第22話 帰ってきた父
夕方、道の向こうに荷車が見えた。
ポルフィラは、取り込んだ布を母へ渡した。
「帰ってきた」
ミレアも顔を上げた。二人が鍛冶場の前へ出ると、ガルが母親と弟を連れて来るところだった。弟が走り出し、ガルもそのあとを追った。
四人は荷車を止めた。ガルの父親は、駆け寄ってきた下の息子を抱き上げた。
「ただいま」
ガルが父のそばへ来た。
「遅かったね」
父親はうなずいた。
「荷を受け取ってもらうまで、待たされたんだ」
ドランは荷車から道具袋を下ろした。ポルフィラは父の前に立ち、顔を見上げた。額にも腕にも汗の跡が残っていた。
「父さん、何もされなかった?」
ドランは袋を置き、娘の肩に手を添えた。
「怪我はしていない。ちゃんと帰ってきたぞ」
ミレアがそばへ来た。
「お帰りなさい」
ドランが妻を見ると、ミレアは肩に触れた。いつもの短い挨拶だったが、手はすぐには離れなかった。
管理者は村へ続く道から、四人の家族が集まるのを見ていた。
「荷は全部受け取られた。今日の運搬は、これで終わりだ」
セラの父親が答えた。
「分かりました。荷車は、私たちで戻しておきます」
管理者はうなずいた。四人を村まで送り届ける役目を終え、帳面を抱えて道を戻っていった。
ガルが父の腕を引いた。
「町のことも聞かせて」
父親は息子を見た。
「家に帰ったら話そう。見たことを聞かせるだけだぞ。おまえが見に行っていいわけじゃないからな」
ガルがうなずくと、父親は弟を下ろした。荷車を片づけながら、セラの父親へ声を落とす。
「町の様子は、聞かせてやりたい。だが、話したら行ってみたくなるだろうな」
セラの父親は答えた。
「俺たちも、通りを見てみたかったんだ。子供なら、なおさらだろう。入れなかったことも、きちんと話しておこう」
ドランも聞いていた。娘は、帰ったら町のことを聞きたいと言っていた。初めて見た景色を話してやりたい。だが、その話に惹かれて村を出れば、子供一人では管理者に説明してもらうことさえできない。
ドランたちは荷車を片づけ、それぞれの家へ帰った。
*
手と顔を洗ったドランが食卓につくと、ミレアは温めておいた食事をよそった。ポルフィラも父の隣へ座り、椀が渡される間も、その顔を見ている。ミレアは夫の前へ椀を差し出した。
「持っていったものは食べられた?」
ドランは椀を受け取り、ようやく肩の力を抜いた。
「ああ。待っている間に食べた。包んでくれて助かった」
父が一口食べるのを待って、ポルフィラが身を寄せた。帰ってきたら聞かせてもらうと約束した話を、早く聞きたかった。
「町は、どんなところだったの?」
ドランは食べる手を休め、倉の向こうに見えた家並みを思い出した。
「家がたくさん並んでいた。二階にも窓があってな。倉の向こうにも屋根が続いていて、どこまで町なのか分からんくらいだった」
娘は窓の外へ目を向けた。ここでは家々の向こうに畑があり、その先の木々まで見渡せる。
「村より、ずっと大きい?」
ドランがうなずくと、ポルフィラはもう一度外を見た。屋根で向こうが見えなくなるほどの町を想像している娘へ、父は軒先で見たことも話した。
「布を売る店も見えた。母親と子供が、並んで布を選んでいたぞ」
ポルフィラは父へ向き直った。
「どんな布?」
ドランは口元を緩めたが、娘が知りたい布の色や模様までは覚えていなかった。
「遠くからだから、そこまでは分からん。二枚を並べて、見比べていた」
娘は、今着ている服へ目を落とした。
「私も、母さんと選んでみたい」
ドランは椀を置いた。ミレアも娘の服へ目を向けたが、連れていこうとは言えない。ドランは、縄のそばに座り、遠くの親子を見ていた自分を思い出した。
「俺も、そう思った。だが、俺たちは店のある通りへ入れない」
ポルフィラは顔を上げた。
「荷を届けたあとも?」
ドランはうなずいた。
