第42話 手に残るもの
王家の知らせが各領へ運ばれているころ、エナは隣村の荷車に揺られていた。亡くなった村人を葬る許しが下りたのは、レオノーラが三人に会ってから二日後だった。傷めた足で動けない年配の女を残し、若い男がエナに付き添っている。
いつもなら畑の向こうに家々の屋根が見えたが、今は低い瓦礫が続いているだけだった。村の入口へ近づくにつれ、荷車を引く隣村の者たちまで口を閉ざした。
「ここで、下ろしてください」
エナが立ち上がろうとすると、若い男が先に下りて手を差し出した。その腕を借り、折れた木や崩れた土壁を避けながら、夫と娘を残した場所へ向かった。
二人は、あの日と同じように並んでいた。
エナは娘のそばへ膝をつき、持ってきた布を広げた。幼い身体を包もうとしても指がうまく動かず、端を引いては戻す。若い男が何も言わず反対側を持ってくれたので、ようやく娘の足まで覆うことができた。
夫にも布を掛けてから、運ぶ者たちへ顔を上げた。
「二人を、一緒のところにお願いします」
村の外れに掘られた穴へ、夫と娘が並べられた。エナは土をかけるのを待ってもらい、娘の顔を覆う布を直した。寝ているあいだに何度も掛布を蹴り、直すたび、母の方へ身体を寄せてきた子だった。今は、指先が頬へ触れても動かない。
そばへ上がって土をかけてもらうと、エナは思わず手を伸ばした。娘の顔のあたりに落ちた土を、払おうとしていた。
そのまま手を戻せずにいるうち、若い男が隣へ膝をついた。慰めず、急がせず、エナと同じ場所を見ている。エナは土のついた指を握り、残りの土が二人を覆っていくのを見続けた。
穴が埋まってからも、立ち上がれなかった。
あの人は、今も生きている。
夫にも娘にも、もう一度触れることができなくなったのに、二人を殺した人は自分の城へ帰っていった。エナは唇を噛み、膝の上で固くなった指を、ゆっくり開いた。
*
埋葬に付き添った家臣の帰りを、レオノーラは王都の滞在先で待っていた。出発のために畳んだ外套も、そのまま椅子に置いてある。
家臣は使った費用の書類を置き、それとは別に、薄い紙の束を差し出した。
「亡くなった方々の名です。隣村の者が確かめてくれましたが、まだ全員の名は揃っていません」
受け取った紙には、家ごとに人の名が並んでいた。夫婦の下に子供の名が二つあり、次の家も、親と子が続いている。途中までしか分からず、あとで確かめると書き添えた行もあった。
レオノーラは、その行を指で押さえた。
「分からない名も、ここへ残しておいて。三人が話せるようになったら、もう一度確かめように」
「承知しました。エナと若い男も、埋葬には来ていました」
レオノーラは紙から目を上げた。
「そのあとは隣村へ戻れたのね」
「はい。あの家で休んでいます」
三人は王家の恐ろしさを語らせるために生かされた。その三人は、奪われた暮らしを何度も伝えさせられる。レオノーラは、まだ揃わない名の並ぶ紙を見下ろした。
役人の筆が王家の通達を書いていた音を覚えている。そこで村を処罰したと記された人々には、一人ずつ名があった。
紙を揃え、王家の書状とは別の書類入れへ収めると、レオノーラは家臣へ顔を戻した。
「手伝ってくれた人たちにも、お礼を伝えておいて」
*
ポルフィラが村の知らせを聞いた夜、隣の部屋では、両親が遅くまで話していた。声を低くしているので言葉までは聞こえない。母が椀を片づける音と、父が戸口へ行く足音の合間に、話し声が戻ってくる。
ポルフィラは寝床で胸元の袋へ手を添えた。布の下に石の形がある。自分とこれを持ってきた人も、どこかに家があるのだろうか。帰った先で誰かと話し、夜になれば眠るのだろうか。
そう思った途端、殺された村の人たちが浮かんだ。昨日まで同じことをしていたはずだった。今は、残った三人だけが、知らない家で夜を過ごしている。
ポルフィラは身体を横へ向けた。昼間、母が握ってくれた手の冷たさを思い出す。隣の部屋からもう一度父の声が聞こえ、目を閉じたまま耳を澄ませた。
*
夢の中で、ポルフィラは大きな黒いもののそばにいた。
薄い月明かりに、幾枚も重なった鱗が見える。どこまで続いているのか分からないその表面は、近づくと黒の中に紫が浮かんだ。見覚えがある色だったが、何と似ているのか思い出す前に、奥で瞳が開いた。
同じ色の目が、ポルフィラを見ていた。
近くで深い息が吐かれる。ポルフィラは立ち止まったが、逃げようとは思わなかった。指先を伸ばすと、鱗は硬く、その下に温かさがあった。掌を添えれば、ゆっくりと膨らみ、戻る動きも伝わってくる。
息をしている。
ポルフィラは、もう片方の手も添えた。大きな生き物の呼吸に合わせて、両手が少しずつ動く。そのあいだも、黒紫の瞳は彼女から離れなかった。
*
翌朝、ミレアは起きてきた娘を見て、手を止めた。
「眠れた?」
「寝るまでは、時間がかかったけど」
目元を見られていることに気づき、ポルフィラはそう答えた。母が休んでから手伝えばよいと椅子を引いてくれたので座ったが、自分の手が気になって、膝の上で掌を返した。
触れたものは夢だった。それでも今朝は、温かかったという感覚だけでなく、鱗の色まで思い出せる。
「母さん。夢、また見たの」
ミレアがそばへ座ると、ポルフィラは手を見ながら話した。
「大きな生き物がいた。黒い鱗があって、光が当たると紫にも見えたの」
口にして、胸元の袋へ目を落とした。紐を外そうとすると、ミレアは戸口の方を確かめ、外から見えない位置へ椅子を寄せた。
ポルフィラは掌に石を出した。窓からの光を受ける面を見て、母へ差し出す。
「これと、同じ色だった」
部屋へ入ってきたドランは娘の手に気づき、戸を閉めた。ミレアから夢の話を聞くあいだも、ポルフィラの掌にある石を見ていた。
「その同じような夢は、これを持つ前にも見ていたか」
ポルフィラは首を振りかけ、少し考えた。
「覚えてるのは、持つようになってから。でも起きたら忘れてしまうの……今朝みたいに思い出せたのは初めて」
ドランは娘の隣へ座った。すぐに答えが返ってこないので、ポルフィラは石を袋へ戻しながら付け足した。
「たまたま同じ夢を見ているだけかもしれないけど」
ミレアが娘の顔を覗いた。
「その生き物は、怖かった?」
「ううん。ずっと私を見てたけど、怖くなかったよ」
両親が顔を見合わせるのを、ポルフィラは見ていた。二人にも何の生き物かは分からないようだった。父は袋の口を結ぶ娘の手へ目を戻した。
「また見たら、父さんたちに聞かせてくれ」
ポルフィラは頷き、石を胸元へ戻した。鱗に触れた温かさは消えていたが、自分を見ていた目は、まだ思い出せる。
夢の中で見覚えがあると思ったのは、この石の色だったのだろうか。袋を服の内側へしまっても、そのことが気になっていた。




