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オブシディオン  作者: 空飛ぶワイン
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205/282

第205話 刃の前に立つ

処刑を命じる書面には、王の印が押されていた。


レオンハルトは、執務室の机に広げられた紙を見下ろした。

天馬の民の商人が一人。竜の民の鍛冶職人が二人。

処刑は今日の昼、王都の東広場で行われる。


「この商人は、軍へ道具を納めていた者です」

報告を持ってきた王家の家臣が言った。

「徴収に抗議し、ほかの商人にも従わないよう働きかけた罪です。それから、逃亡しようとした竜の民を荷倉に隠しておりました」


レオンハルトは、残る二人の記録へ目を移した。

兄弟だった。徴用先の鍛冶場を抜け出し、以前から取引のあった商人を頼ったという。

王領を出る前に捕らえられている。

誰かを襲ったという記録は、なかった。

「まだ、処刑を止められるか?」


「すでに広場へ移す支度が始まっています」


レオンハルトは書面を取った。

家臣の返事を最後まで聞かず、父の部屋へ向かった。


*


「認めん」

王は、書面を戻すより先に言った。


レオンハルトは机の前から動かなかった。

「商人には、訴えを聞く機会を。鍛冶職人たちは、働かせ方を調べてからでも遅くありません」


「今ここで罰を緩めれば、ほかの者も逃げる」


「三人を殺しても、逃げたい者がいなくなるわけではありません」


王の目が細くなった。


レオンハルトは、喉の奥が乾くのを感じた。

「竜の民を隠した者まで許せと言うのか。王が命じた仕事から逃げ、商人がそれを助ける。放置すれば、王都のどこでも同じことが起こる」


王は、机へ置かれた書面を指で押し戻した。

「処刑は予定どおりだ。おまえも見てこい」


レオンハルトは父を見た。

止められなかった。

それでも、ここを出て、自分の部屋へ戻れば済む。

命令を下したのは父だ。そう言って、三人が死ぬ知らせを待つこともできた。

「……承知しました」

自分の口から出た返事が、ひどく遠く聞こえた。


*


東広場では、兵が人垣を押し下げていた。

店先の戸は閉じられ、通り抜けようとした荷車も脇へ寄せられている。


レオンハルトは馬を下りた。

供の護衛隊長が、低い声で尋ねた。

「前へ進まれますか?」


「…ああ」


広場の中央に、三人が膝をついていた。

商人の男には見覚えがあった。以前、軍へ納める品の確認で城へ呼ばれたとき、数量を書いた帳面を持って立っていた男だ。

今は後ろ手に縛られ、頬に腫れがあった。

隣の鍛冶職人たちは、茶緑の髪に土をつけていた。

若い方の膝が、絶えず震えている。隣の兄が何か話しかけていたが、離れた場所にいるレオンハルトには聞こえなかった。


「王子殿下がお見えだ」


処刑を取り仕切る王家の役人が振り返り、頭を下げた。

兵たちが道を空ける。

レオンハルトは、人垣の最前列へ進んだ。


広場の向こうで、女の叫ぶ声がした。

「せめて、話をさせてください!」


兵に止められた女が、商人へ手を伸ばしている。

男が顔を上げかけると、背後の兵が肩を押さえた。

「動くな」

商人は、また俯いた。


レオンハルトは役人へ尋ねた。

「あの女は」


「商人の妻です。近づけないようにしております」

役人は、何事もなかったように書面を開いた。

罪を読み上げる声が広場に響く。途中で商人が口を開いたが、兵の怒鳴り声にかき消された。


大きな剣を持つ処刑人が、商人の後ろへ立った。


レオンハルトは歩き出した。


「殿下?」

役人の前を通り過ぎる。


商人が引き起こされ、処刑台へ首を押しつけられた。縄が肩に食い込み、男の息が漏れる。


「待て」


処刑人が王子を見た。

剣を持つ腕は、まだ下がっていた。


レオンハルトは商人の脇へ立った。

「三人を、私が預かる。縄を解け」


役人が駆け寄ってきた。

「陛下の御命令による処刑です。中止には、陛下の許しが必要です」


「許しは得ていない」

口にした途端、広場が静まった。


役人は声を落とした。

「では、お退きください。殿下に御覧いただくよう命じられております」


「見た。もう十分だ」

レオンハルトは商人の肩を起こそうとした。

押さえていた兵の手に力がこもる。

「離せ」


兵は王子を見た。その目が、役人へ移る。

役人は首を振った。


広場のどこかで、子供が泣き始めた。

処刑人の剣が、陽を受けて光った。


レオンハルトは立ち上がり、商人と処刑人の間へ入った。

「続けるなら、私を退かせてからにしろ」


護衛隊長が息を呑んだ。

王子が父の命令を知らないのではない。知っていて、刃の前に立っている。


役人が、広場を囲む王兵へ叫んだ。

「殿下をお下がらせしろ!」


二人の兵が進みかけた。

レオンハルトの護衛隊長が、その前へ出た。剣は抜かなかった。ただ、手を柄に置いた。

「殿下に触れるな」


兵たちが止まった。

同じ王家の印をつけた者同士が、睨み合っている。


レオンハルトは、供の護衛へ命じた。

「三人の縄を解け。私の警護詰所へ連れていく。そこで手当てをさせる」


若い護衛の顔から、血の気が引いた。

それでも彼は商人の後ろへ膝をつき、短剣で縄を切った。


*


商人は、手首を解かれても立てなかった。

護衛に支えられ、二歩進んだところで膝を折る。


「……妻を」

かすれた声だった。


レオンハルトは、人垣の前で兵に止められている女を指した。

「あの人を通せ」


女が駆けてきた。

夫の顔へ触れ、息をしているのを確かめるように、何度も名前を呼んだ。


鍛冶職人の弟は、解けた縄を見つめていた。

兄が肩を抱いても、体の震えが止まらない。

レオンハルトが近づくと、弟は両腕で頭を覆った。

足が止まった。


助けたのだと言っても、この男は恐怖の余り混乱している。首を斬られるところだったのだから…

レオンハルトは、少し離れた場所から言った。

「今は殺させない。二人とも、一緒に来てほしい」


兄の方が、恐る恐る顔を上げた。

「帰して、もらえるのですか?」


答えかけて、レオンハルトは口を閉じた。

父は逃げた二人を殺せと命じた。ここから家へ送り返せば、また捕らえられるかもしれない。

「まず、私の護衛と一緒に来てくれ。今夜休める場所を用意する」


兄は弟の耳元で、同じ言葉を繰り返した。

ようやく弟が立つ。護衛たちは二人を囲み、商人夫婦の後ろへ続いた。


役人が、レオンハルトの前へ出た。

「陛下へ、ご報告いたします」

その声には、もう取りなす響きはなかった。


「処刑を止めたのは私だと、伝えろ」

レオンハルトは言い、三人のあとを追った。


背後で、役人が兵を呼ぶ声がした。

「城へ走れ。殿下が陛下の命令に背いたと、お伝えしろ」


レオンハルトは歩みを止めなかった。

護衛の肩を借りて進む商人の横へ並び、その遅い足取りに合わせた。


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