第250話 炎の責任
翌朝、鐘の音は止んでいた。
それでも、窓から入る風には、焼けた木の匂いが混じっていた。
ポルフィラが目を覚ますと、広場にオブシディオンがいた。
昨夜と同じ場所で腹を下ろし、顔だけを窓へ向けている。
〈ずっと、そこにいたの?〉
〈お前も、ずっとそこにいただろう〉
ポルフィラは少し笑った。
体を起こしかけると左腕が痛み、そばの侍女が枕を重ねて支えてくれた。
朝食が運ばれてきた頃、ユエンとシェンリュカが訪ねてきた。
ユエンは茶色の髪をきちんと整えていたが、すっきりとした目元には疲れが残っていた。
ポルフィラと目が合うと、緑の瞳が優しく和らぐ。
皇女の声はまだかすれていたが、昨日より顔色はよかった。
「侍女にも会ってきたわ。足はしばらく動かせないけれど、ちゃんと治るって」
シェンリュカは寝台の横に座った。
「二人の護衛も、休んでもらっているの」
ポルフィラはうなずいた。
「よかった。他の人たちは?」
ユエンは膝の上で手を重ねた。
「怪我をした人は、ほかにもいる。それから、倉庫で働いていた二人が、戻らなかった」
ポルフィラは言葉を失った。
隣で、シェンリュカが目を伏せた。
自分たちは出られた。
けれど、犠牲になった人もいたのだ…
*
その日の午後、ポルフィラは医師に診てもらってから、池に近い客殿へ移された。
負傷者を診る部屋を必要な人に使ってほしいと頼んだのだった。
客殿なら、オブシディオンもいつもの草地で休める。
移動には輿が用意された。
自分の足で歩けると言いかけたポルフィラを、シーランが止めた。
「歩けることと、今、歩いてよいことは別ですよ」
その言い方が少しミレアに似ていて、ポルフィラはおとなしく座った。
*
火災の調べは、数日続いた。
倉庫を管理していた貴族チェン・ガクは、初め、火とは関わりがないと訴えた。
帳面を確かめたあと部屋を出た。
火が出たのは、そのあとだと言った。
しかし、下役たちの話は違っていた。
部屋から出るよう命じられたあと、扉の外で待っていた者がいた。
その者は、部屋の中から煙が漏れ始めてから、チェンが慌てて出てきた姿を見ていた。
「なぜ、すぐ知らせなかった」
調べ役が尋ねると、下役は震えながら答えた。
「火など出ていない、騒げば罰すると言われました。ですが、煙が増えてきて……別の者と戸を開けました」
取り引きしていた商家の店主も、不正を認めた。
「品物は減らして届けましたが、宮殿には全額を払わせました。余分に受け取った金は、チェン様と分けました」
店主の証言に加え、チェンが支払いを命じた記録も残っていた。
チェンはもう、下役の間違いだと言い逃れることはできなかった。
最後にチェンは、帳面を焼いたことを認めた。
「部屋の中で、消せるはずだったのです。これほど燃えるとは、思わず……」
その弁明は、リャンの前でも繰り返された。
*
処分を決める席に、ユエンも立ち会った。
チェンの衣は整えられていたが、以前のような飾り帯はなかった。
床に膝をつき、何度も頭を下げる。
「どうか、お慈悲を。皇女殿下があちらにいらっしゃるとは、存じませんでした」
リャンは、その男を見下ろした。
「娘がいなければ、火を放ってよかったのか」
チェンが顔を上げた。
皇帝の声は低く、静かだった。
男は口を開いたまま動けなくなった。
「そこで働く者がいることは、知っていたはずだ。品が足りぬと訴えた者を黙らせ、下役の過ちだと私へ答えた。その嘘を隠すために、今度は火を放った」
チェンは額を床につけた。
「命だけは……」
リャンの手が、肘掛けの上で握られた。
「亡くなった者にも、帰りを待つ家族がいた」
誰も口を挟まなかった。
横領と放火、その火によって人を死なせた罪を問い、皇帝はチェンに死刑を命じた。
不正に得た財産は取り上げ、被害を受けた人々への補償と、焼けた仕事場の再建に充てることになった。
加担した商家の者も、それぞれの行いを調べられ、処罰された。
*
チェンの刑が執行されたあと、ユエンは客殿を訪ねた。
ポルフィラは窓辺の椅子に座り、右手で髪をまとめようとしていた。
彼女は結び紐を膝へ置いた。
「終わったの?」
ユエンはうなずいた。
椅子を引いて隣へ座り、処分が決まるまでのことを話した。
ポルフィラは最後まで聞いてから、包帯へ目を落とした。
「お金をごまかさなければ、あんな火は出なかったんだね」
「うん。途中で認めていれば、防げた」
ユエンは窓の外を見た。
池の向こうで、職人たちが焼け跡の片づけに向かっていた。
「これからは、届いた品の数を、倉庫の担当者とは別の役人も確かめる。それから、材料が足りないときは、職人たちが私へ直接知らせられるようにする」
ポルフィラはうなずいた。
「今度は、訴える人の話が隠されずに済むんだね」
「うん。訴えを聞いて、すぐに確かめられるようにしたい」
ユエンは彼女へ顔を戻した。
膝に置かれた紐に気づき、手を差し出す。
「髪、結ぼうか」
「できるの?」
「紐を結ぶくらいなら。きれいにできるかは、分からないけれど」
ポルフィラは笑い、背を向けた。
ユエンは指に髪を引っかけないよう、慎重に束ねた。
「痛くない?」
「うん。ありがとう」
結び終えても、彼はすぐには椅子へ戻らなかった。
白い包帯が、薄い上衣の袖口から見えていた。
ポルフィラが振り向いた。
「どうしたの?」
ユエンは首を振り、彼女の隣へ座り直した。
「今日は、少し長くここにいてもいいかな」
「もちろん。私も、一人じゃ退屈だったんだ」
窓の外で、オブシディオンが目を開けた。
二人の座る場所を確かめると、また静かに顎を草の上へ戻した。




