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オブシディオン  作者: 空飛ぶワイン
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第241話 竜たちの故郷

食事の皿が少しずつ下げられ、温かい茶と菓子が残された。

オブシディオンは亭のそばに顎を置き、皇族たちを見ていた。

灯りに照らされた牙の先を、シェンリュカがそっとのぞき込む。

「明日は、大きな鳥を食べに行かれるのよね」


ポルフィラはうなずいた。

「おいしいらしいよ」


「では、何が一番お好きなのかしら」

皇后が庭へ顔を向けた。


ポルフィラが問いを伝えると、すぐに返事があった。

〈天馬だ〉


ポルフィラは少し笑った。

「一番は、天馬だそうです」


リャンが身を乗り出した。

「そうだ。その名を、先ほどから聞きたかった。山の鳥が、天馬ほどの大きさだと言っていたね」


「はい」


「それは、どのような生き物なのだろう」


ポルフィラは皇帝を見た。

「天馬を、ご存じないんですか?」


リャンはうなずいた。

皇后も、子供たちも同じ顔をしていた。

名を聞けば姿が浮かぶのは、ここでは自分だけらしい。

ポルフィラは膝へ目を落とした。

自分たちも、そうだった。

教科書の文字を読んでは、そんな生き物が本当にいるのかと、友達と話したことがある。

「私も、初めは信じていなかったんです」


シェンリュカが目を丸くした。

「あなたの国にいるのに?」


「私たちの村では、誰も見たことがなくて。いると言っているだけだと思っていました」

故郷で本を囲んだ日の顔が、いくつも浮かんだ。

自分たちは疑い、この国の人たちは、名前も知らない。

竜のことは知っているのに、天馬は知らない。

なんだか不思議な気がした。

「馬に、大きな翼が生えているんです。空を飛べて、人と繋がります。心が通じ合っていれば、竜と同じように話もできます」


ユエンが庭の竜を見てから、ポルフィラへ視線を戻した。

「馬の姿で、空を……大きいのですか?」


「はい。一番大きくて強いとされる黒い天馬なら、屏風の青い竜くらいだと思います」


卓の向こうで、リャンの茶碗が止まった。

「あの青い竜ほどもあるのか」


ポルフィラがうなずくと、シェンリュカが両手を少し広げた。

「普通の馬に、翼がついているのを考えていたわ」


「私もです」

ユエンが言った。


「色も、いろいろあるんですか」

皇后が尋ねた。


「白から黒まで、灰色にも濃いものと薄いものがいます。白より薄い灰色、その上に濃い灰色。色が濃くなるほど強く大きくて、黒が一番です」

ポルフィラはノクスの姿を思い出した。

黒い翼が広がったときの大きさをよく覚えている。


「その天馬には、人も乗れるのですか」

リャンが尋ねた。


ポルフィラはうなずいた。

「はい。私の国では、王族や貴族の方たちが、天馬に乗って空を飛んでいるんです」


皇帝が目を見開いた。

「では、空を飛ぶ姿を、国の者たちも見ているのか」


「はい。王都へ、天馬に乗って行く領主たちがいます」


シェンリュカが兄へ顔を向けた。

「何頭も空を飛んでいるのね。自分で乗って遠くまでいけるなんて……」


ユエンもうなずいた。

「羨ましいですね。私も、自分で空を飛んで遠くまで行ってみたいです」


皇后が微笑んだ。

「上から眺めたら、町も山も、ずいぶん違って見えるのでしょうね」


「はい。とても遠くまで見えるんです」

ポルフィラが答えると、リャンは庭の向こうの山々を見上げた。


「あの山を越えるにも、道を使わずに飛んでいけるのだな。そなたの国の王や貴族が、つくづく羨ましい」


シェンリュカが小さく笑った。

「お父様、お顔に出ているわ」


「これほど羨ましい話を聞いて、隠せるものか」

リャンが真顔で答えたので、皆が笑った。


ポルフィラも、天馬の話をこんなに喜んで聞いてもらえるのが嬉しかった。


リャンがオブシディオンへ顔を向けた。

「その天馬が、好物なのですな」


問いを伝えると、竜が顎を少し持ち上げた。

〈うまい〉


