって」
家臣は頷き、用意しておくと答えた。
「それと、治療が済んだあと、三人がどう暮らすことになるのかも、確かめてください」
今は隣村の家に身を寄せている。そこへ送り届けたことで、保護を終えたつもりにはなれなかった。




