第219話 王都からの救援
ソレインが詰所の庭へ下りると、見張りの兵がポルフィラへ知らせに来た。
アドリアンが到着したという。
彼女は寝台から体を起こした。
何を言えばよいのか考えているうちに、扉が叩かれる。
「入ってもいいか」
アドリアンの声だった。
ポルフィラは、はい、と答えた。
部屋へ入った彼は、まず彼女の左腕を見た。
まだ添え木がついている。窓の外では、オブシディオンが首を伏せていた。
「弟のことを聞いて、来た」
「……はい」
アドリアンは椅子へ座った。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
「呼び戻そうとしてくれたと、聞いた……」
「でも、止められませんでした……」
ポルフィラは右手へ目を落とした。
オブシディオンを責めることはできない。それでも、弟を失った人を前に、胸が苦しくなった。
アドリアンは窓の外を見た。
父も弟も、あの竜に焼かれた。
自分が知っている声も顔も、炎の中へ消えたのだ。
「……弟を、許したわけではない。それでも、死んだと聞いて、悲しかった」
ポルフィラは顔を上げた。
アドリアンの目は、まだ外へ向いていた。
「王子を殺せと命じたのか、私も確かめたい。あの兵に、会わせてもらえるだろうか?」
「レオノーラ様に、話してみます」
アドリアンはうなずいた。
ポルフィラは戸口の兵を呼び、レオノーラを迎えに行ってもらった。
*
レオノーラの立ち会いで、アドリアンは捕らえられた兵に会った。
かつてアウレリスの城で見た顔だった。
この男は、王子を庇った西門の副長を刺し殺している。アドリアンは、レオノーラからその経緯も聞いていた。
兵はアドリアンに気づくと、目を伏せた。
その前に椅子を置き、アドリアンは座った。
「フェリクスが死んだ」
「……聞いております」
「王子を殺せと命じたのは、弟か?」
兵の指が、膝の上で動いた。
アドリアンは待った。
「フェリクス様は、王から聞いた密命だとおっしゃいました」
レオノーラが身を乗り出した。
「あなたが、王から直接命じられたのではないのね?」
「……はい。フェリクス様に呼ばれて……。追撃隊が来て、争いになったら殿下を殺せと」
兵は言い終えると、深く俯いた。
「役目を果たせば、領地を取り戻したときに、取り立てるとも…」
アドリアンは、奥歯を噛み締めた。
『…王の命令を取り違えたんだ』
生きていたら弟は、そう弁解するのだろう…
…だが、今聞かされたのは、王の密命を口にして人を殺させ、褒美まで約束したという話だった。
フェリクスは、王子が死んだあと、自分が領地へ戻るつもりでいた。
そのために、この兵を使った。
「…追撃の混乱の中で殺せと、弟が言ったのだな?」
「……はい」
弟らしいやり方だった。
自分の手は汚さず、誰かにさせる。失敗すれば、命令した証拠を残さずに逃げる。
その結果、王子を守ろうとした西門の副長が死んだ。
腹の底から怒りが込み上げた。
何をしてくれたのだ!
王子も、同じ隊の兵たちも、おまえが領地を取り戻すためにいるのではない!
