第26話 預かっていた石
ドランは、娘の問いに首を振った。
「あの晩きりだ。十四年、一度も来ていない」
ポルフィラは母の手を握ったまま、父を見た。
「私が大きくなったことも、知らないのかな」
父はすぐには答えなかった。
「俺たちから知らせたことはない。どこにいるかも分からんからな」
自分を抱いてここまで来た人が、今はどこにいるのか、生きているのかさえ分からない。知りたいことには答えがなかった。
ミレアが夫へ顔を向けた。
「石のことも、話しましょう」
ポルフィラは母を見た。
「石?」
ドランがうなずいた。
「おまえと一緒に、預かったものがあるんだ」
父は立ち上がり、戸が閉まっているのを確かめた。それから棚の奥へ手を入れ、小さな布包みを取り出した。ポルフィラが毎日暮らしている家に、ずっと置かれていたものだった。
ドランは食卓へ戻り、娘の前で布を開いた。
黒い石が一つ、現れた。掌に収まるほどの大きさだった。ポルフィラが顔を近づけると、灯りの当たった縁に、深い紫が見えた。
「その人が、持ってきたの?」
「ああ。おまえと一緒に置いていった」
ポルフィラはそっと石を取り上げた。ひんやりしていた。傾けて見ると、黒く見えるところと紫に見えるところがあった。
「何の石なの?」
ミレアが答えた。
「私たちも尋ねたわ。でも、何に使うのかは教えてもらえなかったの」
ドランは娘の手元を見た。
「『この子が持っていなければならないものです』と言った。人目には出さないでほしいとも。あのときは、俺たちに預かっていてくれと頼まれたんだ」
ポルフィラは石を両手で包んだ。
「私が持っていなければならない……」
なぜだろう。どこで生まれたのかも分からないのに、自分が持つべきものだけは、こうして残されている。
「その人は、理由を知ってたのかな」
父は少し考えてから答えた。
「大切なものだとは分かっていたのだろう。だが、俺たちには話さなかった」
ポルフィラはもう一度石を見た。何か印がないか確かめたが変わったところもなく、印があってもそれが父母の顔や名前につながるとも思えない。布の上へ置いても、すぐには石から手を離せなかった。
*
ミレアは娘の手のそばへ、自分の手を置いた。
「なくさないでほしいと頼まれたから、二人で預かってきたの。あなたにも、いつか話さなければと思っていたわ」
ポルフィラは母へ尋ねた。
「村の人も、この石は知らない?」
「ええ。見せていないわ」
天馬の民の女性が連れてきたことも、この石のことも、父と母だけが知っていた。ポルフィラは布の端を直し、石を見つめた。
「私が持っていてもいいの?」
ドランは椅子へ座り直した。
「おまえと一緒に託されたものだ。ここで見たいときには、出してやる。だが、外へは持っていかないでくれ。隠すように頼まれた理由が分からんうちは、友達にも見せない方がいい」
ポルフィラは父の言葉を聞き、石を布の中央へ戻した。自分のものだと聞いても、これを持って歩きたいとは思えなかった。なくしてしまえば、自分をここへ連れてきた人が残したものまで失う。
「じゃあ、またここで見せて」
「ああ。見たくなったら言ってくれ」
父が布を包み直すのを、ポルフィラは見ていた。棚の奥へ戻す手つきが丁寧だった。十四年、自分が知らない間も、こうして守ってくれていたのだ。
それでも、何もかも元どおりにはならなかった。父母の顔を見ると、二人から生まれたのではないという言葉を思い出す。石のことを知っても、自分が誰に似たのかは分からないままだった。
*
ミレアが娘のほどけた髪へ手を伸ばした。
「結び直してもいい?」
ポルフィラはうなずき、少し横を向いた。母が背中の髪を寄せて整える。朝と同じ手つきだった。ポルフィラは母の膝に触れながら、小さく尋ねた。
「ガルのおばさんにも、私が赤ん坊だったころのこと、聞いていい?」
ドランが答えた。
「ああ。おまえを育てるのに手を貸してくれた話は、聞いていい。ただ、おまえを連れてきたのが天馬の民だったことと、石のことは、俺たちとおまえだけの話にしておこう」
ポルフィラはうなずいた。まだ、誰かに会って何を話せるかは分からない。それでも、ガルの母が自分を抱いて乳をくれたときのことは、聞いてみたかった。
ミレアが結び終えた髪を、娘の背へ戻した。ポルフィラは振り向き、母の顔を見た。
「ありがとう」
母はいつものようにうなずいた。ポルフィラもその隣に座り直した。父が灯りの芯を整える間、棚の方を一度だけ見た。
あの石を託した人は、どうして、自分に持たせなければならないと思ったのだろう。




