第260話 約束した国へ
海を渡る間、ポルフィラは何度も帳面を開いた。
岩の尖った島。
二つ並んだ小島。
広い浜のある島。
前の旅で描いた形と見比べながら、オブシディオンと休む場所を選んだ。
雨が続いて、島で待つ日もあった。
空が晴れればまた飛び、やがて、海の向こうに大きな島と、高く連なる山々が見えてきた。
〈戻ってきたね〉
〈ああ〉
ポルフィラは、風に乱れた髪を押さえた。
あの山の手前に、リャンたちの住む宮殿がある。
*
ハイナの村では、レンが大きく手を振って迎えてくれた。
ポルフィラはメイとガンにも顔を見せ、故郷で自分が選んできた土産の包みを渡した。
「今度は、私の国の物。皆に持ってきたよ」
レンが嬉しそうに包みを受け取り、メイとガンも中を覗いた。
品を囲んで、故郷の家族や友達の話が始まった。
タオの店では、彼の分と、働き手たちへ用意した土産を渡した。
タオは包みを眺め、笑って彼女を迎え入れた。
「帰ってきて、顔を見せてくれるだけでも嬉しいのに。ありがとう」
ウェン・ルイの屋敷にも立ち寄った。
土産を差し出すと、彼は穏やかに微笑んだ。
「故郷でも、私たちを思い出してくれたのだね」
「はい。ぜひ見てもらいたくて」
その晩は屋敷に泊まり、故郷の様子を話した。
翌日、オブシディオンの背に立ったポルフィラは、角を握って宮殿へ向かった。
王都の人々は、黒い竜の姿に気づくと顔を上げた。
店先から出てくる者がいる。
道の端で立ち止まり、隣の者へ空を指す人もいた。
「オブシディオン様だ!」
声が、通りへ広がっていった。
ポルフィラは、背から大きく手を振った。
あちこちで腕が上がる。
その光景に、自然と笑みがこぼれた。
*
宮殿へ近づくと、庭の働き手たちがこちらに気づいた。
オブシディオンが以前休んでいた広場から、人々が離れていく。建物の中へ知らせに走る者もいた。
黒い翼が風を受け、巨体がゆっくり下りた。
後脚が地を踏むと、周りの木々が大きく揺れた。翼が畳まれ、鉤爪が地面へ触れる。
その頭が下がりきる前に、回廊の向こうから声がした。
「ポルフィラ!」
シェンリュカだった。
きれいな茶色の髪を揺らし、長衣の裾を持ち上げて走ってくる。
ポルフィラは肩から翼の付け根へ移ると、跳び下りた。
両足で軽く着地し、駆け寄ってくる友達へ両腕を広げる。
「ただいま!」
「本当に戻ってきた!」
抱き合う二人のそばへ、ユエンが来た。
すらりとした体に深い黒の長衣がよく似合っている。
妹とよく似た整った顔の中で、鮮やかな緑の目が、まっすぐポルフィラを見ていた。
「お帰り」
彼女が顔を上げると、ユエンはもう一度、確かめるように言った。
「無事で、よかった」
「うん。皆にも会ってきたよ。話したいこと、たくさんあるの」
ユエンの顔に、嬉しそうな笑みが広がった。
「聞かせて。今度は、君の故郷の話だね」
「私にもよ」
シェンリュカが、ポルフィラの腕を離さずに言った。
そこへリャンとシーランも現れた。
リャンは娘たちの後ろで足を止め、オブシディオンを見上げた。
「また、この庭に来てくれたのだな」
ポルフィラは、シェンリュカの腕をそっと外して二人の前へ進んだ。
「はい。約束しましたから」
シーランが微笑み、彼女の手を取った。
リャンは、竜と娘を交互に見てから、大きくうなずいた。
「よく戻った。さあ、旅の荷を下ろそう」
*
身支度を整えたあと、ポルフィラはリャンへ文箱を渡した。
レオンハルトから託された、封をした返書だった。
「陛下の申し出を、とても喜んでいました。こちらの国を、もっと知りたいと」
リャンは封を開いた。
二つの国の言葉で書かれた紙を並べ、ユエンとともに読み進める。