「荷置場で待って、そのまま帰ってきた」
ポルフィラは椀へ目を落とした。欲しい布があるかどうかも、見に行けないのだ。考えるほど、その理由が分からなくなった。
「あの人たちは、村で作ったものを使うんでしょう。それなのに、父さんたちは店にも行けないの?」
ドランには、娘が納得できる理由を話してやれなかった。
「ああ。そう決められている」
町の話をもっと聞きたそうにしていた娘が、黙っている。ドランはその様子を見ながら、帰宅したときに聞いたガルの父親の言葉を思い出した。
「今日は、荷を運ぶためだけに特別な許しが出たんだ。見てみたいからといって、友達と出かけてはいかんぞ」
ポルフィラは顔を上げた。
「分かってる。勝手には行かない」
ミレアは娘の手に触れ、目を合わせた。
「私たちが一緒でも、町には入れないの。勝手に近づいて連れていかれたら、お父さんと私では助けられないかもしれない」
ポルフィラはうなずいた。ドランは娘の返事を聞いて、ようやく椀を取った。話を聞く目が輝くのはうれしい。それでも、面白そうな町だったということだけが、娘の心に残るのは怖かった。
*
夕食を終えると、ドランは道具袋を開き、槌を棚へ戻した。ポルフィラが隣からのぞき込む。食器を片づけていたミレアも、使った跡のない道具へ目を向けた。
「車は、壊れなかったのね」
ドランは残りの道具をそろえながら、倉で袋を開けたことを話した。
「使わずに済んだ。ただ、倉では袋を開けさせられた。余計な物を持ってくるなと言われてな」
ミレアは夫の手元を見た。
「車を直すために持っていったのに?」
荷を運ぶのに必要だと説明しても、係は納得してくれなかった。
「管理者が説明してくれた。袋を車に戻せと言われて、それで済んだ」
娘は父へ尋ねた。
「持っていっていいものも、あの紙に書いてあったの?」
ドランは手を止めた。
「分からん。荷のことも、向こうで守ることも、俺たちは話してもらうしかなかった。書いてあるのか、いないのかも、自分では確かめられん」
管理者が紙を開いていたときのことを、ポルフィラも覚えていた。父たちは相手の話を聞くだけで、紙に書かれてある字は読めない。娘はしまってある教科書の方へ目を向け、少し迷ってから父に尋ねた。
「本を読んでもいい?」
ドランはミレアへ目を向けた。妻は戸が閉まっていることを確かめた。
ドランは窓を閉め、娘の前へ座った。あの紙を自分で読めたらと、倉でも帰り道でも考えていた。娘には読み方を覚えてほしいという思いが、前より強くなっていた。
「今日、字を覚えるのは大事なことなんだと、改めて思った。何が書いてあるか、自分で確かめられないのは怖い」
ポルフィラは父を見た。
「だから、私には覚えてほしいの?」
ドランはうなずいた。
「ああ。誰かに話してもらうだけでなく、おまえ自身で読んで、考えられるようになってほしい」
ミレアは教科書の包みを持ってきたが、すぐには開かなかった。
「でも、覚えたことが知られたら、あなたの命まで奪われるかもしれない。その怖さは、忘れないでね」
ポルフィラは小さくうなずいた。父は、包みの上へ手を置いた。
「俺も怖い。だが、怖いから何も覚えなくていいとは、言いたくないんだ。ここで読もう。父さんと母さんがそばにいる」
娘が本を開こうとするのを見て、ドランは声をかけた。
「石板の話を外でしないことは、これまでどおり守ってくれ」
ポルフィラは本から顔を上げた。
「うん」
それから食卓に本を置き、前に読んだページを開いた。今夜は、石板の写しを探そうとはしなかった。
字が読めれば、父が見たような紙も、いつか自分で読めるのだろうか。書いてあることを確かめられるようになりたい。今日は、そのために本を読みたいと思った。
ポルフィラは知っている言葉から読み始めた。ドランは、その声を黙って聞いていた。




