第205話 刃の前に立つ
処刑を命じる書面には、王の印が押されていた。
レオンハルトは、執務室の机に広げられた紙を見下ろした。
天馬の民の商人が一人。竜の民の鍛冶職人が二人。
処刑は今日の昼、王都の東広場で行われる。
「この商人は、軍へ道具を納めていた者です」
報告を持ってきた王家の家臣が言った。
「徴収に抗議し、ほかの商人にも従わないよう働きかけた罪です。それから、逃亡しようとした竜の民を荷倉に隠しておりました」
レオンハルトは、残る二人の記録へ目を移した。
兄弟だった。徴用先の鍛冶場を抜け出し、以前から取引のあった商人を頼ったという。
王領を出る前に捕らえられている。
誰かを襲ったという記録は、なかった。
「まだ、処刑を止められるか?」
「すでに広場へ移す支度が始まっています」
レオンハルトは書面を取った。
家臣の返事を最後まで聞かず、父の部屋へ向かった。
*
「認めん」
王は、書面を戻すより先に言った。
レオンハルトは机の前から動かなかった。
「商人には、訴えを聞く機会を。鍛冶職人たちは、働かせ方を調べてからでも遅くありません」
「今ここで罰を緩めれば、ほかの者も逃げる」
「三人を殺しても、逃げたい者がいなくなるわけではありません」
王の目が細くなった。
レオンハルトは、喉の奥が乾くのを感じた。
「竜の民を隠した者まで許せと言うのか。王が命じた仕事から逃げ、商人がそれを助ける。放置すれば、王都のどこでも同じことが起こる」
王は、机へ置かれた書面を指で押し戻した。
「処刑は予定どおりだ。おまえも見てこい」
レオンハルトは父を見た。
止められなかった。
それでも、ここを出て、自分の部屋へ戻れば済む。
命令を下したのは父だ。そう言って、三人が死ぬ知らせを待つこともできた。
「……承知しました」
自分の口から出た返事が、ひどく遠く聞こえた。
*
東広場では、兵が人垣を押し下げていた。
店先の戸は閉じられ、通り抜けようとした荷車も脇へ寄せられている。
レオンハルトは馬を下りた。
供の護衛隊長が、低い声で尋ねた。
「前へ進まれますか?」
「…ああ」
広場の中央に、三人が膝をついていた。
商人の男には見覚えがあった。以前、軍へ納める品の確認で城へ呼ばれたとき、数量を書いた帳面を持って立っていた男だ。
今は後ろ手に縛られ、頬に腫れがあった。
隣の鍛冶職人たちは、茶緑の髪に土をつけていた。
若い方の膝が、絶えず震えている。隣の兄が何か話しかけていたが、離れた場所にいるレオンハルトには聞こえなかった。
「王子殿下がお見えだ」
処刑を取り仕切る王家の役人が振り返り、頭を下げた。
兵たちが道を空ける。
レオンハルトは、人垣の最前列へ進んだ。
広場の向こうで、女の叫ぶ声がした。
「せめて、話をさせてください!」
兵に止められた女が、商人へ手を伸ばしている。
男が顔を上げかけると、背後の兵が肩を押さえた。
「動くな」
商人は、また俯いた。
レオンハルトは役人へ尋ねた。
「あの女は」
「商人の妻です。近づけないようにしております」
役人は、何事もなかったように書面を開いた。
罪を読み上げる声が広場に響く。途中で商人が口を開いたが、兵の怒鳴り声にかき消された。
大きな剣を持つ処刑人が、商人の後ろへ立った。
レオンハルトは歩き出した。
「殿下?」
役人の前を通り過ぎる。
商人が引き起こされ、処刑台へ首を押しつけられた。縄が肩に食い込み、男の息が漏れる。
「待て」
処刑人が王子を見た。
剣を持つ腕は、まだ下がっていた。
レオンハルトは商人の脇へ立った。
「三人を、私が預かる。縄を解け」
役人が駆け寄ってきた。
「陛下の御命令による処刑です。中止には、陛下の許しが必要です」
「許しは得ていない」
口にした途端、広場が静まった。
役人は声を落とした。
「では、お退きください。殿下に御覧いただくよう命じられております」
「見た。もう十分だ」
レオンハルトは商人の肩を起こそうとした。
押さえていた兵の手に力がこもる。
「離せ」
兵は王子を見た。その目が、役人へ移る。
役人は首を振った。
広場のどこかで、子供が泣き始めた。
処刑人の剣が、陽を受けて光った。
レオンハルトは立ち上がり、商人と処刑人の間へ入った。
「続けるなら、私を退かせてからにしろ」
護衛隊長が息を呑んだ。
王子が父の命令を知らないのではない。知っていて、刃の前に立っている。
役人が、広場を囲む王兵へ叫んだ。
「殿下をお下がらせしろ!」
二人の兵が進みかけた。
レオンハルトの護衛隊長が、その前へ出た。剣は抜かなかった。ただ、手を柄に置いた。
「殿下に触れるな」
兵たちが止まった。
同じ王家の印をつけた者同士が、睨み合っている。
レオンハルトは、供の護衛へ命じた。
「三人の縄を解け。私の警護詰所へ連れていく。そこで手当てをさせる」
若い護衛の顔から、血の気が引いた。
それでも彼は商人の後ろへ膝をつき、短剣で縄を切った。
*
商人は、手首を解かれても立てなかった。
護衛に支えられ、二歩進んだところで膝を折る。
「……妻を」
かすれた声だった。
レオンハルトは、人垣の前で兵に止められている女を指した。
「あの人を通せ」
女が駆けてきた。
夫の顔へ触れ、息をしているのを確かめるように、何度も名前を呼んだ。
鍛冶職人の弟は、解けた縄を見つめていた。
兄が肩を抱いても、体の震えが止まらない。
レオンハルトが近づくと、弟は両腕で頭を覆った。
足が止まった。
助けたのだと言っても、この男は恐怖の余り混乱している。首を斬られるところだったのだから…
レオンハルトは、少し離れた場所から言った。
「今は殺させない。二人とも、一緒に来てほしい」
兄の方が、恐る恐る顔を上げた。
「帰して、もらえるのですか?」
答えかけて、レオンハルトは口を閉じた。
父は逃げた二人を殺せと命じた。ここから家へ送り返せば、また捕らえられるかもしれない。
「まず、私の護衛と一緒に来てくれ。今夜休める場所を用意する」
兄は弟の耳元で、同じ言葉を繰り返した。
ようやく弟が立つ。護衛たちは二人を囲み、商人夫婦の後ろへ続いた。
役人が、レオンハルトの前へ出た。
「陛下へ、ご報告いたします」
その声には、もう取りなす響きはなかった。
「処刑を止めたのは私だと、伝えろ」
レオンハルトは言い、三人のあとを追った。
背後で、役人が兵を呼ぶ声がした。
「城へ走れ。殿下が陛下の命令に背いたと、お伝えしろ」
レオンハルトは歩みを止めなかった。
護衛の肩を借りて進む商人の横へ並び、その遅い足取りに合わせた。




