第45話 父のいる城
インディル家の城の中庭では、山から届いた材木を荷車から下ろしていた。冷たい風を受け、藍色の旗が石壁へ打ちつけられる。その音を聞きながら、マティアス・フェルナーは窓辺の机に書類を広げた。
各地から届く報告は、領主へ届く前に彼の手を通る。鉱山で使う木材、町の工房へ送る鉱石、王都へ納める物。運ぶ時期が重ならないよう確かめ、家臣たちの報告をまとめるのが、家宰であるマティアスの仕事だった。
背の高い男で、波打つ淡い金髪を首の後ろで束ねている。すっと通った鼻筋と、口角がわずかに上がった形のよい唇が、整った顔に穏やかな印象を添えていた。その鼻筋と口元を、娘のポルフィラも受け継いでいる。だが、今の娘の顔を、彼は知らなかった。
広い額の下の灰青の瞳は、報告する者へ静かに向けられていた。
その朝も、鉱山を受け持つ役人が説明を終えるまで聞き、帳面のひとつを押し戻した。
「木材が足りないのか、届いていないのか。どちらだ」
「伐り出した分はあるのですが、運ぶ者を揃えられておりません」
「それなら、伐る量を増やす指示は出せない。運ぶ方の手配を確かめてから、持ってきてくれ」
役人が帰ったあと、マティアスは机に残った書類を揃えた。指示の言葉だけを急いで下へ送れば、木を伐る村に余計な仕事をさせることになる。家臣たちがどこまで事情を確かめているか、以前より気になっていた。
領主の部屋へ持っていくと、テオバルト・インディルは椅子の背から身体を起こした。白に近い金髪の下で、痩せた頬の皺が深くなる。
「揃ったか」
「運搬の手配を確かめている分があります。そちらは、まだ指示を出していません」
テオバルトは差し出された報告へ目を通し、その箇所で指を止めた。
「村へ催促して済ませるなよ」
「承知しています」
王領の村では、事情を訴えた者まで殺された。その知らせを受けてから、テオバルトは、村を責める前に報告を確かめるよう家臣たちへ繰り返し命じていた。マティアスも、納付が遅れると聞けば、働き手を怠け者と決めつける役人がいることを知っていた。今回も、運ぶ者が足りないという事情を見落とせば、木を伐る村が責められるところだった。
テオバルトは紙から顔を上げた。
「おまえは、このところ部屋へ戻るのが遅いな」
「報告を読み返していました」
「休めるときに休んでおけ。おまえに倒れられると困る」
マティアスは短く頭を下げた。部屋を出ると、廊下の窓辺で足を止めた。村の大人も子供も、ほとんどが殺されたという知らせが、仕事の合間にも頭を離れない。
ポルフィラも、竜の民の村で暮らしている。王家に見つからないよう遠ざけたつもりでいたが、村にいるから安全なのではなかった。娘が今も無事でいるか、自分には確かめることさえできない。マティアスは窓枠へ置いた手を握り、次の報告を受けるまでに表情を整えた。
*
夕方、部屋へ戻ると、亡き妻の姉、エステリアが窓のそばで待っていた。白に近い金髪をまとめ、外套を膝に置いている。
振り向いた顔は、ほっそりとした輪郭に、細い眉と切れ長の淡い青の瞳がよく映えていた。小ぶりな唇を結んだままでも美しかったが、今日は目の下に疲れが残っている。マティアスはその顔に亡き妻の面影を見て、戸口で一瞬言葉を失った。
机の書類をしまい、廊下に人が残っていないことを確かめてから、向かいへ座った。
「待たせました」
エステリアは首を振ったが、すぐには話し出さなかった。外套の端を撫でていた手が止まり、ようやく顔を上げる。
「あなたも、あの村のことを聞いたのでしょう」
「ええ」
「昨日、眠れなくて。あの子を抱いて、ドランたちの家へ行った夜を思い出していたの」
マティアスは椅子の肘掛けを掴んだ。村へ託せば、王家から遠ざけられると思った。あの目立つ髪と瞳を、城で見られ続けるよりは、生きていける望みがあった。
その判断を変える理由はなかった。けれど、村なら安全なのだと、自分を支えていた思いは揺らいでいた。
エステリアが彼の手を見た。
「様子だけでも確かめたいわね」
「私があの村へ向かえば、何をしに行ったのか尋ねられます」
家宰が領内を回るのと、ほかの諸侯の村へ行くのでは違う。用事を作って出向いても、何を見たのか、誰に会ったのかは、同行した者の記憶に残る。
エステリアも、今度の訪問は誰かに見られるかもしれない。天馬の民の女性が竜の民の家を訪ねたと知れば、村へ出入りする係が、何の用だったのか探る恐れがある。十五年前に人目を避けて託した娘の居場所を、自分の再訪で知られるわけにはいかなかった。
マティアスは肘掛けから手を離した。
「会えない理由ばかり、前よりよく分かるようになりました」
エステリアの眉が寄った。
「預けると決めたときも、あなたはあの子を、なかなか渡せなかったわ」
「妻が死んだばかりでしたから」
それだけではなかった。抱いていた娘が動くたび、腕の中にまだ温かさがあると分かった。妻にしてやれなかったことを、娘にはしてやりたかったが、守るためにその腕から離さなければならなかった。
「ミレアは、私の腕から受け取る前に、あの子の顔を見たの。冷えていないか確かめて、抱いたあともおくるみを直してくれた」
マティアスは彼女を見た。その話は前にも聞いていた。どれだけ思い返しても、娘を抱いたのは生まれたばかりのころだけだった。今の姿を思い描こうとすれば、知らない顔になってしまう。
「もう、十五ですね」
「ええ」
「あの子は、誰を父さんと呼んでいるのでしょう」
口にしたあと、マティアスは目を伏せた。
「分かっているんです。育ててくれた人がいるのですから」
エステリアは何も言わなかった。マティアスは、娘が父親と呼ぶ人を一度も見たことがなかった。自分のことは知らないまま、娘はその家で育っている。
マティアスは顔を上げた。
「ドランは、赤ん坊を抱くのに慣れていなかったのですよね」
エステリアの口元が、少し緩んだ。
「ええ。ミレアに腕を直されていたわ」
その家で娘が泣けば、彼らが抱き上げてくれただろう。食べる物を用意し、病気の夜にはそばにいてくれたはずだった。自分が会いたいという理由で、その暮らしを危険にさらすことはできない。
エステリアが立ち上がると、マティアスも戸口まで送った。扉の外へ出る前に、彼女は振り返った。
「会いたいと思うことまで、やめなくていいのよ」
マティアスは返事をしようとしたが、声がすぐには出なかった。エステリアは待ってから、静かに部屋を出た。
机へ戻ると、明日確かめる書類が残っていた。マティアスは灯りを近づけ、運ぶ者を揃えられないとあった報告を開いた。
娘の暮らす村へは、行けない。それでも、自分の指示が届く村に暮らす者たちには、明日も家へ帰ってほしかった。
彼は紙の余白へ、運搬の手配を確認することを書き添えた。木を伐る量を増やす指示は、出さないままにした。




