第199話 持ち帰る言葉
王の使者が砦の裏手へ着くと、負傷した兵を乗せた担架が道を横切った。
運んでいるのは、アズレインの兵二人だった。
使者は馬を止め、担架が通るのを待った。
その一人が、使者の胸元にある王家の印に気づく。
「……王の使いか」
低い声だった。
担架の上では、男が胸へ巻かれた布を押さえている。息をするたびに顔が歪んだ。
王の使者には、声を掛けられなかった。
案内の兵に促されて馬を下りても、あの負傷兵の呻きが耳に残っていた。
*
詰所では、ロデリクとアドリアンが待っていた。
川上の戦いに加わったアドリアンは、ロデリクの隣に座っている。
使者が王の書状を差し出すと、ロデリクの家臣が封を確かめた。
ロデリクは書状を読み、机へ置いてから使者へ向き直った。
「ポルフィラは生きている。意識も戻り、話せるようになった」
使者は深く息を吐いた。
「では、竜も彼女の言葉を聞き、王兵を襲うのをやめたのですね?」
「川を旋回するのはやめた。今は、彼女が手当てを受けている町にいる」
「王領へ攻めてくる心配は、ないのでしょうか?」
ロデリクは返事の前に、一度アドリアンを見た。
アドリアンも黙って使者を見ている。
「王領を襲うとは聞いていない。だが、竜を必ず止めるという約束はできん」
使者の顔が強張った。
「ポルフィラに、王軍への攻撃をやめるよう伝えていただけませんか?」
ロデリクは椅子から少し身を乗り出した。
「彼女も、竜に頼めば何でも聞いてもらえるわけではない。竜は、次に王軍の弓兵を見つけたら皆殺しにすると告げている」
使者は、手にした筆を下ろした。
「……竜へ矢を放った兵を、ということですか?」
「弓を持っている王兵だ。射るまで待たないと言っている」
「……ポルフィラが止めても、ですか?」
「ああ。彼女が反対しても、その考えは変えぬそうだ」
使者はしばらく黙り込んだ。
領境で、護衛に弓を預けさせた兵の声を思い出す。
脅しではなかったのだ……
アドリアンが使者へ声を掛けた。
「護衛の弓を預けてもらったのは、あなた方が襲われるのを防ぐためだ。帰りも、竜のいる町を避けて案内する」
使者はかすれた声で礼を言い、紙へ書きつけた。
竜が、娘の目覚めとともに従順になったわけではない。
そのことを、王へ伝えなければならなかった。
*
「ポルフィラに直接会い、意識が戻ったことを私の目で確かめさせていただけませんか?」
使者の申し出に、ロデリクは首を振った。
「まだ重傷で、寝台から起きられない」
「私が療養している建物へ伺います。顔を拝見し、言葉を交わせれば、それで……」
「それも認められない」
使者が顔を上げた。
ロデリクは言葉を続けた。
「王兵に射られたばかりだ。王の使者が来ると聞くだけでも怖がる。今は傷を治すことに専念させたい」
「しかし、陛下へ確かな報告をするためには……」
「私が彼女と話した。生きていて、意識も戻っている。そのことは、私の署名と封を付けた返書に記す」
ロデリクは使者を見たまま、返事を待った。
使者は一度唇を結び、やがて頭を下げる。
「承知しました。その返書を、陛下へお届けします」
ロデリクは家臣へ返書の支度を頼んだ。
それから、使者へもう一度向き直る。
「今度はこちらから尋ねたい。王は、また私たちの領地へ兵を送るつもりなのか?ポルフィラも、それを知りたいと言っていた」
使者は背筋を伸ばした。
「私が返答を持ち帰るまでは、新たな出兵はしないと仰せでした」
「おまえが帰ったあとのことは、決まっていないのか?」
「……はい。陛下がお決めになります。私には、その後も兵を出さないと約束する権限はありません」
ロデリクは机の上の王の書状を見た。
今回求められているのは、娘の生死と竜の動向の報告だった。
戦いをやめるという約束は、書かれていない。
「ならば、兵を送らず、話し合いの使者を寄越してほしいと伝えてくれ。戦いを続けるつもりなのか、やめるために話すつもりなのか、まず王の返事が欲しい」
使者はうなずき、書き留めた。
「私たちも、これ以上兵を死なせたくはない」
アドリアンの声に、使者が顔を向けた。
「王都では、竜に殺された兵の家族が悲しんでいるだろう。この領地でも、王軍との戦いで大勢が死んだ。残された家族の悲しみは同じだ」
使者の目が、開いた窓へ動いた。
砦へ来る途中で見た担架が浮かぶ。あの男にも、帰りを待つ家族がいるのだろう。
