第35話 打ち明けたいこと
リナに家族のことを話してもいいかと尋ねたとき、ミレアは娘の手を取った。
「父さんと私が産みの親ではないことを、話したいのね」
ポルフィラはうなずいた。
「隠したいわけじゃないの。でも、どう言えばいいか分からなくて」
「教えられたとき、あなたも驚いたでしょう。リナも、すぐには何と言えばいいか分からないかもしれないわ」
ミレアは少し考えてから続けた。
「私たちが産みの親ではないことは、話していいのよ。でも、連れてきた人のことや、石のことは話してはいけないわ。誰かに知られたら、あなたや、その人が危ない目に遭うかもしれないから」
ポルフィラは母の手を握り返した。
「分かった。そのことは話さない。リナには、父さんと母さんに育ててもらったことを聞いてほしいの」
*
翌朝、リナの家へ届ける道具を持っていくと、庭に干していた果実を取り込んでいるところだった。リナは籠を抱えて軒下から出てきた。短い茶緑の髪が頬にかかり、両手がふさがっているので、息を吹きかけて払おうとしている。
ポルフィラが笑って近づくと、リナも笑った。少し上がった眉の下で、茶色の瞳がぱっと明るくなる。日に焼けた頬と、笑うと大きく動く口元に、いつもの快活さが表れていた。
「ちょうどよかった。母さん、裏にいるよ」
道具を渡したあと、ポルフィラは修理を待っている物をいつ使うか尋ねた。
「急ぎではないから、ほかに困っている人がいたら、そちらを先にしてもらってね」
ポルフィラは父へ伝えると答えた。リナが最後の籠を運ぶ間、戸を押さえて待ち、母親が家の奥へ戻ってから、そっと声を掛ける。
「少し、話してもいい?」
リナは空になった両手を払った。
「いいよ。どうしたの?」
二人は庭の端へ移った。ポルフィラは、すぐには口を開かなかった。リナは急かさず、顔をのぞき込むように待っている。
「この前、父さんと母さんから、赤ん坊のころの話を聞いたの」
ポルフィラは指先を握り込んだ。
「私を産んだのは、母さんじゃなかった。二人は、預けられた私を育ててくれたんだって」
リナの口元から笑みが消えた。
「ミレアおばさんが、産んだんじゃないの?」
「うん。私も、知らなかった」
リナは、何か言おうとして口を開き、また閉じた。子供のころから、ドランがポルフィラを肩へ乗せる姿も、ミレアが髪を結んでやる姿も見てきた。
「ずっと、二人の子だと思ってた……」
その声には驚きが残っていた。ポルフィラはうなずき、足元へ目を落とした。リナにどう思われるのか怖くて、顔を見続けられなかった。
リナは、肩へ落ちた黒髪を見た。
「小さいころ、母さんに聞いたことがあるの。どうしてポルフィラだけ、髪や目の色が違うんだろうって」
ポルフィラが顔を上げた。
「母さんは、ポルフィラはあの色で生まれたんだよって。どうしてなのかは知らないけど、病気でも、悪いことでもないって言ってた」
リナは少し考えた。
「それから、ポルフィラだって理由を知らないんだから、何度も聞いて困らせないようにって」
幼いリナには、それ以上の理由は分からなかった。けれど、人と見た目が違うからといって一緒に遊ぶのに困るわけでもないし、毎日会っているうちに黒い髪も、光が当たると違う色に見える目も、ポルフィラの姿として当たり前になっていった。
リナは友達を見た。
「髪のことを、ミレアおばさんに聞いたの?」
「うん。どうして私だけ違うのか、知りたくなって。それから、父さんも一緒に話してくれた」
「そうだったんだ……」
リナの眉が下がった。
「私、何も知らずに遊びに行こうって誘ってたね」
ポルフィラは首を振った。
「誘ってくれて、うれしかったよ」
リナは少し息をついたが、すぐには笑わなかった。
「あなたを産んだ人は、どこにいるの?」
「分からないの。どんな人なのかも。父さんと母さんも、会ったことはないんだって」
リナはポルフィラの袖をつまんだ。
「ごめん。私またポルフィラが知らないことばかり聞いてる」