…と、フェリクスへ直接言いたかった。
言えばまた、王のためだった、自分にはほかに道がなかったと、言い逃れをしただろう。それでも、問い詰めたかった。
だが弟は、もういない……
やり場のない怒りと、悲しみで、胸が苦しかった。
「西門の兵たちは、弟の命令を知っていたのか?」
「いいえ。私だけです。隊長たちには、殿下を守りたいと言いました」
アドリアンは、立ち上がりかけて座り直した。
このまま部屋を出て、一人になりたかった。
だが、弟のしたことを聞いた兄が、何もせず去るわけにはいかなかった。
「今、話したことを記録させて下さい。私も、聞いた者として名を入れます」
レオノーラはうなずき、ヴィオレスタの家臣に書き留めるよう頼んだ。
アドリアンは一言ずつ記録されるのを待ち、内容を確かめてから自分の名を書いた。
*
その頃、王都の東門では、守備隊の交代が終わったところだった。
門の内側にある詰所で、勤務を終えた兵たちが休んでいる。
そこへ、城の近衛が来た。
近衛を率いる男が、詰所の戸口で王の書状を開いた。
「東門の隊長は、城で拘束された。部下のおまえたちも武器を預け、ここで待機せよ」
東門の兵たちが立ち上がる。
年長の兵が、前へ出た。
「うちの隊長は、王に呼ばれて城へ行ったのです。なぜ捕らえられたのですか?」
「レオンハルト様の手紙を読み、その主張に賛成したためだ。王に従う意思が疑われている」
部屋の中で、驚きの声が上がった。
王子の手紙は読んだ。
読みはしたが、それだけで、兵達は今日も王都の門を守っていた。
「私たちまで捕らえるのですか?」
「まず武器を渡せ。抵抗すれば拘束する」
城の近衛が、詰所の中へ入ってきた。
一人が、若い門兵の腰の剣を外そうとする。
若い兵は、反射的に後ずさった。
「待ってください。私は、何も――」
近衛兵がその肩をつかみ、壁へ押しつけた。
若い兵は腕を振りほどこうとしたが、押さえる力が強くなる。
「抵抗するな!」
追い詰められた若い門兵が、腰の剣を抜いた。
それを見た近衛兵も剣を抜く。
二つの刃がぶつかった。
「やめろ!」
年長の門兵が叫んだ。
だが間に合わなかった。
近衛兵の剣が、若い兵の腹へ入った。
押さえた腹から血が流れる。
「下がれ! 仲間を中へ!」
門兵たちが若い兵を引きずり、部屋の奥へ運んだ。
別の門兵が盾と剣を構え、戸口に立つ。
ほかの者も、その横へ並んだ。
城の近衛は、詰所の前の通りへいったん退いた。
互いに剣を抜いたまま、戸口を挟んで向き合う。
すぐそばには、東門を通る道がある。
荷車を引く人々が足を止め、商人たちが店の中へ逃げ込んだ。
さっきまで門を守っていた兵と、城から来た近衛が、今は互いに武器を向けている。
*
王都の東門から使者が来たのは、それから数日後だった。
館へ戻る許可が出たポルフィラたちも、ちょうど詰所を離れる支度をしていた。
使者は東門兵の一人だった。
レオンハルトへ手紙を渡し、王の近衛に武器を取り上げられかけたこと、仲間が斬られたことを話した。
「隊長は、まだ城に捕らえられています。近衛は何度も詰所へ来て、出てこなければ反逆だと言いました」
「今も、詰所に立て籠もっているのか?」
レオンハルトが尋ねると、使者は首を振った。
「その夜、詰所の裏口から、怪我をした仲間を連れて出ました。門で勤務中だった同じ部隊の兵が、私たちを外へ通してくれたのです」
「今は、門の外にいるのか?」
「はい。東門の外で、商人の倉を借りています。門には閉鎖命令が出ていますが、仲間を外へ逃がすため、まだ抵抗して門を維持している兵もいます」
レオンハルトは手紙を開いた。
東門の兵たちが、連名で助けを求めていた。
自分の手紙を読んだだけの者だ。
それで武器を奪われ、仲間を斬られた。
父は、王都に残った兵にまで、王が誰かを分からせようとしている……
レオノーラが使者へ尋ねた。
「町の人たちは、どうしていますか?」
「争いのあった通りでは、店を閉じています。怪我人を家へ入れたら、自分たちまで捕らえられるのかと……」
使者の声が詰まった。
「殿下。お力を貸してください。城へ連れていかれた者も、まだおります」
レオンハルトは、顔を上げた。
「王都へ行く」
アドリアンが、横から言った。
「私も行こう。ソレインなら、逃げる人々を追手から守れる」
「私とシルヴァも」
リゼリアの声に、レオノーラもうなずいた。
「まず私たちが先行して、東門の兵と連絡を取る必要があるわ。今のまま兵を進めれば、王都を攻めに来たと思われる」
レオンハルトは、ポルフィラへ向き直った。
「あなたとオブシディオンにも、協力をお願いしたいのです」
ポルフィラは、すぐには答えられなかった。
