第257話 それぞれの道
翌朝、ポルフィラは城の庭でアドリアンと会った。
彼は古い本を一冊、小脇に抱えていた。
「竜の話を調べてくれていたの?」
「ああ。だが、竜を射る武器のことは見つからなかった。ほかの記録も、探してもらっているよ」
「ありがとう。まだ帰らなくて、大丈夫なの?」
「明日には戻る。今日は、もう少し君と話したくて」
ポルフィラは嬉しそうにうなずき、隣へ並んだ。
庭の向こうには、オブシディオンの畳んだ翼が見えている。
二人は小道を歩き、木陰の長椅子へ腰を下ろした。
「帰ったら、忙しい?」
ポルフィラが尋ねた。
「仕事を待たせているからね。私の領でも、新しく町へ来た人が増えている。家を建てる場所や、働き口の相談も多いんだ」
「昨日の町みたいになっていくんだね」
「ああ。うまくいっている所ばかりではないけれど」
アドリアンは本を膝へ置いた。
「君が見ていた店でも、初めは一緒に働くのを嫌がる者がいた。それでも、やってみようと言う人もいたんだ」
ポルフィラは、荷車を押していた二人を思い出した。
「そういう人がいてくれて、よかった」
「私の領でも、増えてほしいと思っている」
話しながら、アドリアンは彼女の横顔を見た。
旅から帰ったら、今度こそ自分の気持ちを伝えようと思っていた。
ただ会いに来る友人のままでは、いつまでも気づいてもらえない。
好きなのだと、はっきり言うつもりだった。
けれど、ポルフィラは自分たちが死んだあとも生きていくと知ってしまった……
大切な人々を見送り、オブシディオンと遠い土地へ去るつもりなのだろう…
その未来に気づいてしまった今、用意していた言葉を口にできなくなった。
家族と同じようには歳を取れないことを、彼女はすでに悩んでいた。
その彼女に、自分の想いへの答えまで求めたくなかった。
「……次の旅も、もう考えているのかい?」
「まずはリャン陛下に、返事を届けたい。その先は、オブシディオンと相談しているところ」
ポルフィラは彼へ顔を向けた。
「竜を射た国があるって分かっているのに、何も知らずに飛んでいくのも怖いから」
アドリアンはうなずいた。
自分には、守らなければならない領民がいる。
安心して働ける町を作り、暮らしを立て直そうとする人々を支えていかなければならない。
彼女と一緒に、どこまでも飛んでいくことはできなかった。
……自分は、自分の生きるべき道を進もう。
ポルフィラには、旅先で無事でいてほしい。
帰ってきたときには、笑って迎えたい。
好きだという気持ちは胸に収め、これからは彼女を見守っていこうと決めた。
寂しさは消えない。
それでも、彼女へ顔を向けたときには、穏やかに笑うことができた。
「何か分かったら、知らせるよ。旅の間は、どうか気をつけて」
「うん。ありがとう」
ポルフィラは、彼の膝の上の本へ目を落とした。
「今度は、あなたの領の町も見に行きたいな。今日話してくれた人たちが、どうしているか」
「ああ。そのときは、私が案内する」
彼女は嬉しそうに笑った。
親しい友人を信頼する、いつもの笑顔だった。
アドリアンも微笑み返し、もう少しだけ、隣で話す時間を過ごした。
*
夕方、ポルフィラはオブシディオンのそばへ行った。
黒い竜は草地で休み、長い尾を緩く曲げている。
顔の前へ座ると、大きな目がこちらへ向いた。
〈弩弓のことを、考えていたの〉
〈あの銀の竜を射たものか〉
〈うん。あなたが昔、旅をした所には、なかったんだよね〉
〈竜を射殺すほどの武器は、見たことがない〉
ポルフィラは、城壁の向こうへ目を向けた。
どちらへ飛べば、その国へ近づくのか。
それさえ、まだ分からない。
〈あなたの覚えている道を飛べば、安全かなと思ったけれど……〉
〈私が各地を飛んでいたのは、三百年以上も昔だ。人の住む場所も、今とは違うだろう〉
ポルフィラは、そばの鱗へ手を置いた。
石になっていた年月だけでも、二百七十年ほどある。
その間にできた町や、作られた武器を、彼が知っているはずはなかった。
〈そうだね。昔は何もなかった所に、国ができているかもしれないものね〉
〈ああ。通ったことのない土地もある〉
ポルフィラは少し考えた。
地図の空白を、ただ順番に飛んで埋めていくには、海も陸も広すぎる。
自分たちより、今の世界をよく知っている者はいないだろうか。
オブシディオンの目が、彼女を見ていた。
ポルフィラは、以前、彼が話してくれた故郷のことを思い出した。
火を吹く山々と、そこへ戻ってくる年老いた竜たちのことを。




