第215話 殺すなという命令
王都から逃げてきた西門の副長が、レオンハルトの前へ飛び込んだ。
王子へ向けられた剣が、その腹を貫いた。
刺したのは、西門の一隊に紛れていたフェリクスの手先だった。
「殿下を下げろ!」
西門の隊長が叫んだ。
レオンハルトの護衛が、王子を後ろへ引く。
暗殺に失敗した兵は、副長の腹から剣を引き抜いた。
副長が崩れ落ちる。
血に濡れた刃が、再びレオンハルトへ向いた。
「殿下を殺すな!」
王の追撃隊を率いてきた男が、庭へ踏み込んだ。
この追撃隊長は、レオンハルトを捕らえるよう王から命じられていた。ただ、生きたまま連れ戻せと、厳命されていた。
兵がレオンハルトに向かって踏み出すより先に、追撃隊長が剣を振るった。
二つの刃がぶつかる。
「邪魔をするな! 王からの密命だ!」
暗殺を命令された兵が怒鳴った。
追撃隊長は、その剣を押し返した。
「私は王から直接、殿下を殺すなと命じられた!」
邪魔された兵は一歩退き、斬り返す。
刃が追撃隊長の頬をかすめた。
血が流れても、追撃隊長は王子の前から動かなかった。
その背後では、王子の護衛がレオンハルトを詰所の壁際へ退かせていた。
兵はレオンハルトを狙い、追撃隊長の横を抜けようとした。
西門の隊長が、後ろからその腕をつかむ。
体ごと地面へ倒し、剣を持つ手を押さえつけた。
「武器を取りあげろ!」
西門の隊長の声に、ヴィオレスタ兵が駆け寄った。
押さえつけた兵の指から剣を引き離し、両腕を後ろへ縛る。
西門の隊長は、捕らえた部下の顔を見た。
「殿下を守るために来たのでは、なかったのか!」
捕えられた兵は顔を背け、何も答えなかった。
*
レオンハルトは護衛の腕を離れ、刺された西門の副長へ駆け寄った。
すでにヴィオレスタ兵が、腹の傷へ布を押し当てていた。
それでも、血は止まらなかった。
「手当てを! 運ぶものを持ってきてくれ!」
副長の横へ膝をつく。
薄く開いた目が、レオンハルトを捉えた。
「……お怪我は」
「私は、斬られていない。あなたが止めてくれた」
副長が息を吸おうとした。
口が開く。喉が鳴ったが、言葉にはならなかった。
西門の隊長も、部下の手を取った。
「俺の声が聞こえるか。聞こえたら、手を握れ」
かすかに指が動いた。
隊長が、さらに強く握り返す。
ヴィオレスタ兵が担架を運んできた。
体を動かす前に、傷へ当てた布を替えようとする。
その間に、副長の呼吸が止まった。
「おい。目を開けろ」
西門の隊長は呼び続けた。
だが、握った手は、もう握り返してこなかった。
レオンハルトは、血のついた自分の服へ目を落とした。
王都を出てきた兵たちに、まだ何も話していなかった。
自分を頼ってくれたことへの礼も、これからどうするつもりかも。
副長はそれを聞く前に、自分を庇って死んだ。
*
庭の入口では、ヴィオレスタ兵が王の追撃隊長を囲んでいた。
追撃隊長は、剣を地面へ置いた。
「私は殿下を捕らえに来た。だが、殺す命令は受けていない。あの兵を止めたのは、そのためだ」
レオンハルトは顔を上げた。
「この人は、私を庇った。傷の手当てをしてほしい」
ヴィオレスタ兵は、追撃隊長の剣を預かった。
王子を助けた相手ではある。だが、王子や西門の兵を捕らえるために来た王兵でもあった。
武器を持たせたまま、自由に出入りさせることはできない。
追撃隊長は二人のヴィオレスタ兵に見張られながら、頬へ布を当てた。
詰所の外の道には、王の追撃隊の兵たちが残っていた。
庭へ入った自分たちの上官が囲まれたため、近づこうとしている。
追撃隊長が、その部下たちへ叫んだ。
「兵を進めるな! 殿下は生きている! 私はここで事情を話す!」
部下たちの足が止まった。
それでも、王領へ引き返そうとはしなかった。
庭には、王都を離れてきた西門の兵たち。
道には、彼らを捕らえに来た王の追撃隊。
両者の間に、ヴィオレスタ兵が盾を並べている。
リゼリアはシルヴァの背から、道に残る追撃隊を見張っていた。
ここを離れれば、また斬り合いになるかもしれない。
詰所を預かるヴィオレスタ兵に頼み、館へ早馬を出してもらった。
知らせたのは、追撃隊との衝突と、王子が斬られかけたことだった。
*
日が傾き始めた頃、レオノーラがヴェスペラで到着した。
その後ろには、ポルフィラを乗せたオブシディオンがいた。
館へ届いた知らせには、王兵が退かず、戦いが再開する恐れもあると書かれていた。
ポルフィラは、オブシディオンが行けば、それを止められるかもしれないと考えて来たのだ。
オブシディオンは詰所の脇の草地へ着地した。
ポルフィラは、背に乗ったまま庭を見渡す。
王家の印をつけた兵が、庭の中にも、道にもいる。
レオンハルトの服は血で汚れ、その足元に人が倒れていた。
誰が王子を襲ったのか、まだ分からない。
〈庭へは入らないで。王子殿下たちもいる〉
オブシディオンは、道に残っていた王の追撃隊へ顔を向けた。
翼を広げ、詰所へ近づく道を塞ぐ。
〈ここから先へは、通さぬ〉
唸りが響いた。
追撃隊の馬が暴れ、王兵たちが慌てて手綱を引く。
剣を構えようとした者も、竜が牙を見せると、その場から後ずさった。
ヴェスペラから下りたレオノーラは、レオンハルトのそばへ来た。
「あなたの怪我は」
「ありません。西門の副長が、私を庇って……」
声が途切れた。
レオノーラは倒れた副長を見てから、王子の横へ膝をついた。
その後、詰所を預かるヴィオレスタ兵から、短い説明を受けた。
王子を斬ろうとした兵は縛られ、別室へ入れられている。
王の追撃隊長は、その兵を止めたあと、武器を預けて庭に留まっているという。
「王の追撃隊長にも、手当てをお願いします。見張りはつけたままで」
レオノーラが頼むと、ヴィオレスタ兵はうなずいた。
頬を斬られた追撃隊長が、詰所の中へ案内される。
道に残された王兵たちは、竜を前に進めなかった。
やがて一人が馬を返す。
それをきっかけに、王の追撃隊は王領の方へ退き始めた。
オブシディオンは追わなかった。
ポルフィラを乗せたまま、王兵たちが遠ざかるのを睨んでいた。
庭では、亡くなった西門の副長へ布がかけられた。
レオンハルトと西門の隊長は、そのそばから離れなかった。




