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オブシディオン  作者: 空飛ぶワイン
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第234話 竜を望む者

ポルフィラは、差し出された書状を受け取った。

屋敷へ招くという短い文の末尾に、領主グオ・シェンの名と印があった。


「何のご用でしょうか」


使いの男はオブシディオンを見上げた。

「海の向こうから竜に乗って来た者がいると聞かれ、お会いになりたいとのことだ」


「今日は、これから帰るところなので。明日、お返事します」


「お待ちになっている」


「まだ、いつ伺えるか決めていません」

ポルフィラは書状を畳んだ。


男は眉を寄せたが、背後でオブシディオンが首を動かすと、一歩下がった。

「では、明朝、店へ返事を聞きに行く」


使いが林を出ていくまで、ポルフィラはその場に立っていた。

案内してきた男も、彼女と目を合わせずについていった。


〈会いたくなければ、行かなくてもよい〉

オブシディオンが言った。


〈うん。でも、店まで来るって〉

書状をしまい、町の方を見た。

タオに話しておかなければならなかった。


*


店へ戻ると、タオはまだ帳面をつけていた。

ポルフィラが書状を差し出すと、手を止めて読んだ。


「竜も一緒に、と言われたのかい」


「はい」


タオは書状を机へ置いた。

「あの方は、珍しいものを人に見せるのがお好きだ。よその領主に自慢できるものなら、なおさらね」


ポルフィラはガンたちの忠告を思い出した。

「欲しがったものを、手放させるという噂も聞きました」


タオはすぐには答えなかった。

「屋敷へ品を納めた者が、約束した代金をもらえず困っていたことはある」


ポルフィラは書状の印を見た。

同じ領主でも、クラウスたちとはずいぶん違うらしい。

「断ったら、店に迷惑がかかりますか」


「それを気にして行くと決めなくていい。会いに行って、断れば済むとも限らないからね」

タオはポルフィラへ書状を返した。

「今、返事をする必要はない。よく考えなさい」


ポルフィラはうなずいた。

この島へ来て、一年と四か月ほどになる。

村で半年を過ごし、この店でも十か月働いた。

それでも、領主のことは噂でしか知らなかった。

レンたちは、行くなと言っていたわけではない。

人に何を話すか、自分で考えるように教えてくれた。

その忠告が、今になって重く感じられた。


タオは、とても善良で優しい人だ。

行きたくなければ、店に迷惑をかける事を気にしなくてもいいと言ってくれている。

だからこそ、迷惑はかけたくなかった。


*


朝、オブシディオンのところへ行き、タオから聞いたことを伝えた。


竜は岩の上で長い尾を動かした。

〈欲しいと言わても、断るのだろう〉


〈もちろん。あなたは物じゃないもの〉


〈相手にそう言えばよい〉


ポルフィラは少し考えた。

使いは店の場所まで知っている。

このまま放っておくより、会って断った方がいい。

ただ、よくない噂を聞いた相手に会うのだ。

丁重に招かれたからといって、信用できるわけはない。

ポルフィラは、オブシディオンの足元から岩の端まで歩いてみた。

屋敷でも、すぐ彼のそばへ戻れる場所を離れない。

案内されるまま、建物へ入るのはやめようと思った。

〈会うなら、あなたと離れない。屋敷の中には入らず、外で話す〉


オブシディオンが顎を上げた。

〈ああ〉


店へ戻り、待っていた使いに返事をした。

竜と一緒に行くが、会うのは外。

竜が降りられる場所を教えてほしい。


使いは、屋敷の外庭なら十分に広いと答えた。


*


領主の屋敷は、シェンラを見下ろす丘の上にあった。

町から続く道が曲がりながら登り、高い塀を巡らせた門へ通じている。

外庭はその塀の内側に広がり、植え込みの向こうに、反り返った屋根が幾重にも重なっていた。


上空からひと巡りすると、庭に人が並んでいるのが見えた。


〈降りる場所から、離れてもらわないと〉


オブシディオンが翼を傾ける。

彼を見上げていた人々が慌ただしく動き、建物の方へ下がった。

空いた場所へ、黒い巨体が下りた。

翼の風で庭木がしなり、敷き詰めた白い砂利が走る。

脚が地面を踏むと、門のそばにいた兵たちまで肩をすくめた。


ポルフィラは背から下りた。

最後の足場から砂利へ着地し、顔を上げると、屋敷の前に立つ男と目が合った。


深紅の長衣には、光が当たるたびに柔らかな艶が浮いた。