「いいの。私から話したかったんだから」
リナは握っていた袖を少し緩めた。
「何て言ったらいいか、分からなくて。でも、聞かせてくれてよかった」
ポルフィラは、ようやくリナの顔を見てうなずいた。
リナはほっとしたように息をついた。
「ほかのみんなには?」
「まだ。最初にリナに話そうと思ったの」
「じゃあ、私からは言わない。自分で話したいでしょう?」
ポルフィラはうなずいた。家族のことを口にしただけで、分からないことが減ったわけではない。それでも、リナに会うたび、話そうか迷っていた気持ちは少し軽くなった。
リナは手を離すと、軒下を振り返った。
「本を読む日のことも、聞いたよ。母さん、仕事が済んでからならいいって」
「私も、家で聞いてみる」
「決まったら教えて。今度は私がそっちへ行く」
帰り際、リナの母親が顔を出した。
「お父さんによろしくね。寒くなる前に直してもらえると助かるって、伝えておいて」
ポルフィラは返事をし、家へ向かった。門のそばまで送ってきたリナは、いつもと同じように、大きく手を振っていた。
*
国の北部、インディル家の城では、朝の冷たい風が中庭を抜けていた。藍色の地に天馬をあしらった旗の下を、木材を積んだ荷車が通っていく。山から運ばれてきた材は、領内で使う分と、さらに南へ送る分に分けられていた。
窓辺に立つ女性が、外套を肩へ引き寄せた。白に近い淡い金髪が頬へ落ちる。ほっそりとした顔には疲れの跡があり、荷車を見送る間も、唇は固く結ばれていた。
十五年ほど前、彼女も荷車や馬車の通る道を離れ、夜の村へ向かった。腕の中には、まだ小さなポルフィラがいた。
あの子は、妹の娘だった。妹は初めての出産で命を落とした。生まれた娘を抱いて育てることもできないまま、亡くなった。
姉妹はアルジェントの名を伏せ、別の名で暮らしてきた。だが、生まれた娘の黒い髪と、黒にも紫にも見える瞳は、人目を引く。城の中で育てれば、誰の子なのか尋ねる者も出るだろう。母親の素性を探られれば、隠してきた血筋にまで行き着く恐れがあった。
竜の民の村でも、あの髪は目立つ。だが、天馬の民の多くは、村人の家族にまで関心を持たない。城に置き続けるより、生きていける望みがあった。
娘の父親も、そのことは分かっていた。インディル家の信頼を得ている家臣の家に生まれ、妻の出自を承知して結婚した男だった。妻を亡くしたばかりで、娘まで手放したくはなかった。それでも、城で隠し続ける危険を考え、義姉が村へ託すことに同意した。
父親は、いまもインディル家の庇護のもとにいる。娘を忘れたから会いに行かないのではない。父である自分の行動から、隠した娘の居場所が知られることを恐れていた。
ドランが赤ん坊を受け取ったときの、ぎこちない腕を覚えている。ミレアはその顔をのぞき込み、抱き方を直していた。二人とも、突然訪れた天馬の民を恐れていた。それでも、赤ん坊の身体が冷えないように、布を掛け直してくれた。
女性は窓から離れた。会いに行きたいと願うたび、あの夜の二人の顔が浮かぶ。天馬の民の女性が村人の家を訪ねれば、道中で見た者や、村へ出入りする係の記憶に残る。訪問の話が王家側の役人に伝わり、自分の素性まで調べられれば、ポルフィラを託した家を探し当てられるかもしれない。会いたいという思いだけで、あの子と、育ててくれた二人を危険にさらすことはできなかった。
いま、あの子はどんな顔をしているのだろう。託した石は、無事に守られているだろうか。
女性は椅子に掛けてあった外套を取り、畳み直した。村へ向かう支度ではなかった。今日は、城で保護される者たちのいる部屋へ行く。自分と同じように、アルジェントの名を隠して暮らす人々がいた。
扉の前で、髪を整える。他の人たちに顔を見られる前に、口元のこわばりもほどいた。
妹に代わって、自分が育てることもできなかった。赤ん坊を腕から離した夜の重さは、今も忘れられない。
どうか、あの家で大きくなっていてほしい。
叔母は、その願いを誰にも話さず、部屋を出た。




