第25話 託された子
ポルフィラは父を見ていた。赤ん坊のころの話なら、母が隣で笑いながら口を挟むと思っていた。けれど、二人の表情に笑みはない。
ドランは食卓に置いた手を組み、娘へ話し始めた。
「おまえは、母さんのお腹から生まれた子ではないんだ。まだ小さな赤ん坊だったおまえを、俺たちが引き取って育てた」
ポルフィラは、父の言葉を頭の中でもう一度繰り返した。母のお腹から生まれたのではない?頭の中が真っ白になった。
「……私を引き取ったの…?」
ミレアがうなずいた。
「ある晩、この家へあなたを連れてきた人がいたの。私たちに、育ててほしいと頼んだわ」
ポルフィラは母へ顔を向けた。ついさっきまで、昔の母にも自分のような黒髪があったのかと考えていた。その問いの答えが、こんな話になるとは思わなかった。
「その人が、私の母さんなの?」
ミレアはすぐには答えなかった。
「そうかもしれない。でも、誰の子か尋ねても、答えてくれなかったの」
ポルフィラの視線が父へ移った。ドランも、静かに首を振った。
「名も聞けなかった。なぜ俺たちのところへ来たのかも、分からん」
ポルフィラは食卓の縁を握った。
「じゃあ、私の父さんと母さんが誰なのか、分からないの?」
「……ああ」
ドランの返事が、いつもより小さく聞こえた。ポルフィラは隣の母から少し体を離した。ミレアは手を伸ばしかけ、膝に戻した。
「どうして、今まで言ってくれなかったの?」
母は娘を見たまま答えた。
「小さいあなたに、どう話せばいいのか迷っていたわ。大きくなってからも、知ったらどんなに戸惑うだろうと思うと、話せずにいたの」
ドランも娘へ向き直った。
「自分が生まれた家を知りたいと思っても、俺たちは教えてやれん。それが怖くて、先延ばしにしてきた。黙っていて、すまなかった」
ポルフィラはうつむいた。
聞きたいことがうまく言葉にならなかった。
食卓を握る指を一つずつ緩めてから、顔を上げた。
「村の人は、知ってるの?」
ドランはうなずいた。
「俺たちが引き取って育てていることは、知っている。おまえに話すのは俺たちからにしてくれと、頼んでいた」
ポルフィラは、今日、道で会った人たちを思い出した。いつもと同じように名前を呼ばれ、手を振って帰ってきた。その人たちは、自分が知らないことを知っていた。
「みんな、黙ってたんだ」
ミレアは否定しなかった。
「ええ。私たちがお願いしたの。あなたが誰かから聞いて、一人で悩むことのないように」
ポルフィラは返事をせず、膝の上へ手を下ろした。
*
しばらくして、ポルフィラが口を開いた。
「私を連れてきた人は、どこの村の人?」
ドランは妻と目を合わせた。ミレアが小さくうなずく。父は声を落とした。
「竜の民ではなかった。天馬の民の女の人だ」
ポルフィラは顔を上げた。
「天馬の民?」
村へ来る天馬の民は、用事が済めばすぐ帰る。村人に近づかれるのも嫌がる。その人たちの一人が、赤ん坊の自分を抱いてこの家に来たという。
「どうして……」
父は娘の驚きが収まるのを待った。
「その人は、育ててくれと頼むだけではなかった。自分が連れてきたことは、誰にも話さないでほしいと言った。俺たちに危険がないとは言えないともな」
言われている話の内容についていけなかったが、ポルフィラは母を見て何とか尋ねた。
「それでも………私を預かったの?」
ミレアはうなずいた。
「あなたはお腹を空かせて泣いていたわ。足も冷たくて、まず温めなければと思ったの」
母の目が、娘の手へ下りた。
「その人は、あなたに生きていてほしいと言った。ほかに行くところがあるのか尋ねても、答えなかったわ。抱いていたあなたを返したら、そのあとどうなるのか分からなかった」
ドランが続けた。
「怖かった。だが、おまえが泣くのを聞いていたら、そのまま外へ連れていかせたくなくなった。二人で育てようと決めて、俺がガルの家へ乳を頼みに行った」
ポルフィラは驚いて父を見た。
「ガルのおばさんが?」
「ああ。ガルが生まれて間もないころだった。母さんと俺だけでは、おまえを育てられなかった。乳をもらい、着せる物を分けてもらった。いろんな家に手を貸してもらったんだ」
小さくなった靴をくれる家も、食べ物を分けてくれる家も、ポルフィラは知っている。その人たちが赤ん坊の自分にも同じことをしてくれたのだと分かっても、すぐにはうれしいと思えなかった。父と母の子ではないという言葉が、まだ頭から離れなかった。
ポルフィラは、ほどけかけた髪を見つめた。
「私も、天馬の民なの?」
ドランは首を横に振りかけ、止めた。
「分からん。おまえがどこの家で生まれたのか、俺たちは聞けなかった」
村へ来る天馬の民も、自分のような黒髪ではなかった。竜の民にも天馬の民にも似ていないのなら、自分は誰に似たのだろう。聞けば聞くほど、分からないことが増えていく。
ミレアがそっと言った。
「ポルフィラという名前は、その人から聞いたのよ」
娘は母の顔を見た。
「父さんと母さんが、つけたんじゃないんだ」
母はうなずいた。ポルフィラは口の中で自分の名を繰り返した。名前を呼んでくれたのは、いつも目の前の二人だった。その名を、二人より先に知っていた人がいる。
*
ドランは娘へ言った。
「その人が天馬の民だったことは、ほかの人には話さないでくれ。村の者にも、誰から託されたかは話していない」
ポルフィラは父を見た。
「その人を捜したら、いけないの?」
父の顔がこわばった。
「会いたいと思うのは、分かる。だが、誰かに尋ねれば、おまえがここにいると知られるかもしれん。その人が隠してくれと頼んだ理由も、俺たちは知らんのだ」
ドランは一度言葉を切った。
「その人はおまえを隠したがっていた。危険があるとも言った。だからその人を探すことはしないでくれ」
ポルフィラは目を伏せた。その女性が誰なのかは分からない。けれど、自分をここへ連れてきた人なら、どこで生まれたのか、実の父母は誰なのかを知っているかもしれない。尋ねてみたくても、捜すこと自体が危ないのだ。
隣でミレアが椅子を寄せた。
「今は、無理に話さなくてもいいわ。聞きたいことが浮かんだら、また聞いてね」
ポルフィラは母を見た。毎朝髪を結んでくれる手も、仕事をして帰ると迎えてくれる声も、何も変わっていない。それなのに、母のお腹から生まれたのではないと聞いただけで、隣に座っている母が少し遠く感じられた。
「母さん……」
声にした途端、目に涙がたまった。ミレアが差し出した手を、ポルフィラはしばらく見ていた。それから、その手を握った。
「まだ、そばにいて」
「ええ。ここにいるわ」
父も席を立たなかった。ポルフィラは母の手を握ったまま、もう一度、父へ目を向けた。
「私を連れてきた人は、それから一度も来てないの?」