高い襟から胸へ金糸の刺繍が続き、ゆったりした袖にも細かな雲の模様が入っている。

腰には飾り帯を締め、淡い緑の石を下げていた。

長衣の下では腹が大きく張り出し、飾り帯がその下を締めていた。

顔は丸く、顎の肉が高い襟に重なっている。

男は手にしていた扇を閉じた。

「私がグオ・シェンだ。顔を上げてよい」


ポルフィラが名を告げて頭を下げても、領主の目は彼女の上を通り越していた。

オブシディオンの頭から翼へ、翼から太い脚へと動く。


「話には聞いたが……これほどとはな」

領主は数歩近づき、そこで止まる。

竜がわずかに顔を向けたのだった。

閉じた扇を握り直し、近くの家臣へ言った。

「王都でも、これに並ぶ珍しい物はあるまい」


家臣が深くうなずいた。

「皆、驚かれることでしょう」


ポルフィラは黙って二人を見ていた。


領主はようやく彼女へ顔を向けた。

「この竜は、いつから持っている」


「持っているのではありません。一緒にいるんです」


「乗り手はお前なのだろう」


「…はい」


領主は気に留めなかったように、オブシディオンを眺め直した。

「商家で荷を担いでいるそうだな。その身なりも、なるほど」

領主はポルフィラの袖口から足元まで見て、薄く笑った。

「金に困っているのだろう」


「旅の費用をためるために、働いています…」


「ならば、這いつくばって働く暮らしは、今日で終わりにしてやろう」

領主は扇で家臣を招いた。

「望む額を言え。あの店で一生働いても得られんほどの金を出してやろう」

領主は、もう家臣に何か用意させようとしていた。


ポルフィラが引き受けるかどうか、返事を待つ様子さえない。

ポルフィラは眉を寄せた。

この男に、もう敬意は必要ない。

「何に対して?」


「竜だ。私に譲れ」

風が長衣の裾を揺らした。

金糸で縫われた模様が、陽光の下で光っている。


ポルフィラは、すぐには声を出せなかった。

竜が欲しいのだろうとは思っていた。

それでも、目の前にいるオブシディオンへ一度も語りかけず、自分に金を渡せば済むと思われていることが、ひどく腹立たしかった。

ポルフィラは領主を見た。

「譲れないわ」


「額を聞いてからでもよかろう」


「お金の話じゃないの」

懸命に働いている者を、見下された気がした。

レンとメイも、仕事を任せてくれたタオも、誰かに哀れまれるような生活はしていない。

けれど今、それ以上に許せないのは、オブシディオンを買えると思っていることだった。


領主の口元から笑みが消えた。

「値をつり上げたいなら、そう言え。遠慮する身分でもあるまい」

領主は扇の先でオブシディオンを指した。

「荷運びの娘が連れ歩いて何になる。私なら、これを役立ててやれる」


そばの家臣が、領主に調子を合わせて笑った。

「領主様がお目をかけてくださっているのだ。ありがたくお受けすればよい」


ポルフィラはその家臣をにらんだ。

「断っているのが、分からないの?」

ポルフィラはオブシディオンの前脚へ手を置いた。

「彼の自由を、あなたが決めることはできないわ」


領主はその手を見た。

「この竜を連れて王都へ参れば、私を見る目も変わる。お前のような娘には、一生縁のない話だ」

領主は鼻で笑った。

「金を受け取って、あの店へ帰ればいい。お前が竜を探し当てた手柄くらいは、覚えておいてやる」


「あなたの出世のために、彼を渡せと…?」

ポルフィラの声が低くなった。

「彼が、あなたの飾りものになるとでも…?」


オブシディオンの胸からも、低い音が響いた。

家臣が一歩退き、兵たちの手が槍へ動いた。


ポルフィラは鱗を撫でた。

〈バカバカしい。帰ろう〉


竜の脚へ足をかけようとしたとき、領主の声が飛んだ。

「待て。話は終わっていない」


ポルフィラは振り返った。

「あんた達と話すことはないわ!」

思わず大声がでた。

握り締めた手に爪が食い込む。

自分を見下すだけでは飽き足らず、オブシディオンまで扇で指し、金で手放すよう言い続ける。

その顔を、もう見ていたくなかった。


領主が閉じた扇を横へ振った。

門のそばにいた兵が二人、庭へ入ってくる。


「よそ者が、私の土地で稼がせてもらった恩も忘れたか」

領主は兵へ顎を向けた。

「その娘を止めろ。身の程を教えてやらねばならん」


ポルフィラの足が、砂利の上へ戻った。

近づく兵の足音の向こうで、大きな門が閉まり始めていた。

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