窓の外で、黒い首が動く。
「王都には、王の弓兵がいます……」
レオンハルトはうなずいた。
ポルフィラは、続けた。
「見つけたら、彼は殺します。私が反対してもやめないと、言っています。王都へ近づけば、助けたい人たちまで炎に巻き込むかもしれません…」
部屋が静かになった。
レオンハルトも、林を覆った黒い炎を思い出していた。
「それでも、お願いしたい。父がノクスで兵や町人を押さえつけようとしたら、止める備えが必要です」
こちらの天馬達も、人の暮らす通りで戦うことになるかもしれない。
王を止めようとして、市民を巻き込む恐れがあった。
レオンハルトは、ポルフィラを見た。
「王都の中へ入ってほしいとは言いません。まず門から離れた所で待っていただきたい。私たちが先に東門の兵と連絡を取り、弓兵を近づけないよう備えます」
「そこへ王の弓兵が来たら、同じです。私には、彼を止められません」
「はい。その危険があると承知して、頼んでいます…」
ポルフィラは窓の外へ目を戻した。
皆を助けたい気持ちはある。
だが、彼がまた人を焼こうとしても、誰にも止められない…
「オブシディオンに、聞いてみます…」
レオンハルトは、頭を下げた。
「ありがとうございます。それから、私とこの使者の兵も、乗せてもらえますか?地上からでは、王都へ着くまで何日もかかります」
使者の兵が、窓の外を見た。
黒い鱗の見える窓から、思わず一歩離れる。
レオンハルトも唇を結んだ。林を焼いた竜の背へ乗ることが怖い。それでも、今は急ぐ必要があった。
ポルフィラはうなずいた。
レオノーラが使者へ尋ねた。
「東門から十分離れていて、あの竜が下りられる場所はあるかしら?」
「東門の街道の南に、広い草地があります」
「では、そこを目指しましょう。弓兵がいないか、私たちが空から先に確かめるわ」
レオノーラはレオンハルトへ向き直った。
「護衛も、私たちの天馬に一人ずつ乗せましょう。王都へ着いてから、あなたや使者の兵だけで動くことになっては危険だわ」
アドリアンもうなずいた。
「ソレインにも一人乗せられる。騎乗できる者を選んでくれ」
「シルヴァも、一人乗せます」
リゼリアの返事を聞き、レオンハルトは護衛たちを呼んだ。
レオンハルトが選んだのは、普段から身辺の警護を任せてきた三人だった。
いずれも剣と体術に長け、人数で勝る相手から王子を逃がすための訓練を重ねている。三人は王子を守るための、互いの動きを心得ていた。
「王都へ着いたら、私のそばを固めてほしい。東門の兵と会うときも、一人では動かない」
「承知いたしました」
護衛たちは迷わず答えた。
騎乗の難しい負傷者は、ヴィオレスタの館で手当てを続けてもらうことにした。
ポルフィラは、オブシディオンへ話すために庭へ出た。
レオノーラはリュシエンヌへ知らせる使者を呼び、領主たちにも王都の事態を伝える手配をした。
捕らえたフェリクスの兵と王の追撃隊長は、ヴィオレスタ兵の護送で館へ移すことになった。
*
オブシディオンは、近づくポルフィラへ頭を下げた。
彼女は角の根元に右手を置いた。
〈王子殿下から、協力してほしいと頼まれたの。王がノクスで人を襲うのを止めたいって〉
オブシディオンの目が、彼女へ向く。
〈王都の外まで行って、私と待っていてくれる?〉
〈王の弓兵が来れば、焼く。それは変えぬ〉
〈うん。止められないことは、みんなに伝えた〉
ポルフィラは、首を上げて彼の目を見た。
〈一緒に来てくれる?〉
〈おまえが行くなら、私も行く〉
王子と東門の使者も、背に乗せてほしいと頼んだ。
紫の瞳が、後ろにいる二人へ向いた。
使者の兵が、息を詰める。
〈よい。頭を下げる。おまえの後ろに乗せよ〉
ポルフィラは振り返った。
「乗せてくれるそうです。私の後ろへ。彼が頭を低くしてくれます」
レオンハルトは、黒い首へ近づいた。
熱を含む息が頬へかかる。足が止まりそうになったが、踏みとどまった。
「私は乗せてもらう。君は来られるか?」
使者の兵へ尋ねる。
男は青ざめた顔で竜を見上げ、やがてうなずいた。
「……仲間を、助けたいです」
庭の端では、三人の護衛が、それぞれ天馬の騎手の後ろへ乗る支度をしていた。
レオノーラはヴェスペラ、リゼリアはシルヴァ、アドリアンはソレインに、護衛を一人ずつ乗せて飛ぶ。
ポルフィラとレオンハルト、東門から来た兵は、オブシディオンに乗る。
急いで王都へ向かう者は、全員、空から行けることになった。
オブシディオンが体を伏せる。
レオンハルトは、ポルフィラに教えられた角の根元へ手を伸ばした。
手袋越しに伝わる温かさに、また息が詰まる。
それでも、手を離さなかった。




