第209話 父の前で
リゼリアがヴィオレスタの館に着いた翌朝、門の見張りが駆け込んできた。
「王の一行が、こちらへ向かっています。黒い天馬も一緒です!」
玄関にいたレオンハルトが、立ち上がった。
王からの書状は、すでに届いていた。自分と、助けた三人と、逃亡に従った護衛を引き渡せという命令だった。
リュシエンヌは家臣へ振り向いた。
「商人夫婦と鍛冶職人の兄弟を、奥の部屋へ。怪我をした護衛たちも、玄関から離して」
リゼリアは庭へ走った。
シルヴァが首を上げる。リゼリアが鞍へ上がったとき、門の外に黒い翼が見えた。
ノクスだった。
その背に、王がいる。
王家の近衛が門の前で止まった。
リュシエンヌの兵たちは門を閉じず、入口を守っている。リュシエンヌ自身が、その前へ進み出た。
「陛下。御返答を差し上げるつもりでした」
「息子を出せ」
王は彼女を見下ろした。
レオンハルトは、玄関から庭へ下りた。
「ここにいます」
父の視線が、自分へ向く。
城で叱責を受けたときと同じ目だった。思わず足が止まりそうになり、それでもリュシエンヌの横へ並んだ。
「よくも、私の命令を破って逃げたな」
「三人を殺させたくなかったのです」
「おまえが処刑を止めれば、王命に背いてもよいと民が考える。それが分からぬか」
レオンハルトは、ノクスの大きな蹄を見た。
自分が幼い頃から、父の傍らにいた天馬だ。あの背に乗ることが、いつか王となる者の姿なのだと思っていた。
自分も天馬と繋がれていたら…
「分かっています。それでも、従えませんでした」
王の顔が険しくなった。
「城へ戻れ。話はそこで聞く」
「三人の処刑を取り消してください」
「おまえが条件を出す立場か」
王は近衛隊長へ目を向けた。
「連れてこい。三人と、殿下に従った護衛も捕らえろ」
王家の近衛が、門へ進んだ。
ヴィオレスタ兵が槍を構える。
「お待ちください!」
リュシエンヌが門の中央へ立った。
「この館にいる方々は、私がお迎えしました。兵を入れることはお断りします」
近衛隊長は、王へ振り返った。
王の後方には、街道をついてきた兵がまだ続いていた。
リゼリアはシルヴァを門の内側へ進めた。
灰色の翼が、ゆっくりと開く。
「リュシエンヌ様から、助けを求められて来ました。無理に踏み込むなら、私も止めます」
王の目が彼女へ移った。
「インディルの後継者が、私に逆らうのか」
「人を捕らえるために、この館を襲わないでください」
リゼリアの指が手綱へ食い込んだ。
ノクスと戦うことになれば、目の前の兵を巻き込む。玄関の奥には、ようやく逃げ延びた人々がいる。
シルヴァだけで守れる場所ではなかった。
王は、庭にいる兵たちを見渡した。
「領主の命で王に槍を向ける。それが、どういうことか考えろ」
門を守る若いヴィオレスタ兵が、息を呑んだ。
隣の年長の兵が、槍を持ち直す。
誰も退かなかった。
レオンハルトは門の前へ進んだ。
「私を連れていくために、ここの者を傷つけないでください!」
王は息子を見たまま、ノクスを門の兵へ向けた。
黒い天馬が、門へ近づく。
「退け」
声とともに、黒い翼が大きく持ち上がった。
リゼリアは、シルヴァの腹へ踵を押し当てた。
「皆を守って!」
シルヴァが門と王子の間へ跳び出す。
ノクスの翼が振り下ろされた。
空気がうなり、門の扉が弾け飛び壁へ叩きつけられた。
ヴィオレスタ兵の槍が手を離れる。
リゼリアは手綱を引き、シルヴァを横向きにした。広げた翼で王子とリュシエンヌを覆う。
だが、門の反対側にいた兵までは届かなかった。
年長のヴィオレスタ兵が吹き飛ばされた。
石柱へ背中を打ちつけ、足元に崩れる。
兜が外れ、石畳を転がった。
「中へ下がれ!」
レオンハルトはリュシエンヌの腕を引き、玄関へ向かう。
近衛兵が門から入ろうとしたが、ノクスの起こした風で倒れた兵や、外れかけた扉が邪魔になっていた。
リュシエンヌが、レオンハルトの手を振りほどいた。
「兵が!」
石柱の下へ駆ける。
倒れた兵の口から血が流れていた。胸が、一度、大きく動いた。
リュシエンヌはその肩へ触れた。
「すぐに手当てを。誰か、運ぶものを!」
男の目が、彼女へ向いた。
声を出そうと唇が開く。
だが、息は続かなかった。
「……待って」
肩を揺すりかけ、できずに手を止める。
朝、門の見張りを任せたとき、男はいつもどおり頭を下げた。
その顔が、目の前で動かなくなっていた。
リゼリアはシルヴァを門の方へ向けた。
手綱を握る両手が震えている。
王家の近衛隊長も、石柱の下を見ていた。
それでも王の命令は取り消されていない。
男は剣を抜きかけ、また止めた。
そのとき、庭を大きな影が横切った。
シルヴァが頭を上げる。
門の外で、ノクスが急に後ずさった。
空から、重い羽音が近づいていた。




