第40話 生かされた声
翌朝、呼ばれた部屋へ入ったレオノーラは、窓辺に立つセヴェランを見た。赤い外套は新しく、剣の鞘にも土は残っていない。昨日、白い翼に乗って村へ向かった姿が重なった。
ヴァルテルは机の前の役人へ告げていた。
「各領へ知らせろ。納付を拒み、王家へ手を出した村を処罰した、と」
レオノーラは足を止めた。
「村は、どうなったのですか」
セヴェランが振り向いた。
「三人残した。ほかの村へ伝えさせる」
クラウスが彼を見たまま動かなくなった。テオバルトの声が低く落ちる。
「三人だけか」
「伝える者は、それで足りる」
レオノーラは息を吸った。村に子供がいると、昨日、自分は伝えた。セヴェランはそれを聞いて出ていき、今、三人で足りると言った。
ヴァルテルが椅子へ身を預けた。
「村の者が弟へ手を出した。納付の不足だけで済ませられる話ではなくなった」
クラウスは国王へ向き直った。
「その場にいなかった者まで、殺されたのですか」
「従わぬ村を残せば、ほかも従わなくなる」
机の前で、筆が紙を擦っていた。役人は書きかけた文面を直している。村の名のあとには、王家に逆らった者たちとして記されるのだろう。来年も畑を作るために残そうとした種も、そこで暮らしていた子供たちも、その知らせには入らない。
扉の外で取次ぎを求めたのは、テオバルトが王領の役所へ出した家臣だった。許しを得て入り、生存者三人が隣村へ着いたと報告する。夜のうちに、その村を担当する者が役所へ知らせたという。
レオノーラは国王を見た。
「三人に会いに行きます。医師を連れて」
「仕事に戻せるかは、役所で確かめる」
「その前に、傷の手当てが必要です」
国王は冷ややかな目でしばらく彼女を見ていた。
「役所の者を伴え。王領の村へ、おまえの命令を出すことは認めん」
レオノーラは頭を下げ、部屋を出た。セヴェランの横を通るときも、そちらへ顔を向けなかった。
*
昼を過ぎ、馬車が隣村へ着いた。ヴェスペラは王都に残している。白い天馬に家族を殺された人々の前へ、翼に乗って降りる気にはなれなかった。
王領の役人に伴われ、レオノーラは医師と家へ入った。戸口に現れた淡い金髪と上着の紋章に、若い男が壁際へ身を引く。寝床の年配の女まで起き上がろうとし、傷めた足に顔を歪めた。
「そのままでいて。医師を連れてきたの」
誰も返事をしなかった。
エナは部屋の隅で膝を抱えていた。茶緑の髪には藁が絡み、指の間に血が乾いている。村の女が椀を差し出しても、目を動かすだけだった。
「昨夜から、ほとんど口にしていません」
女は椀をそばへ置いた。エナはそれを見ていたが、飲もうとは思わなかった。
ここまで来た道中を、よく覚えていない。腕を引かれて立ち、止まれば肩を支えられ、二人について歩いてきた。娘を寝かせた場所から離れてよいのか、夫を残してよいのか、考えることもできなかった。
この家へ入ったときも、言われるまま座った。それからずっと、手に残った血を見ている。夫の服を掴んでいたはずなのに、今は何もない。
役人が帳面を開いた。
「何があったか、話せる者から話せ」
若い男の肩が強張った。レオノーラは役人へ目を向ける。
「まず、手当てを済ませましょう」
医師が男の腕に巻かれた布をほどくと、男は顔を伏せた。痛む場所へ触れられる前から、息が乱れていた。
「納める物は、出しました」
エナの声に、部屋の者が顔を向けた。
エナは自分が声を出したことに驚いていた。だが、もう一度口を開くと、あの袋の麦が浮かんだ。
「種も、出したんです。次にまくための……あれまで出したら、来年は植えられないのに…」
村長が残してほしいと願い、麦へ伸ばした手を踏まれた。エナは指を握った。あの長靴も、夫へ向いた剣も、さっきまでぼやけていたのに、今は思い出せる。
