第200話 帰ってきた使者
「娘は、生きているのか?」
使者が差し出した返書を、王はまだ開かなかった。
先にその目を見る。
使者は膝をついたまま答えた。
「意識が戻り、話せる状態だそうです。ロデリク様が直接お話しになっています」
「おまえは会ったのか?」
「面会は断られました。まだ重傷で、療養を妨げたくないと」
王の指が封を破った。
そばに立つレオンハルトにも、紙を引き出す音が聞こえた。
「竜は?」
「川を旋回するのはやめ、娘のそばにいるとのことです」
レオンハルトは息を吐きかけた。
だが、使者は顔を伏せたままだった。
「ただし、次に王軍の弓兵を見たら皆殺しにする、と告げているそうです。娘が反対しても、考えは変えないと」
王の手が止まった。
「…射かける前に、か?」
「はい。弓を持つ王兵を見つければ、待たずに殺すと」
机の脇にいたフェリクスが、半歩前へ出た。
「それこそ、竜を討たねばならぬ理由ではありませんか?」
レオンハルトは使者へ尋ねた。
「護衛が持っていた弓は、どうした?」
「領境で預け、帰路に受け取りました。竜のいる町へは、近づいておりません」
使者が顔を上げた。
目の下が窪んでいる。道中、眠れなかったのだろう。
「ロデリク様から、王がまた兵を送るつもりなのか、確かめてほしいと。戦いを止める話し合いには応じる、との返答です」
王は文へ目を戻した。
読み進めた眉が、次第に寄っていく。
「竜の民を、元の扱いへは戻さぬとある」
返書が机へ置かれた。
「竜を使って兵を焼き、今度は国の決まりまで変えろと言うのか?」
使者は答えずに頭を下げた。
レオンハルトは机の紙を見た。
娘を射てば竜も倒れるかもしれない。そのために選んだ兵が、全員死んだ。
娘は生き、竜も生きている…
「父上。まず、使者を休ませてください」
王は片手で退出を命じた。
使者が立つと、片膝がうまく伸びず、供の家臣が腕を支えた。
*
入れ替わりに、王家の物資を管理する家臣が入った。
胸に抱えた記録を見て、王が椅子へ背を預ける。
「今度は何が足りん?」
「負傷兵の食事と、手当ての布です。すでに取り決めた分を倉から出しておりますが、集まってきた者の分まで回せません」
レオンハルトは、窓辺に積まれた支払いの書類を見た。
商人から繰り返し届く催促だった。
「新たな兵を集めるのは、いったん止めるべきです」
「帰すのか?反逆した領主たちに対抗しようと来た者たちを」
王が息子を睨んだ。
フェリクスも、その言葉へうなずく。
「我が領から来た者にも、行き場がありません。兄に従いたくないから、ここまで来たのです」
物資の家臣が口を開きかけ、黙った。
王に促され、ようやく続ける。
「行き場を用意しても、食べ物がなければ……。前線へ送った麦も、干し肉も戻りません。荷車と馬を失い、倉に残る荷さえ、運ぶ手配が遅れています」
王は机の端へ手をついた。
「村々から、もっと出させろ。鍛冶場も止めるな」
「すでに増やした分を、待っているところです」
「期限を縮める。作れる者は、手を休めずに作らせよ」
家臣が頭を下げた。
レオンハルトは父の前へ出た。
「畑に残った者から、さらに食べ物を取り上げれば、その者たちが働けなくなります」
「王都の者を食わせるためだ。あれらはそれが仕事だ」
「そのためにも、戦いを止める必要があります」
王の顔が上がった。
レオンハルトは声を落とす。
「倉の物を、次の出兵へは使えません。武器を失った兵を、すぐに揃え直すこともできません。今なら、向こうも話すと言っています」
「何を譲る?」
父の問いに、レオンハルトはすぐには答えなかった。
「まず、兵を出さない期間を決める。負傷者と捕虜についても話せます」
「竜の民の自由は?」
「それを認める返事をして欲しいと、今、申し上げているのではありません」
王は返書へ目を落とした。
レオンハルトは待った。
外の廊下を、荷を抱えた者が走っていく。
「誰を行かせる?」
レオンハルトは父を見た。
「私が参ります」
フェリクスが顔を上げた。
王も息子を見つめる。
「向こうへ行き、何を約束するつもりだ?」
「兵を動かさない期間と、負傷者の扱いについて。その範囲を、ここで決めていただきたいのです」
「竜の民の扱いを、おまえの判断で変えることは許さん」
「……分かっています」
返事をしても、父の目は厳しいままだった。
「会う場所と護衛を決める。竜を会場へ入れさせるな」
「先方と、取り決めます」
机の脇で、フェリクスが手を握りしめた。
*
夕刻、王都へ来たアウレリス領出身者の宿へ、フェリクスの家臣が入った。
狭い食事場で、天馬の民の男たちが顔を上げる。
「明日、フェリクス様がお会いになる。領地を離れてきた者は、集まってほしい」
奥で、染物職人の男が匙を置いた。
王軍へ加わるつもりで来たが、まだ名を登録していない。
手元の金は、思ったより早く減っていた。
「やめて帰れるかも、聞けるのか?」
「帰るつもりなのか?」
家臣に見られ、職人は目を伏せかけた。
だが、妻から届いた文が懐にあった。仕事が回らない。戻れるなら、戻ってほしいと。
「家に、妻がいるんだ…」
「そのことも、明日申し上げるといい」
家臣が去ると、隣の男が身を寄せた。
「今さら、アドリアンの所へ帰れるのか?」
職人は答えなかった。
匙を持ち直しても、冷めた食事を口へ運ぶ気になれなかった。