「私も、王都で戻った兵を見てきました…」
使者はアドリアンへ答えた。
「多くの者が傷つき、糧食も武器も焼かれています。負傷兵を受け入れるだけでも、大変な有様です。これ以上戦えば、王都の民の暮らしも立ち行かなくなります」
言ってから、使者は声を落とした。
王都の苦境を、敵対する領主へ話しすぎた。
だが、口にした言葉を引っ込めることはできなかった。
ロデリクは、そこを問い詰めなかった。
「では、王へ正確に伝えてくれ。こちらも戦いを止めるために話す用意はある」
使者が頷きかけたところで、ロデリクは続けた。
「ただし、竜の民を以前の暮らしへ戻すことには応じない。今、この領地では、自分で仕事を選び、作った物を売って暮らし始めている者がいる。その自由を、再び取り上げるつもりはない」
「竜の民の扱いについても、陛下に見直しを求めるのですね…?」
「ああ。戦いだけ止めて、また力で従わせるのでは、何も解決しない」
使者は紙へ目を落とした。
持ち帰る返答は、竜の居場所だけでは済まなくなっていた。
*
面会を終えた使者は、返書が用意されるまで詰所の外で待った。
護衛の兵が近づき、王の使者へ小声で尋ねた。
「ポルフィラは、生きていたのですか?」
「目を覚まし、話もできるそうだ」
「では、竜も、もう王兵を襲わなくなるのでしょうか?」
使者は首を振った。
「王軍の弓兵を見つけたら皆殺しだと、今も言っている。ポルフィラが反対しても、やめないそうだ」
護衛は息を呑み、弓を外した鞍を見た。
「だから、弓を預けさせたのですね……」
「ああ。帰りも、竜のそばを通らない道を案内してもらう」
護衛は黙ってうなずいた。
使者も空を見上げる。
竜の姿はなかったが、それだけで安心することはできなかった。
やがてロデリクの家臣が、封をした返書を持って出てきた。
「こちらを、陛下へお届けください。帰路を案内する兵も、支度ができています」
使者は返書を受け取り、懐へしまった。
王都では、自分の報告を待っている。
娘が目覚めたから、もう心配はない。そう答えることはできなかった。
*
夕方、町の療養所へマティアスとエステリアが着いた。
建物の横にいたオブシディオンが、二人へ目を向ける。
マティアスは竜へ頭を下げた。
礼を言いたかったが、先に娘の顔を見なければ、声が出そうになかった。
エステリアとともに建物へ入る。
ミレアが二人を迎え、寝台のそばへ案内した。
「ポルフィラ。マティアスさんとエステリアさんが来てくださったわ」
ポルフィラが顔を向けた。
「……来て、くれた」
マティアスは寝台の手前で立ち止まった。
娘の顔が、以前会ったときよりずっと青白い。
左腕は添え木で固定され、右の脇腹には厚く布が巻かれている。
報告の文は何度も読んだ。
だが、この姿までは想像できていなかった。
「……会いたいと、書いてくれたから」
それだけ言うと、声が詰まった。
ミレアに椅子を勧められ、ポルフィラの右側へ座る。
娘が、右手を少し持ち上げた。
マティアスはその手を両手で包んだ。
「もう、話せるんだな」
「うん。まだ、少しずつだけど…」
返事が来る。
そのことが嬉しくて、もう一度名前を呼びたくなった。
だが唇を開くと、息が震えた。
エステリアは寝台の反対側へ座り、ポルフィラの髪を撫でた。
「文を読んだわ。ちゃんと、届いているからね」
ポルフィラの目に涙が浮かんだ。
「返事、また書くね」
「…急がなくていいの。今は、会って話せるもの」
エステリアも笑おうとしたが、声がかすれた。
髪を撫でる手だけは止めず、ポルフィラの顔を見つめている。
ドランが、マティアスへ話しかけた。
「医師がずっと診てくれています。昨日から話せるようになって、私たちも、ようやく安心できました…」
マティアスはドランへ顔を向けた。
「知らせが届いてから、ここへ着くまで……生きていると聞いても、顔を見るまでは怖くて……」
ドランがうなずいた。
「……私たちもです」
二人の言葉を聞いて、ポルフィラの涙が頬へ落ちた。
マティアスの手を握り、ドランとミレアへも顔を向ける。
「……来てくれて、ありがとう」
マティアスは俯いた。
肩が震え、娘の手を額へ近づけかけて止める。
傷に響かないよう、寝具の上へそっと戻した。
ポルフィラは、その指を離さなかった。
窓の外では、オブシディオンも首を伏せ、彼女の声を聞いていた。