ポルフィラはそのまま伝えた。


皇帝は一瞬言葉を失い、それから笑った。

「今まで知らなかった生き物の、味まで聞くことになろうとは」


*


ポルフィラは庭の黒い鱗を見た。

「逆に、私は竜にあんなにいろいろな色があると知って、驚きました。オブシディオンしか、知らなかったので」


「ウェン家では赤い竜を、この家では青と銀を見たのだね」

リャンが言った。


「はい。ほかには、どんな竜がいるのかと思って」


皇帝も竜へ向き直った。

「オブシディオン殿。あなたは、どこでお生まれになったのですか。ほかの竜も、そこで暮らしているのでしょうか?」


ポルフィラは問いを伝えた。

オブシディオンが、宮殿の背後へ連なる山々を見た。


〈ここよりも、ずっと遠い。火を吹く山が、幾つも連なる土地だ〉


ポルフィラは彼の言葉を、一家へ伝えはじめた。

彼女が口にするたび、皆の目が庭と彼女の間を動いた。


〈山肌には木のない場所も多い。岩と灰ばかりの谷もある。だが、そこに竜がいる。私も、そこで生まれた〉


「竜が、集まって暮らす土地があるのか……」

リャンが言った。


ポルフィラはうなずいた。

シェンリュカが椅子から腰を浮かせ、皇后がそっと腕を添える。

ユエンも茶碗を置き、身を乗り出していた。


「何頭も? オブシディオン様のほかにも、あの大きな竜が?」

皇女の問いに、ポルフィラはもう一度彼へ尋ねた。


〈小さなものも、大きなものもいる。色も違う。生まれたばかりのものと、長老とでは、同じ竜とは思えぬほど姿が違うこともある〉


言葉を聞いたリャンは、しばらく何も言わなかった。

やがて庭の向こうへ目をやり、長く息を吐く。

「一頭のお姿を見ただけで、これほど驚いたというのに……そのような場所が、今もあるのだな」


「子供の竜もいるのですね」

皇后の声も、いつもより弾んでいた。


〈ああ。ある程度育てば、皆、旅へ出る〉

オブシディオンは続けた。

〈私もそうした。知らぬ土地を飛び、獲物を探し、気に入った場所に住むこともある〉


ユエンが尋ねた。

「では、ここへ来た青い竜も、銀の竜も、旅の途中だったのでしょうか?」


〈その二頭については知らぬ。だが、旅をしていて人と出会ったのだろう〉


ポルフィラがそう伝えると、リャンは静かにうなずいた。


シェンリュカが、今度は少しためらって尋ねた。

「火は、みんな吐けるの?」


〈竜は皆、火を吐く〉


その返事に、一家の目が揃って大きくなった。

〈炎の色も、鱗に似る。私が見てきたものは、そうだった〉


「では、青い炎や、銀色の炎も……」

リャンは言いかけ、笑みを浮かべた。

「幼い日に祖母へ尋ねられていれば、どれほどよかったか」


*


池の水音の中で、竜の話は続いた。


〈人と繋がるのは、ごく稀なことだ。長老たちから、そう聞かされた〉


ポルフィラが伝えると、リャンは指を組んだ。

「古い家には、竜と繋がった先祖の話が残っている。それでも、数は少ない」


〈旅に出たものは、長い間戻らぬ。ひどく年を取ってから帰ってくるものがいる。私の知る長老たちも、そうだった〉


「人を連れて帰ることは、ないのですか?」

ユエンが尋ねた。


ポルフィラは、彼の問いをそのままオブシディオンへ向けた。

自分も、聞きたかった。


〈長老たちは、一度もないと言っていた〉


ポルフィラは伝え終えてから、竜の顔を見上げた。

火を吹く山々。

色も大きさも違う竜たちが、空を飛び、岩場で翼を休める土地。

彼にも、そこで小さかった頃がある。


皇女がそっと尋ねた。

「どんなふうに、見えるのかしら。その空は…」


誰もすぐには答えなかった。

リャンも、皇后も、ユエンも、それぞれに思い描いているようだった。


ポルフィラは手を伸ばした。

亭の縁へ寄せられた彼の顔に、指先が触れる。

いつか、必ず行こう。

オブシディオンの故郷を、自分も見たい。

まだ誰も、人を連れて戻ったことがないのなら、二人で帰ろう。

彼の目が、ポルフィラへ向いた。

彼女は小さく笑い、今は何も言わずに手を戻した。

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