第204話 約束できないこと
王都へ戻ったレオンハルトは、父の前に停戦の文書を差し出した。
王は署名を確かめると、その脇にあるポルフィラの文を手に取った。
「娘は来ぬ。竜を止める約束もせぬ。それでも、こちらに兵を止めろと?」
「相手の軍も止まります。今は、負傷兵を戻し、失った食料や武器を補う時間が必要です」
王の机には、各倉から届いた報告が積まれていた。
戦場へ送った物資は、ほとんど戻っていない。失った兵の数も、まだ確定していなかった。
王はポルフィラの文を置いた。
「竜の民を自由にしろという要求は、認めん」
「それでは、二十日後にまた戦いになるかもしれません」
口にしてから、レオンハルトは息を詰めた。
王が、息子をまっすぐ見た。
「竜を恐れて、国の決まりを捨てろと言うのか」
「恐れているのは、竜だけではありません。向こうの領民も、王家の天馬に襲われることを恐れています」
王の指が、机を叩いた。
「私が民を脅していると?」
「戦いが始まれば、そう受け取る者はいます」
それ以上は言えなかった。
ヴィオレスタで傷を負った兵のことも、家へ帰されるのを恐れる家族のことも、報告には記してある。
父が読むのを待つしかなかった。
王は息子を下がらせ、家臣に物資の報告を持ってくるよう命じた。
レオンハルトが扉を出るときも、ポルフィラの文は机の端に置かれたままだった。
*
停戦の命令が前線へ届くと、アズレインの川沿いでは、負傷した捕虜の引き渡しが始まった。
王軍に捕らえられていたアズレイン兵が、担架でこちらの岸へ運ばれてくる。
迎えの兵が駆け寄り、途中で足を止めた。
「……脚は」
毛布の膨らみは、右の膝から下で途切れていた。
担架の兵は、迎えに来た仲間を見た。
「帰れたんだな…」
迎えの兵は返事をしようとして、口を閉じた。担架の脇へ回り、運び手と一緒に歩き始める。
反対の道では、アズレインで手当てを受けた王兵が荷車に乗せられていた。
包帯を巻いた男が、こちらの兵へ何度も頭を下げる。
見送ったあと、顔を背ける者もいた。
互いの荷車が離れてから、川辺にいた兵が小さく漏らした。
「あいつらは帰るんだな…」
隣の兵には、その先を聞く必要がなかった。
帰還した王兵と、同じ隊にいた黒焦げの仲間の遺体は、まだ家族へ帰せていなかった。
*
引き渡しの報告は、療養中のポルフィラにも伝えられた。
話し合いから戻ったリゼリアが、寝台の横に座っていた。
「今日は六人、アズレイン側へ戻れたそうよ。すぐに家へ帰せる状態ではないけれど、家族には知らせを出したって」
ポルフィラは、左腕の添え木へ目を落とした。
自分は、また腕を動かせるようになると言われている。竜にも乗れると。
戻った兵の中には、脚を失った人がいるという。
「自由に暮らすことは、認められなかったんだね…」
「王子には、決める権限がなかったの。王の返事を待つことになった」
窓の外で、オブシディオンの翼が動いた。
その大きな影が差すと、ポルフィラの心は癒された。
二十日で傷が治るだろうか?
治ったら、また一緒に戦場へ行くのか?
リゼリアには尋ねられなかった。彼女もシルヴァに乗って戦い、兵を殺した。その彼女が、今は戻ってきた負傷兵の人数を数えている。
「私も、早く起きられるようになりたい」
そう言うと、リゼリアはすぐには励まさなかった。
しばらくして、寝台の脇へ寄せてあった椅子を引いた。
「医師を呼ぶわ。今日は、ここまで移れるか聞いてみましょう」
ポルフィラはうなずいた。
戦場へ戻る日を考えるより先に、まず寝台から下りなければならない。
右手を寝具につく。体を起こしかけた途端、脇腹が痛んだ。
思わず息を止めると、リゼリアが背を支えた。
「先生が来るまで待って」
「……うん」
窓辺から、低い喉の音がした。
ポルフィラは黒い首を見上げ、痛みが引くまで、ゆっくりと息を吐いた。




