第34話 村に残る仕事
ヴェルディア家の城の中庭に、旅の荷を積んだ馬車が待っていた。緑の地に天馬をあしらった旗の下で、御者が二頭の馬の馬具を確かめている。
クラウス・ヴェルディアは、出発前に領地の役人を呼んでいた。淡い金髪を短く整えた、肩幅のある男だった。眉の下の灰色の瞳は、机に広げられた書類をじっと見ている。口元には年齢を感じさせるしわがあり、黙っていると近寄りがたいが、役人の説明を途中で遮ることはなかった。
「鍛冶のできる者を一人呼ぶとして、その村には、ほかにも鍛冶をする者がいるのか」
役人は書類へ目を落とした。
「そこまでは、まだ調べておりません」
「なら、名前だけ集めても足りん。その者が村を離れれば、農具の修理も止まる。畑で働く者まで困ることになるぞ」
クラウスは書類を押し戻した。
「呼ぶ前に、村の仕事を確かめろ。納付をどう減らすかも決めてからだ」
役人は頭を下げた。
「村を管理する者に、聞き取らせます」
「倉の係には、暴力や罵りを許さぬことも伝えておけ。呼びつけて仕事をさせた者を、傷つけて帰すようなことはあってはならん」
役人を送り出したクラウスは、家臣の持つ外套へ腕を通した。出発の時刻が迫っていた。中庭で待つ護衛たちの声を聞きながら、城の廊下を玄関へ向かう。
いまのヴェルディア家には、天馬の加護を得た者が一人もいなかった。クラウスも、王都へは馬車で向かう。空を飛んで行けるレオノーラとは違い、道中で幾晩も宿を取らなければならない。
階段へ向かう途中、城の奥へ続く廊下から子供の声がした。母に何かを尋ねている。クラウスはそちらへ目を向け、足を止めた。
あの母子がアルジェントの名を隠さずに暮らせる日を、まだ約束してやれない。天馬を持つ王家や諸侯との力の差は、兵の数だけでは埋められなかった。
家臣が、少し後ろで待っていた。クラウスは再び歩き出し、馬車へ乗り込んだ。
「留守の間に届いた報告も、帰ったら見せてくれ。村の職人の件を忘れずにな」
城門が開いた。馬車は領都を抜け、王都へ続く街道へ進んだ。
*
数日後、村へ来た管理者は、鍛冶場の仕事が終わるのを待ってドランに声を掛けた。
ポルフィラは、修理の済んだ道具を壁際へ運んでいた。父が火のそばを離れたので、最後の一本を置いてから振り向く。
管理者は帳面を開いた。
「倉で働いたとき、村に残した仕事があっただろう。どんな仕事だったか、聞かせてくれ」
ドランは手を拭きながら答えた。
「納める物を作るほかに、村で使う道具も直しています。私がいなければ、修理を待つことになります」
「ほかに直せる者はいるか」
「柄を替えるくらいなら、自分でする者もいます。ですが、鉄の部分が傷んだ物は、私のところへ持ってきます」
管理者が書き留めた。ドランは、その筆先を見てから尋ねた。
「また町へ行くことになるのですか」
「おまえを呼ぶ話は、まだ聞いていない。今後、村から職人を呼ぶ前に、残る仕事も調べるよう命令が出たんだ。村で納める物も、そのままの量にはしないことになった」
ドランの手が止まった。
「帰ってから、遅れた分を全部作らずに済むということですか」
「そうだ。ただ、何をどれだけ減らすかは、呼び出す前に役所で決める。私がここで約束できるものではない」
ドランはうなずいた。前に倉から帰ったあと、待たせた修理を片づけながら、納める物も作らなければならなかった。夜になっても父の仕事が終わらず、ポルフィラも、母と一緒に明かりや食事を運んだのを覚えていた。
父は少し考え、言い添えた。
「道具によっては、待てる物と、すぐ必要な物があります。次に呼ばれるときは、そちらも確かめてもらえますか」
管理者は顔を上げた。
「畑で使う時期に間に合わなくなる、ということか」
「はい。納める量が減っても、修理のできないままでは、村の仕事が進みません」
管理者は帳面に書き足した。
「それも伝えておく。今度は、ガルの父親にも聞きたい。今日は家にいるだろうか」
ドランが居場所を教えると、管理者は帳面を閉じた。ポルフィラは道を空け、父のそばで見送った。
姿が見えなくなってから、娘は父を見上げた。
「父さんがいないとき、困ることも聞いてくれるんだね」
「そうだな。だが、行けと言われたら行くことには変わりない。次は、留守の間に誰が困るか、先に話しておかんといかんな」
ポルフィラは、壁際に並んだ道具を見ながら父が町にいる間にも、修理を頼む村人が来ていたのを思い出していた。
「修理を頼まれたこと、私が書いておこうか。誰の道具で、いつ使うか、忘れないように」
ドランは娘のそばへ寄り、声を落とした。
「書いた物を、村へ出入りする天馬の民に見つけられたらおまえが危ない。」
「家の中で書く。見直したら、すぐしまうよ。父さんや母さんが確かめたいときは、私が読むから」
ドランはすぐには答えなかった。覚えておくだけでは、頼まれたことを忘れることもある。だが、仕事に役立つからといって、娘を危険にさらしてよいわけではなかった。
「母さんとも話してから決めよう。どこへしまうかも、父さんたちで考える。今は、まだ書くなよ」
「うん」
本を読むほかにも、覚えた文字が役立つことがあるのだと、ポルフィラは思った。
家へ戻る前に、彼女は修理を待つ道具の前へしゃがんだ。
「これは、誰の?」
ドランも隣へ来た。
「リナの家だ。刃が欠けている。いつ使うか、明日聞いてこようと思っていた」
「じゃあ、私が聞いてくる。届ける物もあるでしょう?」
「ああ。頼む。さっきの、書いておくという話は、まだ人にはするなよ」
「分かってる」
ポルフィラは立ち上がった。リナと会えたら、本を読む日についても聞こうと思った。
それから、胸元の袋にそっと手を添えた。家族のことを聞いてくれる友達に、何も話さないままでいいのだろうか。明日、二人で話す時間があったら――。
そこまで考えて、まだ言葉にはできなかった。まず母にも、相談してみたかった。