「使節を、迎えてくださるのか」
「はい。海を渡る方法も調べ始めています。島の絵の写しを、海に詳しい領主様が調べてくださっていて」
ポルフィラは、文箱と一緒に持ってきた海路図の写しも広げた。
故郷までに見つけた島々を順番に並べ、目印になる岩や浜を書き込んだものだった。
「これも、お渡しする約束でした。こちらでも使えるように、故郷で写してもらってきたんです」
ユエンが身を寄せ、リャンも島の絵を一つずつ確かめた。
ポルフィラはそばで、どの島で休んだのかを説明した。
リャンが顔を上げた。
「ありがとう。航路を調べる者たちにも、見せよう」
ユエンは図の端を押さえた。
「こちらでも古い記録を探しているよ。まだ向こうまで続く航路は分からないけれど、この図と比べてみる」
「同じだね。少しずつ調べようって、レオンハルトも言っていた」
リャンは返書を読み終え、机へ丁寧に置いた。
「遠い国に、話を進めてくださる方がいる。それが分かっただけでも、大きな前進だ」
レオンハルトからの贈り物も運び込まれた。
箱を開けると、一家は身を寄せて中を見た。シェンリュカが一つ手に取り、父や母へ見せている。
その様子を見ながら、ポルフィラは故郷で品々を広げた夜を思い出した。
海を隔てた二つの食事の席で、同じように人々が目を輝かせていた。
*
その晩、ポルフィラは以前と同じ席へ座った。
ユエンが隣にいて、向かいではシェンリュカが料理を勧めてくれる。
庭では、オブシディオンが翼を畳んでいた。
故郷の村が大きくなっていた話をすると、リャンは身を乗り出した。
ドランが異国の金属を鍛えていると聞き、シェンリュカは嬉しそうに手を合わせた。
家族や友達のこと、二つの民が同じ町で働いていたこと。話す間、一家は何度も尋ね、笑い、相槌を打った。
食事が落ち着いた頃、ポルフィラは次の旅のことを伝えた。
「今度は、オブシディオンの故郷へ行くつもりです」
リャンの手が止まった。
ユエンとシェンリュカも、同時に顔を上げる。
「竜たちの住む、火を吹く山々へか」
「はい。弩弓のことを、ほかの竜にも尋ねてみたいんです。外の世界を旅して、戻ってきた竜もいるそうなので」
リャンは庭へ目を向けた。
「オブシディオン殿は、あの武器をご存じなかったのだね」
「昔の旅では、見たことがないそうです。でも、今の世界は、その頃とは違うはずだから」
「最近まで旅をしていた竜なら、危ない国のことも知っているかもしれません。すぐに見つからなくても、まずは話を聞きたいんです」
リャンは、ゆっくりうなずいた。
「それなら、確かに尋ねてみる価値がある。竜を射る人間を、ほかの竜も知っているかもしれぬ」
シェンリュカは、興奮を抑えきれない顔で庭を見た。
「オブシディオン様のような竜が、ほかにもいる場所なのね」
「色も、大きさも違う竜がいるんだって。私も、会うのは初めて」
ポルフィラの声も、少し弾んだ。
ユエンは、そんな彼女を見て微笑んだ。
「また、話してもらいたいことが増えたな」
「うん。あなたたちが見たがりそうな竜がいたら、ちゃんと覚えてくるね」
シーランが、そっと口を開いた。
「今は、戻ってきてくださったばかりですもの。しばらくは、ここで休んでいってくださいね」
リャンもすぐにうなずいた。
「そうだ。まだ故郷の話を、半分も聞いておらぬ」
皆が笑った。
ポルフィラも笑い、庭の黒い竜へ顔を向けた。
〈行き先のこと、皆に話したよ〉
〈そうか〉
〈皆、あなたの故郷を見てみたいって顔をしてる〉
オブシディオンは、一家へ目を向けた。
〈まずは、お前に見せてやろう〉
ポルフィラは嬉しくなって、うなずいた。
次に向かうのは、彼が生まれ育った山々だった。




