265話 翼を射られた竜
長老たちのいる場所を離れると、赤銅色の竜が先に立って飛んだ。
オブシディオンはその後を追い、谷の中腹にある広い岩場へ下りた。
そこには、旅から戻った竜たちがいた。
一頭は、濃い茶色だった。
胴が厚く、畳まれた翼も大きい。
首を上げると、オブシディオンより大きく、こちらを見下ろした。
隣には、明るい灰色の竜が伏せている。
その向こうで体を起こした緑の竜は、オブシディオンより小さかった。
どの竜の鱗も、日の当たり方で色を変えた。
茶色には金色の光が走り、緑の鱗は、影に入ると深い森のような色になった。
ポルフィラは角のそばに立ったまま、一頭ずつ見た。
赤銅色の竜が鳴くと、休んでいた竜たちの目が、いっせいに彼女へ向いた。
長い首が伸び、鼻先が少し近づいてくる。
ポルフィラは息を詰めた。
近くで見る茶色の竜は、やはり大きかった。
けれど、先ほどの長老たちを思えば、この竜たちも、確かに「チビ」なのだろう。
〈ここにいるものたちは、このところ旅から戻ったそうだ〉
オブシディオンが告げた。
〈弩弓のこと、聞いてもらえる?〉
黒い竜はうなずき、彼らへ声を掛けた。
*
オブシディオンは、銀の竜が大きな弩の矢に射られて死んだことを話した。
繋がった人を連れ帰り、そのまま息絶えたことも。
茶色の竜が、低く唸った。
緑の竜も首を起こし、話を聞いている。
「その武器を持つ人間の国を、知っているか」
オブシディオンの問いに、茶色の竜は首を振った。
「知らぬ。見たこともない」
緑の竜も、知らないと答えた。
赤銅色の竜にも、心当たりはなかった。
ポルフィラには、彼らの声が低く鳴り交わされているだけに聞こえた。
けれど、返事を待つオブシディオンの様子から、すぐには分からないのだと察した。
そのとき、灰色の竜が頭を上げた。
「私は、その国は知らない。だが、帰る途中で、射られた竜に会った」
オブシディオンの首が、すぐにそちらへ向いた。
「生きていたのか」
「ああ。岩山の間で休んでいた。翼の膜に、穴が開いていた」
ポルフィラは、黒い鱗へ手を置いた。
〈何か、分かった?〉
彼の声が届いた。
〈帰る途中で、翼を射抜かれた竜に会ったと言っている〉
彼女は顔を上げた。
〈生きているの?〉
〈生きている〉
胸に、安堵が広がった。
話を聞けるかもしれない。
その竜は命を落とさずに済んだのだ…
*
灰色の竜は、オブシディオンへ話を続けた。
「翼を広げれば飛べる。だが、長く飛ぶと傷に響くらしい。ここまで戻るのは、まだ難しいと言っていた」
「どこで射られた」
「そこまでは聞かなかった。翼の傷が落ち着くまで、あの場所にいると話していた」
オブシディオンは、体の脇へ畳んだ翼を少し動かした。
長く空を渡るには、翼を何度も広げなければならない。
膜が破れたまま、この山々まで飛んで戻ることはできなかったのだろう。
「獲物はいるのか」
「あの辺りの岩山を巣にしている、大きな鳥がいる。遠くまで追わずに捕れるそうだ。天馬を追い回すより、今の翼には楽だろう」
その竜が休んでいるのは、高い岩山に囲まれた場所だという。
切り立った岩が重なり、外からは姿が見えにくい。
岩壁には大きな鳥が巣を作り、何度も出入りしていた。
傷ついた竜はそこで身を隠し、近くの鳥を狩っていた。
遠くへ飛ばなくても食べ物があり、翼が安定するまで休める場所なのだという。
「まだ、いるだろうか」
オブシディオンが尋ねた。
「私が会ったときには、急いで出るつもりはなかった。翼をかばいながら旅をするより、そこで休むと言っていた」
ポルフィラは、オブシディオンからその話を聞いた。
大きな竜が、傷ついた翼を畳み、岩の間で休んでいる。
飛ぼうと思えば飛べても、長くは続かない。
生まれた場所へ帰る道さえ、今は遠いのだ。
〈会いに行こう〉
彼女は告げた。
〈どこで、何に射られたのか、その竜なら話せるかもしれない〉
〈ああ〉
〈銀の竜を射たのと、同じ武器かは分からないけれど〉
オブシディオンは灰色の竜へ向き直った。
「その場所を教えてほしい」
*
ポルフィラは岩場へ下りた。
周りの竜たちの顔が、こちらへ下がってきた。
オブシディオンから離れた人間が、珍しいのだろう。
緑の竜は、彼女の頭から足元まで眺めている。
ポルフィラは少し緊張しながら、旅の袋から帳面を取り出した。
〈教えてもらったことを、描いておきたいの〉
オブシディオンは彼らへ短く鳴き、灰色の竜に道を尋ね始めた。
どちらへ飛び、何を目印に進めばよいのか。
灰色の竜は、首を向けて方角を示し、途中で見た山や川について話した。
オブシディオンはそれをポルフィラへ伝え、彼女は帳面へ書き留めた。
灰色の竜が頭を寄せ、紙の上を覗き込んだ。
〈この山の向こうで、川が曲がるそうだ〉
〈こう?〉
ポルフィラが線を引くと、オブシディオンが確かめた。
灰色の竜も鼻先を動かし、また声を上げる。
少しずつ、探す場所の目印が揃っていった。
ポルフィラは最後の線を描き終え、顔を上げた。
「ありがとう」
竜たちには、その言葉の意味は通じなかった。
けれど、彼女が頭を下げると、灰色の竜はしばらく見つめてから、首を少し引いた。
オブシディオンが、彼へ礼を伝えた。
*
出発する前に、ポルフィラは携帯食を食べ、水を飲んだ。
オブシディオンも岩場へ体を伏せ、しばらく翼を休めた。
彼女はそのそばに座り、帳面を見返していた。
ようやく、弩弓のことを知る相手が見つかった。
それも、実際に翼を射られた竜だ。
〈その竜、少しでもよくなっているといいね〉
オブシディオンの目が、彼女へ向いた。
〈そうだな〉
ポルフィラは帳面をしまった。
傷ついた竜を見てから、どうするか考えよう。
まずは、無事でそこにいてほしかった。
やがてオブシディオンが頭を上げた。
ポルフィラは荷を確かめ、翼の付け根から肩へ上がる。
角のそばのいつもの位置に立つと、灰色の竜へ手を振った。
大きな翼が広がった。
周りの竜たちが首を上げ、黒い巨体が浮かぶのを見送った。
ポルフィラは角を握り、進路の先へ目を向けた。
次に探すのは、高い岩山に囲まれた、竜の休む場所だった。




