第23話 隣の村へ
父たちが町へ荷を運んで帰ったあとも、ポルフィラは教科書を読んだ。長い文で意味が分からなくなると、知っている言葉を頼りに読み直した。友達が来られる日には、分からなかったところを一緒に考えた。
畑の種まきが終わり、刈り入れが来る。季節が巡るたびに、家で任される仕事が増えた。六人の時間は合わせにくくなったが、家で顔を合わせたときには、昨日読んだところを話すこともあった。
文字を学ぶ危険がなくなったわけではない。読む場所や時間は親に確かめ、天馬の民が来れば、本を隠した。石板の写しも親に預けたまま、あの事件を調べ直すことは許されなかった。
そうして四年が過ぎた。
十四歳になったポルフィラは、鍛冶場で籠を受け取った。布に包んだ鎌が二本入っている。隣の村から修理を頼まれていたものだった。
ドランは包みが動かないことを確かめ、娘へ渡した。
「シオンの母さんも、向こうへ用事があるそうだ。一緒に行ってくれ。帰ったら、持ち主の様子を聞かせてくれ」
ポルフィラは籠を抱え、重さを確かめた。
「うん。届けたら戻るね」
道へ出ると、リナが待っていた。彼女も親戚の家へ届ける籠を持っている。以前なら手伝いを終えるなり遊びに駆け出していたが、今は家族の代わりに用事を任されることも増えた。
リナは鍛冶場をのぞき、ドランへ声をかけた。
「行ってきます。帰りも一緒に戻りますね」
ドランがうなずくと、二人はシオンの家へ向かった。シオンも母親と出てくるところだった。母親は干した薬草を、息子は別の包みを抱えている。
近隣の村には、親戚や顔なじみがいた。隣村までは歩いて一時間ほど。今日もシオンの母親が先に立つ。
村を出る前に、畑でトーマが顔を上げた。そばでは八歳になった妹が、抜いた草を集めている。トーマが手を上げると、リナが籠を持っていない方の手を振った。
「隣の村へ行ってくる」
トーマは二人へ向き直った。
「気をつけて。戻ったら、ガルが呼びに来ると思う。運ぶものがあるって」
ポルフィラはうなずいた。六人で過ごす時間は、以前より短くなっていた。セラも家の仕事で忙しく、誰かの用事が終わるころには、別の誰かが呼ばれる。それでも、時間ができた時に声をかけ合うのは変わらなかった。
*
畑の間の道を歩き、広い道を横切る手前で、シオンの母親が足を止めた。向こうから馬車が来る。
幌のついた車を、二頭の馬が引いていた。御者台の天馬の民は、こちらを見ても速度を落とさない。四人は道の端へ寄り、車が過ぎるのを待った。蹄の音と車輪の音が重なり乾いた土が舞い、リナが袖で口元を覆った。馬車は広い道を進み、やがて見えなくなった。
シオンの母親が先に渡り、三人も続いた。その先の細い道は、隣の村へ続いている。
リナが馬車の去った方を振り返った。
「あれなら、重い物も運べるね」
父も、村人も、重い荷を運ぶときは何人かで手を貸し合う。
シオンは母親から預かった包みを持ち直した。
「幌もあるから、雨でも荷物が濡れないね」
三人が歩き出すと、先にいたシオンの母親が振り返って待ってくれていた。
*
隣の村では、リナの親戚の家にまず寄った。戸口から顔を出した女性は、籠を受け取るより先にリナの顔を見て笑った。
「また背が伸びたね。お姉さんに追いついてきたんじゃない?」
リナは籠を差し出しながら首を振った。
「まだ。姉さん、いつも私を子供扱いするもの」
女性が笑うと、家の中から娘も出てきた。リナと親しくしている少女で、ポルフィラたちとも会えば話す。籠を母から受け取り、リナを家の脇の日陰へ招いた。
鎌の持ち主の家も近かった。ポルフィラは包みを渡し、受け取った男性が刃を確かめるのを待った。
「助かった。お父さんにも礼を言っておいてくれ」
父の仕事を喜んでもらえて、ポルフィラもうれしかった。用事を終えて戻ると、シオンの母親は薬草を届けた家の人と話していた。リナと少女の笑い声が、日陰から聞こえる。
ポルフィラも加わると、少女がその髪へ目を向けた。
「長くなったね。その結び方、似合ってる」
肩までだった黒髪は、今は背中に届いていた。ポルフィラは結んだところへ手をやった。
「母さんに教えてもらったの」
少女は、自分の髪も後ろへまとめて見せた。戸口にいる母親と同じ、くすんだ茶色だった。結び方を母親に直されると、二人は顔を見合わせて笑った。笑うと目元までよく似ている。
リナが結び目をのぞき込み、私にも教えてと言った。三人で話しているうちに、シオンの母親が戻ってきた。帰る時間だと聞くと、リナはすぐに立ち上がった。
家の中から少女の母親が声をかけた。
「またおいで。お母さんたちにもよろしくね」
*
村へ戻ると、ガルが弟と待っていた。十歳の弟は兄の後ろから顔を出し、空いた籠を見て言った。
「それ、少し貸して。母さんが使うんだって」
ガルは弟へ言った。
「ミレアおばさんに聞いてからだ。そっちでも使うかもしれないだろ」
ポルフィラは弟へ声をかけた。
「私も帰るところだから、一緒に母さんに聞こう」
弟がうなずいて隣へ来ると、二人は家へ向かった。ガルとシオンは運ぶ物を取りに行き、リナも家へ戻った。
ポルフィラが籠を置くと、ミレアは戸口で娘を迎えた。
「お帰り。鎌は渡せた?」
持ち主が喜んでいたことを伝えると、母も笑った。ガルの弟も戸口から顔を出した。
「おばさん、この籠を借りてもいいですか。母さんに頼まれたんです」
ミレアは籠の中を確かめ、少年へ渡した。
「いいわよ。お母さんに、使い終わってから返してくれればいいと伝えてね」
少年は礼を言い、両手で持って帰っていった。
家の仕事を済ませたあと、ポルフィラは母のそばで教科書を開いた。以前は何度も読み直していた長い説明も、今は一人で意味を追える。知らない言葉に出会えば、前後の文を読んで考えた。
リナは家の仕事を優先してから、親が許した日に来る。シオンやセラとも、以前のようには時間がそろわない。ガルとトーマの親は、今も文字を学ぶことを恐れていた。本を囲む顔ぶれは、その日によって違っていた。
ミレアが顔にかかった髪を耳へ掛け、縫い物から顔を上げた。
「今日は向こうで、少し話せた?」
ポルフィラは本から目を上げた。
「うん。髪の結び方を教え合ったの」
昼間、結び目を直してもらった少女が母親と笑い合った姿を思い出した。二人は髪の色だけでなく、笑うときの目元まで似ていた。ポルフィラはミレアの顔を見てから、自分の黒髪に触れた。
自分の髪が村の誰とも違うことは、ずっと前から知っている。けれど、母さんにも似ていないのはどうしてだろう。小さいころの母さんは、どんな子だったのだろう。
娘は本を閉じ、ミレアへ尋ねた。
「母さん。小さいころも、今と同じ髪の色だった?」




