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オブシディオン  作者: 空飛ぶワイン
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206/282

第206話 王の命令

「殿下の護衛が、王兵に剣を向けたと?」

フェリクスは、王の前に出された報告を見た。


処刑を取り仕切っていた役人が答える。

「まだ抜いてはおりません。ですが柄に手をかけ、殿下をお止めしようとした兵を威圧いたしました」


王は、役人に下がるよう命じた。

扉が閉まっても、しばらく何も言わなかった。


フェリクスは、その沈黙を待った。

王都へ集まったアウレリスの領民が帰り始めてから、王に呼ばれるたび、何を申し開けばよいか考えていた。

今日は違う。失態を犯したのは、自分ではない。

「殿下は、領主たちとの交渉から戻られて、何かお変わりになったのでしょうか?」


王の目が動いた。


フェリクスは、言葉を選びながら続けた。

「兄たちは、竜の民を自由にしろと求めております。殿下がその考えをお受け入れになったのなら……」


「通じていると言いたいのか?」


「そこまでは。ただ、民の前で陛下の命令を取り消されたとなれば、反逆者たちは喜びましょう」


王は椅子から立った。

「近衛隊長を呼べ」


扉の脇にいた家臣が、急いで出ていく。

フェリクスは頭を下げたまま、王の次の言葉を待った。


「レオンハルトから兵の指揮権を取り上げる。城の部屋へ連れ戻し、見張りをつけろ。あの三人は牢へ戻せ。処刑は明朝に行う」


「殿下がお拒みになった場合は?」


「武器を取り上げ、拘束してでも連れてこい」


フェリクスは、胸の奥で膨らむ喜びを押し殺した。

兄が頼る領主たちと、王家の後継者。その二つを疑いで結びつけたのは、自分だった。


*


城の南側にある王太子の警護詰所では、商人の妻が夫の手首に布を巻いていた。

鍛冶職人の兄弟は、壁際の長椅子に座っている。弟の方は渡された水を飲もうとして、歯を器に当てた。


レオンハルトは、その音に顔を上げた。

縄を解かれてからも、震えが止まらないのだ。


「手当てをする者は、まだか」

戸口にいる自分の護衛へ尋ねたとき、外で馬の足音が重なった。


護衛隊長が窓へ寄る。

「城の近衛です」


レオンハルトも外を見た。

詰所の前で馬を下りた近衛隊長は、普段、父の身辺を守っている男だった。連れてきた兵が戸口と通りに分かれる。

手当てを頼んだ者の姿はなかった。

レオンハルトは、詰所の外へ出た。


近衛隊長が、王の書状を差し出す。

「殿下の指揮権を停止し、城へお戻りいただくよう命じられました。お預かりの三人は、我々が牢へ移します」


「父上は、三人をどうするつもりだ?」


「明朝、刑を執行いたします」


レオンハルトは書状を持ったまま、戸口を振り返った。

商人の妻と目が合う。

女は夫の手首を包んでいた布を握り、黙ってこちらを見ていた。

自分が城へ戻れば、今度こそ三人は死ぬ。

そのことを父は承知で、命じている。

「刑をやめるまで、引き渡さない」


「殿下にも、拘束を命じられております。どうか、そのようなことをさせないでください」

近衛隊長は声を低くした。

「今なら、ご自身でお戻りになれます」


レオンハルトの護衛隊長が、一歩前へ出た。

「殿下。中へ」


近衛の兵が、その腕をつかもうとした。


王太子の護衛隊長は腕を振り払い、戸口に立った。

「三人を連れていく気なら、通せない」


「おまえたちも命令違反になるぞ!」

近衛隊長の叱責に、詰所を守る若い護衛が身をすくめた。


レオンハルトは、その顔を見た。広場で商人の縄を切った兵だった。

「私に従えば、罰を受けるかもしれない。ここを離れたい者は、離れてくれ」


若い護衛は唇を噛んだ。

剣を握ることもできず、腰の辺りで手を開いている。

「殿下は、どうなさるのですか?」


「三人を連れて、ここを出る」

レオンハルトは詰所の中へ戻った。