「夫が止めようとしたら、斬られました」
若い男が、声を絞り出した。
「みんな、家族を守ろうとしたんです」
役人の筆が動いた。
「そのとき、殿下へ手を出したのだな」
エナは顔を上げた。
殿下。あの人は、そう呼ばれる人なのだ。
夫も娘も動かなくなった。それでもあの人は、何ごともなかったかのように天馬の背へ戻り、飛んでいった。今はどこで、何をしているのだろう。食事をし、服を替え、眠っているのだろうか。
レオノーラが役人へ言った。
「先に剣を抜いたのは、どちらかも書いて。この人たちが話した順に」
役人の筆が止まった。やがて書きかけの行へ戻るのを、エナは見ていた。
「娘は、家の中にいました」
レオノーラへ向けた声は、さっきよりはっきりしていた。
「私が入れたんです。何もしていません。あの子は、何も」
レオノーラは頷いたが、慰めの言葉は出てこなかった。昨日、子供がいると伝えたのに止められなかった。その子供を抱いていた母親が、今、目の前にいる。
エナは膝へ視線を落とした。娘の背へ手を置いた夫の指が、ゆっくり離れていった。あの場面が戻ってきて、喉が詰まる。
「夫も、娘のそばにいます。まだ、土をかけてやれていません」
隣村の女が口元を覆った。若い男は俯き、医師へ預けていない方の手で目を押さえた。レオノーラは役人へ向き直る。
「亡くなった人々を葬る手配をしてください。三人だけにさせることはできません」
「上へ、確認を……」
「必要な費用はこちらで出します。役所の許しがいるなら、私からも求めます」
エナは、話す二人を見た。土をかけてやるにも、あの人たちの許しがいる。セヴェランは剣を抜けたのに。夫と娘を殺して、そのまま帰れたのに。
膝の上で指が強く握り込まれた。
「連れていってください」
レオノーラが顔を戻した。
「夫と娘のところへ。私も、行かせてください」
医師がエナのそばへ膝をついた。
「まず、傷を診せてください。歩けるか、確かめましょう」
エナは腕を差し出した。布で拭われ、傷をおったところへ触れられると、ようやく痛みを感じた。
夫と娘のところへ行きたい。それが済んだら、自分がどうなってもよいと思っていた。けれど、セヴェランが何事もなかったように生きている姿を思い浮かべると、胸の奥が焼けた。
自分だけ、このまま死んでしまうのか。
あの男を生かしたまま。
エナはそばの椀へ手を伸ばした。指が震え、水が膝へこぼれる。両手で持ち直し、一口飲んだ。喉が痛んでも、もう一口飲んだ。
*
馬車が王都へ戻ると、クラウスとテオバルトの出迎えをうけた。
レオノーラは村で何があったのか自分が聞いたことを二人に説明した。激しい感情に声を震わせ言葉が出てこないときは、彼女を静かに見つめ気持ちが落ち着くのを待った。
クラウスは、聞き終えても黙っていた。やがて、馬車の扉に手を置く。
「それが、王家へ手を出した村という報告になるのか」
テオバルトが尋ねた。
「葬ることは、認められたか」
「まだ返事がない。医師は残してきたわ。三人は、避難先で休ませてもらっている」
エナには、夫と娘のところへ連れていくとさえ約束できなかった。レオノーラが唇を結ぶと、テオバルトは家臣を呼び、役所への確認を頼んだ。
「費用は、私も持つ」
クラウスも頷いた。
「私もだ」
城の門から、赤い封蝋の書状を携えた使者が出ていった。王家の知らせは、もう各領へ向かっている。
レオノーラは遠ざかる馬を見た。
「私たちも自分の領地へ伝えましょう。種を残そうとしたことも、子供が家にいたことも、すべて包み隠さず」
クラウスとテオバルトが頷いた。レオノーラは馬車から手を離し、二人と城へ戻った。