自分は王命に逆らって逃げるのだと、そこで初めて自覚した。


*


王太子の護衛隊長が、裏庭へ通じる扉を開けた。

城の使いが来る馬と、護衛の馬が繫いである。

「南門へ向かいましょう。閉じられたら、王都から出られなくなります」


商人の妻が夫を支え、庭へ出てきた。

鍛冶職人の兄は、動けない弟の前に屈んでいる。

「立て。今、行かないと」


弟の足が床を擦った。


レオンハルトは引き返し、二人の横へ膝をついた。

「馬まで、肩を貸す」


弟は差し出された腕を見た。

兄が先にその腕を取り、弟の体を支え直した。


表の扉を叩く音がした。

「殿下! お開けください!」


三人で庭へ出ると、若い護衛が馬の手綱を持って待っていた。

レオンハルトが顔を見る前に、彼は言った。

「私も、お供します」


その背後で、詰所の中から木の裂ける音が響いた。

表の扉が破られたのだ。


「早く!」

護衛隊長が商人を鞍へ押し上げる。妻は、その後ろへ乗った。

鍛冶職人の兄を別の護衛の後ろに乗せ、レオンハルトは自分の馬へ弟を先に上げた。自らも乗り、前に座る体を腕で支える。

庭へ近衛の兵が飛び込んできた。


護衛隊長は馬に飛び乗り、庭の門を指した。

「殿下、先へ!」


レオンハルトが馬腹を蹴った。

庭の門を抜ける。背後で、鋼の打ち合う音がした。

振り向くと、近衛兵の剣を受けた若い護衛がよろめいていた。左腕から血が落ちる。

近衛兵が再び踏み込む。その肩へ護衛隊長が馬を寄せ、押し退けた。

「乗れ!」


若い護衛が、鞍へしがみついた。

隊長に助けられて体を引き上げる間にも、通りから別の近衛兵が駆けてくる。

レオンハルトは手綱を引きかけた。


だが、前に座る鍛冶職人が、ひどくかすれた声を上げた。

「…戻らないで…下さい…」


自分だけが助かるために逃げているのではない。

引き返せば、この男も捕まる。

レオンハルトは馬を走らせた。

蹄が石畳を叩く。通りにいた人々が、悲鳴を上げて道を空けた。


*


南門の兵は、近づく一団を見て槍を構えた。

先頭の男が王子だと気づくと、穂先が下がる。

「門を通すよう、誰が許可を――」


「私だ。道を開けろ!」

門を守る兵の隊長が、レオンハルトへ駆け寄った。


城からの命令は、まだ届いていない。それでも、王子の後ろにいる血まみれの護衛を見れば、何かが起きたと分かったはずだった。


背後から、怒鳴り声が追ってきた。

「その者たちを止めろ! 陛下の命令だ!」

近衛の兵が、通りを駆けてくる。


門の隊長がそちらを見た。レオンハルトは、手綱を握る指に力を込めた。

「ここで私を捕らえるのか?」


返事はなかった。

隊長の横で、若い門兵が槍を持ち上げかけた。


「下げろ」

隊長の声だった。


門の片側へ退き、王子の馬へ道を空ける。

レオンハルトは、隊長の顔を見た。

何か言おうとしたが、男は首を振った。

「お急ぎください」


馬を進めると、商人夫婦と護衛たちが続いた。

最後に護衛隊長が門を抜ける。傷を負った若い護衛も、馬上にいた。

王都の外へ出ても、レオンハルトは速度を緩めなかった。

前に座る鍛冶職人が、鞍へしがみついている。土の道が跳ねるたび、その肩が震えた。


街道の分かれ道で、護衛隊長が横へ並んだ。

「どちらへ向かいますか?」


北も、東も、王と戦った領主たちの土地へ通じている。

父は、そこへ逃げれば反逆の証しだと言うだろう。

だが王領に留まれば、隠れる場所も長くはもたない。

レオンハルトは、西南へ延びる道を見た。

つい先日、自分を迎えた館がある。

王の兵に傷つけられた領民を守り、逃げてきた家族は返さないと言った女がいた。


「…ヴィオレスタへ」

声に出してからも、迎えてもらえる確信はなかった。

王太子を匿えば、リュシエンヌまで父の敵とされるかもしれない。

それでも、今は三人を連れていける場所を求めるしかなかった。

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